第223話 彼女の旅路
「何もしてない……?」
ヴェリスが不思議そうな顔をする。
"幸い"のほうも含めて、真意が気になるところだ。
「夕鈴はこれまで、波乱万丈の軌跡を描いてきました。しかし昨日の一件で暗黒神が世界から手を引いた今、彼女はあらゆる憂惧から解き放たれ、ゆっくり羽を伸ばしているはずです。ふふ、きっと久しぶりに何もせず、安息を謳歌しているのではないでしょうか」
「ん? ちょい待て……その言い方だと、まるであいつが最初から暗黒神に対抗して奔走してたみたいじゃねーか」
「みたいも何も、実際にそうなのですよ、阿岸佳果」
「!?」
佳果だけでなく他の面々も驚いている。シンギュラリティであったチャロ、ましてやムンディをはじめとする神々ですら後手に回っていた相手に、ただの人間である彼女がいったいどんな立ち回りをしていたというのだろうか。背後にあの禍津神がいることは何となく推量できるが――。
「……昨日夕鈴に触れたとき、記憶が流れ込んできました。彼女の運命の歯車は、まさに先ほど話題にあがった"お願い"をきっかけに回り始めたのです」
◇
(神様、どうかお願いします。佳果を助けるちからを、わたしにください……!)
夕鈴が十二歳の頃。
彼女は、"黒"に侵され、自傷により磨耗してゆく幼馴染の心を救うべく、かつて訪れたことのあった神社で真摯に祈願していた。それを見た禍津神ことホウゲンは、彼女の願いを聞き入れ、佳果という人間の状態を透視で覗いてみることにした。
《……やれやれ。こんなチビスケがこうも追い詰められる時世とはな……しかしこいつ、よく視ればスーリャの分霊ではないか。何故このような》
太陽神の波動をもつ彼は、どうやら幼くして家族を全員亡くしてしまったようだ。しかもそれを全て自分の責任だと思い込んでいるらしく、神経は衰弱し、確かにこのまま放っておいては命すらも危険な状態といえる。
《ん? なんだ、この薄ら寒い"黒"の痕跡は》
禍津神は魔の領域にも融通が利く、誠神と魔神のあいだにある神霊だ。その性質上、ほとんどの黒に対して斥力の影響を受けずに済む。彼は治療方法を見出す意図もかねて、佳果の魂に連なる不自然な"黒"を精査した。
《これは……魔神の介入か。なるほど、このチビスケは負のエネルギーの傀儡となった者どもに、家族を奪われたわけだな。しかしそれだけではない……この巧妙な因果の偽装、よもや》
何やらただならぬ気配を感じ取り、ホウゲンは決意する。
《仕方がない。邪法だのとクルシェあたりにどやされそうだが……この娘にはあの力を授けるとするか。まあ、おれが守護に入って最後まで面倒を見れば文句もなかろう》
こうして夕鈴は、ホウゲンから他者の痛みを受け取る能力と、副作用として超感覚を得るに至った。彼女はちからを使って実際に佳果から魔神のエネルギーを引き継ぐと、その膨大な黒をおとすため、滝にうたれながら考えた。
(佳果、こんなに辛くて苦しい思いをしてたんだ……でもこれって、たぶん世界中の人々が影響を受けているはずだよね。……"黒"ってなに? どうして存在するの? わたしに……何かできることはないのかな?)
能動的に答えを欲する夕鈴を見て、ホウゲンは密かに根回しする。
《ならばいずれ、アスターソウルに行けるよう縁を結んでおいてやるか。様々な次元の思惑が入り乱れるあの世界を旅すれば、お前はやがて答えに辿り着く。そしておれも、必ずや"黒幕"の尻尾を掴んでみせよう。…………しかしこの娘、特に変哲のない魂に視えるが、なぜここまで神気に順応できる? チビスケといい、やはり妙な予感がするな……スーリャ達は次元を跨げぬ。ここはおれが動かねば》
◇
時は流れ、夕鈴が十六歳の頃。
アスターソウルの攻略をフルーカ、チャロ、明虎とともに進めていった彼女は、長い旅路の果て、ついにチャロのSSをⅩに到達させることに成功した。
「これで……これでやっと一緒にいられるんだね!」
「うん! ありがとう夕鈴!」
二人は手を取り合い、ぴょんぴょんと跳ねて喜びを分かち合った。
念願の時空魔法――再出発の効果をもつ“エピストロフ”を習得したチャロの願いはもちろん、大好きな夕鈴と現実でも一緒にいられる世界へ移行することである。その夢がまもなく叶うと考えるだけで、胸の高鳴りを抑えきれない。丸みのあるオレンジベージュのショートヘア揺らし、一頻りはしゃいだチャロは、藍色の瞳に涙を浮かべた。
「本当に、本当にありがとう……」
重ねて何度もお礼を述べる彼女に、目を細める夕鈴。そんな二人の様子を、フルーカがにっこりと見守っている。しかし、明虎の姿はどこにも見当たらない。なぜなら、彼は少し前に突如パーティを脱退してしまったからだ。それが何を意味するのか、フルーカは敢えて考えないようにしていたのだが――彼女たちの幸せそうな笑顔を見ていると、言いようのない不安が襲ってくる。
(……あなたはどうして……)
その理由を知るまでもないままに、ハッピーエンドを迎えられたらどんなに良かったことだろうか。――チャロがエピストロフを発動した瞬間、それは訪れた。
「あ……あれ……? ゆ、ゆうり――」
「っ!! チャロっ!!」
黒い霧が包み込み、身体が分解されて異なる次元へ消えてゆくチャロ。悲痛な叫びとともに伸ばした夕鈴の手は、莫大なカルマの闇に阻まれ、彼女に届くことはなかった。フルーカは口元を押さえて目を剥き、小刻みに震えて絶句する。
(そん、な…………明虎さん……まさか………あなたはこれを……!?)
痛ましい静寂が場を支配するなか。
唯一ホウゲンだけが、つよい憤りを顕にしていた。
《とうとう捕捉したぞ……! よもや遥か格上が関与していようとはな……だがここで引き下がるわけにはゆかぬ。たとえ相手が暗黒神であろうとも! おれは断固、この結末に異議を唱える!》
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