第218話 お役御免
(助けなきゃ……!)
深手を負ったトレチェイスの容態を確認する夕鈴。しかし既に意識はなく、呼吸もしていない。この危篤状態では、回復の見込みも薄いだろう。
(そんな…………ううん、諦めちゃだめ)
ぶんぶんと首を横に振る。彼は命の恩人だ。目覚めたばかりで、右も左もわからぬまま森を彷徨っていた彼女にとって、異形と成り果てた自分を無償で守ってくれた彼は、それだけで全幅の信頼に足る愛すべき御魂だった。絶対に救わなければ。
「《サマーディ》! ……発動しない……。なら治癒魔法を……!」
アスターソウルの要領で、様々な方法を用いて救助を試みる夕鈴。しかしいずれも、逸る気持ちとは裏腹に失敗してしまう。やはりこの身体では無理なのか――彼女が悲嘆に暮れた、その時である。
『助けたいのか? そいつを』
「!? …………だ、誰ですか?」
頭に謎の声が響きわたる。慌てて周囲を警戒するも、それらしき人物は見当たらない。どこか聞き覚えのある声色な気もするが、いったい。
『おれのことを聞いている暇など無かろう。早く処置せねば死んでしまうぞ』
「! ……ですが、どうやら今のわたしには……人間だった頃の力がないようで。どうすれば……」
『ならば祈れ。先刻この者がやっていた、"生命エネルギーの放出"をイメージしながらな』
「お祈り、ですか……? わ、わかりました」
他に当てもない彼女は、言われるがまま両手を組んで目を閉じた。
しかし謎の声はさらに続ける。
『……先に言っておくが、そいつを救えば、お前は代償として身体と記憶を失うことになるぞ』
「えっ」
『そして次にいつ、どこで目覚めるかわからない。もしかすると永遠に目覚められないかもしれない。それでも……お前はそいつを助けるというのか?』
「……そんなの。そんなの、決まっています」
躊躇わず、祈りを続行する夕鈴。
それを肯定と受け取った声の主は、最後の警告をおこなった。
『大切な者とも会えなくなる。本当によいのだな?』
「……わたしはただ、わたしでありたいだけなのです。そうでなければ、どのみち独りにしてしまった佳果やチャロに合わせる顔なんて……ありませんから」
目を瞑ったまま、彼女は優しく、そして悲しく微笑んだ。
その魂には、嘘も迷いも視られない。
(……思えばあの日、"お願い"をしてきた時もそうだったか。お前はいつだって、他者のために己を顧みない。その自己犠牲が今をつくっているというのに、懲りない娘よ……まあ、だからこそおれがいるのだが)
声の主は、そっと彼女の魂にエネルギーを注いだ。すると、祈りは白き光となって辺りを照らし、直後、生成された巨大な愛珠がトレチェイスの魂に吸収される。
彼はリザードマンから人間へと変貌を遂げ、凄まじい自然治癒力を発揮して見る見るうちに回復していった。その様子を見て安堵した夕鈴は、「よかった」と目を細めてぽつりと零す。
「生きて。あなたは愛されています。だから次は……"愛せたら"いいですね」
「……ぉ……ぉまえは……おまえたちは……」
意識を取り戻しつつあるトレチェイスが薄目を開ける。そこには彼の記憶を垣間見た本当の彼女が、にっこりと笑って白き光とともに消えてゆく、とても幻想的な光景が広がっていた。あまりの美しさに呆然としていた彼はやがて、身体のダメージがすべて癒えていることに気づく。
「……!?」
飛び起き、動転しながら辺りを確かめてみると、近くには先ほど相討ちとなった魔獣の死骸があるだけで、死守したはずの魔物はどこにもいない。
「何がどうなって……おーい、人間上がりの! どこだ、どこにいる!?」
彼は茂みの中や魔獣の腹の下など、あちこちを捜し回る。
だが、とうとう魔物を見つけることはできなかった。
「あれは……まぼろしだったのか……。いや……」
ふと、先ほど夢のなかで聞いた言葉が思い出される。
『生きて。あなたは愛されています』
「! まさか」
それが意味するところを直感し、己の身体を確認してみる。服をめくると鱗のない肌があった。魔獣のまぶたをこじ開け、その瞳を覗き込むと、人間の姿になった自分が映っている。トレチェイスに電流が駆け巡った。つまり彼女は――。
(……おれっちに、愛珠ごと生命エネルギーを……?)
