第183話 センチメンタル
暗くなったラムス付近の山奥で、ヴェリスが滝にうたれている。かつて夕鈴は、佳果から受け取った"黒"を浄化させる方法としてこの滝行を用いたという。ヴェリス自身は現在、特に何者にも汚染されてはいないのだが、"黒"への対抗手段という意味では、超感覚制御と近い部分があるかもしれない。そこに何かヒントが隠されているのではないか――そう期待しての断行であった。
(ぽー)
その突発的な思いつきが功を奏したのか、彼女はゾーン状態の佳果やシムルの瞳を覗いた時と同じく、無を体感するに至った。しかしたべる光がないため、"世界の光"には繋がれず、絶対的な安心感もやってこない。あるのは空っぽの思考で激流にさらされている身体と世界が、一体になっている心地だけだ。
(……これじゃ、ダメみたい)
雑念が生じ、いったん滝壺から離れるヴェリス。町で適当に見繕った白装束から水が滴り、周囲を濡らしてゆく。
(はやくしないと、みんなの足手まといになっちゃう)
そのまま大きな岩の上に座って膝を抱え、彼女は物憂げに思いを馳せる。
日中、佳果たちが魔神の襲撃により絶体絶命の危機に陥った。依帖の時も然り、たとえ異なる世界にいるという不可抗力があるにしろ、それはヴェリスにとって己の無力さを痛感するのに十分な出来事だった。何もできない自分――否、もし同じ場所にいたとしても、何もできなかったであろう自分を想像し、失望する。
(わたしは……)
ノーストやムンディは初見こそ恐怖に駆られたものの、根源にある愛を当人たちが隠していないため、見慣れてからは親しみさえ感じるようになった。だがそうではない魔に遭遇した場合、自分は果たして狂気に染まらず、やり過ごせるだろうか。答えなど、わかりきっている。
「っ……」
「おーいヴェリス。どこだー?」
唇をかむ彼女の後方に、シムルが現れた。彼は「そこにいるのかー? 暗くてよく見えな……わっ、すまん!!」と言って踵を返す。SSをⅧに昇華させた際、以前ほど極端な変化が見られなかったため、勝手に打ち止めかと安堵していたのだが――やはり彼女はしっかり成長していた。
「? どうかした? 用があるから来たんじゃ」
「いやまあそうだけど……とりあえず身体拭いて着替えろって! この時間けっこう冷えるんだから、そんな格好でいると風邪ひくぞ!」
「……そっか、そうだね(タオルを持ってきてくれようとしたのかな)」
◇
シムルに言われて初めて気づいた。頭から足の先まで、芯から冷え切ってとても寒い。震えるヴェリスは焚き火に当たりつつ、彼の用意してくれた鍋料理を口に運んだ。じんわりと、優しい熱が駆け巡ってゆく。
「……あったか。おいし」
「そうか? ならちゃんと食って体温を戻せよ」
「ん」
「……ったく。別行動でがんばろうっていうから、ちょっと目を離してみりゃこれだ。滝行って着眼点はいいと思うけどさ、単独行動であんまり無茶はすんなって」
「でも、急がなきゃだから」
「焦る気持ちはわかる。おれだって早いとこ瞬間移動をモノにして、普及計画を進めたい。兄ちゃんたちのためにも、この世界の人たちのためにも。けどその前に倒れちゃったら本末転倒だろ? たぶん、ちゃんと答えには近づけているんだ。今はぐっと堪えて、着実にいこうぜ、な?」
「…………わかった」
「ならよし」
「で、用事はなんだったの?」
「ん? ああ、それだよ。いまお前が食ってるもん」
「?」
「――手当り次第、おれがよく知ってる植物とか木の実とか、魚とか動物の肉を集めてたらさ。"万物のささやき"で『料理になって食べられたい』って願いを訴えるやつらが、予想外に多くて。あれこれ煮込んでたら、つい作りすぎちゃったんだよ。だからお前にも食べるの手伝ってもらおうかと思って」
「そうだったんだ。万物のささやき……集合意識だっけ?」
「ああ。んで今回はラムノン以外の声も聞きまくってみたら、段々わかってきたことがある」
シムルいわく、万物の持つ固有の周波数、その大元にある"集合意識"は、それぞれが独自の流れを形成している。さながら長さも深さも、速さも水質も異なる川が無数に伸びているかのようだ。しかしこれらを個別に捕捉しても、一向にチャロの言っていた"全"は視えてこない。
「だからおれは今、たくさんある流れを遡って源流に辿り着けばいいんじゃないかと思ってて。チャロ姉ちゃんが言ってた"全"は、たぶんそっちにあるはずだ」
「よくわからないけど……最後はひとつになるってこと?」
「そそ。ただそれを見つけるのに、なんの声を聞いたらいいのかがイマイチ見当つかないんだよなあ」
「……"世界の光"」
「え?」
「あの光、みんなの愛が集まったものってチャロが言ってたでしょ。愛は"自分が他の誰かでもあること"だから。ならこうしたい、ああしたいっていう誰かのためになるお願いは、そこにまとまってるんじゃない?」
「――」
無意識に、世界の光はあくまで人の愛が集積しているもので、自然とは関係ないと思っていた。だが万物に魂があり、それらの祈りがやがてどこを目指しているのかを考えると、俄然ヴェリスの言葉が腑に落ちてゆく。彼は感心した表情で言った。
「……お前、もうおれよりずっと頭がいいんじゃ……? いや、心が……そもそも魂がいいのか? どっちにしろ嬉しくて悔しくて、誇らしいけど。うーん複雑だなあ」
(またシムルが変なこと言ってる)
「しかしヴェリス、お前ですら超感覚の制御中にしか世界の光は視えないんだろ? その声を、おれなんかがどうやって……」
「ようやくそこまで思い至ったようですねぇ」
何の前兆もなく、不意に暗闇からぬっと明虎が現れた。彼は固まる二人をよそに、鍋から料理を器によそうと一口食べて言い放つ。
「美味」
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