第197話 書庫
「遅いのう……何かあったんじゃろうか」
エレブナの近くにある『化霞の滝』。ガウラは一人ベンチに腰かけ、遠方で絶え間なく降り注ぐ霧状の瀑布を眺めていた。――定刻からかれこれ小一時間ほど待っているものの、相手が来ない。もしや、場所自体を間違えているのだろうか。
(む? あれは)
いよいよ不安が強まってきたタイミングで、視界の端に変化がおとずれる。付近の霞が一箇所にあつまり、独特の笑顔が浮かび上がった。
「ごめんねガーちゃん! 話を持ちかけたのは吾輩なのに、すっかり遅くなっちゃって!」
「おお、ウー殿! なに、わしなら大丈夫じゃて!」
彼が待ち合わせてしていたのはウーだった。実は魔境から運んでもらった折、ムンディとの情報交換が終わったあと、秘密裏にここで会う約束を交わしていたのだ。
「ありがとう! ……よし、誰にも跡はつけられていないみたいだね」
「うむ、町まではシムルに運んでもらったんじゃが、そこから先は約束どおり単独でここまで来たぞい。して、"わしにしかできぬこと"というのは一体?」
「ちょっと待っててねー」
そう言うと、ウーが謎のモクモクをつくりだし「さあ乗って!」と催促する。言われるがまま、恐る恐るわたあめのようなそれに足をのっけるガウラ。不思議と底は抜けず、さながら白い觔斗雲に立っている気分だ。
「じゃ、しゅっぱーつ!」
「? どこに行くんじゃ?」
「それは着いてからのお楽しみさ♪」
ウーが雲を操り、どんどん滝のほうへと近づく。やがて滝の頂上を越え、その向こう側まで進むと、さらなる濃霧が充満する空間に出た。もはや白以外に何も見えぬ視界が広がっており、ガウラは自分がいま何に乗っているのか、どこにいるのかすらよくわからなくなってきた。この、世界からはみ出ているような特有の感覚――はっとして、彼は確認する。
「ウー殿、そこにおるかのう」
「うん、いるよ~」
「ここは……既にアスターソウルではないと見た。別の次元じゃなかろうか?」
「お、さすがガーちゃん! 人の身で魔境を歩いてきただけのことはあるね! ……そう、ここはもうアスターソウルとは別の次元。"書庫"の入り口なんだ」
「書庫……?」
「うん。聞いたことはない? 実は世界中の人々がもっている知識や記憶って、ある次元では一箇所にまとまって蓄積されているとか、そういう噂」
「! ……察するに、シムルが皆に話していた集合意識というやつかのう?」
「ん~惜しい! 厳密にいうと、その集合意識の先にある絶対的で不滅の記録媒体。それが書庫だよ。確かあなたたちの世界では、アカシャとかアカシックレコードと呼ばれているね」
「なんと!? その名……昔やったゲームで見たことがあるぞい!」
「おお~、なら話が早そうだ!」
――こうして二人が問答している間にも、刻一刻と辺りの景色は変化してゆく。気がつくとガウラは、所狭しと並んだ本棚が、上を見ても下を見ても、際限なく全方位に続いている巨大な図書館のような空間に佇んでいた。そんな"書庫"の中心部へ雲を移動させたウーは、ぼふんと猫に変身すると、目の前にある検索システムのような端末に飛び乗る。
「……ははぁ、これを使ってわしに、何かを調べろというわけじゃな」
「そのとおり! あなたには今から、古代魔法について調べて欲しいんだ」
「古代魔法……たしか昌弥殿が世話になっていた里長――賢者刻宗殿が得意とする魔法じゃったな。あの時は実際に境滅結鬼という名の魔法見せてもらったんじゃが、空間に干渉する効果も然ることながら、その響きに思わず痺れてしまったわい!」
「ほぇ~、そんな一幕があったんだ……一応、陽だまりの風ではアーちゃんがいくつか使える魔法なんだけどね。彼女のはあくまでも模造品だから、その賢者さんが使ってたやつが本物ってことになるのかな」
「レプリカ? ……ふむ。まあ、丁度わしも色々と気になっていた魔法じゃ。精霊である貴殿に調査の許可をもえらるのなら、まさに渡りに船といったところか」
ガウラが興味深そうに画面を触る。ところが端末は一向に起動する気配がない。
「ぬ、どうやらセキュリティが働いているようじゃな」
「あれ~ホント!? なんでだろう……前は普通にいじれたはずなんだけど」
「――わたしが、ゲームマスター権限でロックを掛けているからですよ」
不意に、背後から一人のおばあさんが歩いてくる。その顔に心当たりはなかったが、まとっている服に刻まれたマークには見覚えがある。あれはヴェリスの持っている勲章と同じ――国章の紋様だったはずだ。
「貴殿は…………いや、女王陛下とお呼びしたほうがよいじゃろうか」
「うふふ、フルーカで大丈夫ですよ。初めまして、粒子精霊様にガウラさん。当書庫へようこそおいでくださいました」
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