第239話 師範
(こんなかたちで、ここへ戻ってくるとはな……)
寂れた看板を見て、過去に思いを馳せる佳果。十二歳の頃に門を叩いたこの"雨知道場"は、約四年にわたって厄介になっていた彼の古巣だ。暗黒神の影響による鬱症状を夕鈴とホウゲンが取り除いてくれたあと――後遺症として残ってしまった自己嫌悪をなげうつため、全霊で修行に励んでいた日々が懐かしい。
(今日は日曜……稽古は休みのはずだ。相変わらず盆栽でもいじってんのかなぁ)
そう思いながら門を開けた刹那。視界の端に高速の手刀が飛び込んでくる。反射的にそれをいなした佳果は、軽くバックジャンプして間合いを取ると、相手を捉えてニカっと笑った。
「へへっ! 叩き込まれた技術ってのはそう簡単に忘れねぇもんだぜ、じっちゃん!」
「……ほう、さらに瞬発力が上がっているな。免許皆伝に慢心せず、たゆまぬ研鑽を続けているようで重畳」
整った白い口ひげを触りながら、道着と袴を身につけた短髪の老人が渋い笑みを浮かべる。道場主である彼――雨知小鉄は、「上がんなさい」と言って隣接している自宅のほうへ佳果を招き入れた。
◇
「ほれ」
囲炉裏の前に座っていると、小鉄が緑茶の入った湯呑を手渡してくれる。熱いそれをすすりながら周囲を見渡せば、以前となんら変わらぬ畳のにおい、古時計の音、庭に佇む盆栽たちの風情がノスタルジーを誘った。
「あ~。この感じ、帰ってきたって気がするわ」
「……お前が巣立ってから、もう一年ほど経ったか。達者でやっていたのは見ればわかるが……だからこそ解せんな。ここへ戻ってきた理由はなんだ? お前に限って、まさか挨拶に顔を出しただけ、というわけでもあるまい」
「! ……ああ、ちっとばかし色々あってよ。実は折り入って、じっちゃんに聞きてぇことができたっつーか……でもアレだな……内容が内容なだけに、どっから話したらいいか……」
煮えきらない態度をとる佳果に、小鉄はやれやれと肩をすくめて言った。
「そこに直れ佳果」
「お、おう!?」
背筋をピンと伸ばし、瞬時に正座する佳果。小鉄は普段それなりに温厚な人柄なのだが、一度こうして師範モードに入ると、纏っている雰囲気がガラリと変わる。肌がピリつくような威厳を前にして、佳果は馴染み深い緊張感をおぼえた。
「教えたはずだ。雑然としている時ほど、己が欲する答えは単純明快なものであると。……回り道はしなくてよい。お前がいま望んでいることはなんだ?」
「……仲間を、助けたい」
「ではそのために、何が要る?」
「……神に働きかける方法」
まっすぐな瞳でそう言った佳果に、小鉄は少し目を見開いた。しかしすぐに立ち上がると、部屋の上方に設置されている神棚の前で黙祷し始める。その後おもむろに振り返った彼は、「こっちへ来なさい」と別室に佳果を案内した。そこには祭壇のような設備があり、中心部に長いロウソクが一本、火を揺らめかせている。
(ここ……住まわせてもらってた時は、絶対に入るなって釘を刺された部屋だな。中はこんな風になってたのか……)
「佳果」
「ん?」
「お前が今日ここへ来る運びとなったのは、おそらく俺ではなく家内の縁だ」
「家内? ……じっちゃんの奥さんってことか」
「左様。今は留守にしているが……この間で祈った声は、神仏を通してあれに届くようになっていてな」
「…………マジ?」
「うむ。ゆえに今一度、先ほど言っていた望みについてこの場で説明を。それが終わったら、道場のほうへ来るように」
そう言い残し、ピシャリと戸を閉める小鉄。突然の展開に困惑するも、佳果はおそるおそる祭壇の前に正座してみた。澄み切った空気と静寂のなか、本榊が香っている。
(……とりあえず、言われたとおりやってみっか)
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