第179話 葛藤
ノーストの見立てでは、夕鈴は結界越えをしようとしていたタイミングで楓也と出くわし、魔物化しつつあった彼を愛珠で救済したのち、再びそれを集めるべく旅立っていった可能性が高いという。トレチェイスとの因縁は依然よくわからず、アスターソウルへの進出後、彼女が何を目論んでいたのかまでは定かでないが――。
「いずれにせよ、結界と愛珠の関係性を詳しく知るためには本来、この魔境に二人しか存在せぬ"賢者"と呼ばれる存在に教えを乞う必要がある。吾も以前、そのうちの一人と邂逅を果たし、諸々聞き出した経験があるが……察するに、うぬはもう一方の?」
彼の言に、刻宗は首肯した。
「左様。某は賢者の片割れ――現在は地獄から出てきた魂のうち、とりわけ非力な元人間の者をこの里へと迎え入れ、ともに身の振り方を考える任を負っている。昌弥を含め、里の皆にはノースト殿が言っていた二つの選択肢……すなわち魔と愛について最初に教え、どちらの道を歩むのか、名を捨てるのか否かを判断させている」
「……先ほども言っておったが、その"名を捨てる"とは一体?」
そう質問するガウラに答えたのは、昌弥だった。
「生前の記憶や倫理観を消して、新しい名を得る儀式を行うんですよ。そうすれば、敵を倒すのに躊躇しなくて済むようになるから。それに……オレみたく、過去に縛られて無駄な時間を過ごすこともなくなりますので」
「昌弥殿……」
必然的に、昌弥は愛の道を選んだことになる。しかしこうして里に留まり続けているのは、敵を滅ぼすのも活かすのも、彼のなかにある大きな葛藤が拒んでいるからに違いあるまい。
(……零子殿を手に掛けようとした挙げ句、自分を殺して地獄へ拉致した黒。それと同質のエネルギーを根源に持つ魔物たちへの復讐を踏みとどまるも、かといって彼らに感謝される筋合いなどあるはずもなく……彼はその拭えぬ感情に苛まれ、身動きが取れないでいるのじゃな。だのに、わしらを見て追ってきたということは……)
突然、ガウラが目をギュッと瞑ってむせび泣き始めた。その嗚咽を聞いて、昌弥はあたふたしている。
「な、ど、どうしてガウラさんが泣くんですか!」
「……だっておぬしは……おぬしの心は……魔を愛そうとしているんじゃろう?」
「!」
「人間であるわしと、魔人であるノースト殿。およそ交わることのないはずの両者が、なぜ行動を共にしているのか……そこに何らかの答えを見出さんと、おぬしは心の声に従い、勇気を振り絞って里を飛び出した。その誇りと優しさを想うとのう……勝手に目頭が熱くなってしまうんじゃよ」
そう言って隅っこに退避し、刻宗から渡された布で顔を覆うガウラ。己を深く理解してくれる者が現れたという事実に、昌弥は身体を震わせ立ち尽くした。その横に並び、ノーストが言う。
「吾にも、うぬが求めている答えを示唆し、導いてくれた同胞たちがいる。だからではないのだが……昌弥、吾らと共にゆかぬか? 道は険しくとも、きっと後悔はしないはずだ。そしてその先にはあやつが……零子が、首を長くして待っているぞ」
「っ、うぅ……」
彼女の笑顔が脳裏をよぎる。瞬間、これまで溜め込んでいたものが全て流れ出るように、昌弥の歪な形をした目から大粒の涙が溢れた。
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