胸に手を当て、心臓の鼓動、魂の波動に集中する。そこには果たして、じわりとあたたかい何かが宿っていた。全てを悟った彼は、膝から崩れ落ちる。
「ッ……うぅぁああ!」
気がつけば、彼は号泣していた。なぜこんなにも涙が出てくるのか、自分でも不思議だ。ただ一つ言えることがあるとすれば、この結末は彼自身が望んだものでありながら、望んだものではなかった。そしてその矛盾はきっと、"愛せる"日を遠ざけるに違いない。ゆえに、返上しなくてはならない。
「ぐすっ……どうか……どうかあいつの身体を戻してやってください! このとおりです、どうか!」
生成した愛珠を天に掲げ、元のリザードマンの姿で何度も平伏するトレチェイス。しかし全放出でないそれに、再びあの白き光が現れることはなく。
「どう、して……」
失意のなか、彼はトボトボと現場を後にすることしかできなかった。
◇
「!」
はっとして見回すと、トレチェイスは白の空間で夕鈴と向かい合っていた。
「大丈夫? トレチェイス」
「あ、ああ……ちょっとばかし、昔の夢を見ていたようだ。まだお前と出会う前の」
「そっか……つらかった?」
「……どうだろうな。少なくとも、当時のおれっちが苦しんでいたのは確かだ。けど……」
あの後、死にものぐるいで集落へと帰還した彼は、なかば自暴自棄に仲間たちの前へ再びその身を晒した。そうして『これでおれっちは愛に困らない』などと己への皮肉を込めて愛珠を見せびらかし、吹聴してまわった時期もあったが。
やがて隠れ里の噂を流布した賢者と名乗る存在に行き着いたトレチェイスは、夕鈴の魂を喰らった魔獣との邂逅を果たし、これを討って"儀式"を完成させ、ついには再会に至った。以降は記憶を失った彼女と愛珠獲得の旅に出て、結界への到達に成功する。
そこからは、先ほど"無"から自分を見つけ出してくれた楓也という人間を彼女とともに救う運びとなり――結果、こうして貧乏くじを引かされる顛末となったようだ。それを証拠に、トレチェイスの真後ろには、自身の奥魔と臍の緒のごとく繋がる、上位魔神の黒い霧が浮かんでいる。
「……けど、今は違う。おれっちはお前と会って、感謝されたり、したりする喜びを知った。ちょっと不本意だったけど、お前と一緒に楓也を"愛する"ことだってできた。だからさ」
彼はこのあと目覚めた先で待っているであろう、兄や仲間たち、そしてまだ見ぬ人間、ひいてはすべての魂を見据えて笑顔で言った。
「おれっちはもう大丈夫。これから、どれだけの時間が掛かったとしても……必ずみんな、本当の意味で愛してみせるから!」
「ふふ。それじゃあ……もう彼に憑く理由はないはずです。お役御免ですね? 暗黒神さま」
夕鈴がそう言うと、黒い霧は徐々に薄くなっていった。同時に、精神世界の壁が瓦解し、二人の魂はアスターソウルにて、その身体を再構築する。
直近の三話は、第180話『全放出』から
第182話『重き真相』で語られた内容の答え合わせでした。
なお"お願い"のくだりは第66話『二つの黒』にございます。
つまるところ、夕鈴の全放出を手伝った存在は……。
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