第187話 爪痕
「こ、この香りは……!」
布団に横たわっていたチャロが、もぞもぞと寝返りをうち、シムルの手元を見る。そこにはできたてホヤホヤのパスタが湯気を立てていた。
「ほら姉ちゃん、できたぜ。有り合わせだけど、意外と味は悪くないと思う」
「わあ、ありがとうございますシムルさん……!」
丸一日以上なにも食べていなかった彼女は、目にも止まらぬ速さで席につくと、フォークをくるくる回してペスカトーレ風のそれにありついた。新鮮な魚介と酸味の効いたソースが絡み合い、程よい歯ごたえのあるアルデンテと見事に調和している。
「――」
あまりの美味しさに黙々と食事するチャロ。その背中をやれやれと苦笑いで見つめるシムルの隣へ、ヴェリスが歩み寄る。
「……たぶん食べ終わったら、次は眠くなるよね」
「だろうなぁ。一睡もしてないっぽいし」
「じゃ、わたし達が代わってあげない? 魔境の様子を見るの」
「おーそれはありかもな。でも、お前は寝なくて大丈夫なのかよ?」
「うん。むしろ、もうちょっと起きていたい気分。超感覚の制御がうまくいったのが嬉しくて……なんだか目も冴えちゃってるから」
「……そっか。へへ、実はおれも似たようなもんさ」
――その後、満腹になったチャロは予想に違わず、幸せそうな顔で瞼をこすっていた。そうして口を手で覆い、大きな欠伸をひとつすると、彼女は目尻に涙を浮かべながら二人の提案に謝意を述べる。
「ふわぁ……申し訳ありません。ではお言葉に甘えて、ほんの少しだけ休ませていただきます」
「少しと言わず、普通に休んだら?」
「いいえ。ちょうど今、ガウラさん達が調査の佳境を迎えているところですから。彼らが結界に着いたら、問答無用で起こしてくださいね」
「結界って?」
「詳しい経緯はこちらにまとめてあります。目を通していただければ全てわかるようになっていますので……モニタリングと並行してご一読ください。……ではわたしは失礼して……」
そう言ってノートを手渡し、再び気絶するように布団へ倒れ込むチャロ。シムルとヴェリスは興味深そうに、彼女の綴った流麗な文字を追いかけた。
◇
いっぽう魔境では、無事に昌弥をパリヴィクシャの元へ送り届けたノーストとガウラが、すぐさま結界に向かって出発していた。結界とその中心部にある門は、シーマと呼ばれる山の頂上に存在する。
この山は斜度がきつく、遭遇する魔獣も手強い個体ばかりだ。ガウラはなるべくノーストに負担を掛けまいと、位置取りに神経をすり減らしながら進んだ結果、心身ともに疲労困憊となった。しかしそんな険しい道中をなんとか乗り越えた彼らは、とうとう現場に辿り着く。
「ぜえ……ぜえ……やっとついたわい……ここじゃな……? 夕鈴殿とトレチェイス殿が現れたという地点は」
「ああ。門の位置、そしてあのとき楓也が走ってきた方向から推測するに、この辺りで間違いないだろう。あとは両者の魂がまだ残留しているか否かだが……」
ノーストはおもむろに、右手で掴んでいた小型の魔獣を放り投げる。ところが特に反応を示すこともなく、魔獣は結界と反対方向へ全力疾走で去っていった。
「ふむ。里長いわく、餌を認知した場合は最優先で喰らいにゆくはずだが」
「……つまり、二人はすでに別の個体に喰われてしまったあと、ということかのう。これはなかなか厄介な展開に――ん?」
ふと視線を横に向けたガウラが、あるものに気づく。
「どうした」
「ノースト殿……お主はあれをどう見る?」
彼が指さした方向の地面に、巨大な爪痕が確認できる。それは不規則に散在しており、途中からは結界内へと続いていた。
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