第171話 元締め
「……!」
椰々の告白に、零子が息を呑む。佳果と楓也も深刻な顔で見合わせ、等しく自責の念に駆られた。
彼女は普段、弱みを見せないし、翳を感じさせる気配もない。それは本人が気丈な性格であること、そして他者へ安易に心配を掛けまいという、高潔な優しさから忌避しているものだと、誰もが無意識に決めつけ、納得していた。
"そういう人物だから"――そんな絶対的信頼を置くがゆえに、皆は椰々に対して鈍感であることに胡座をかき、その本心へ耳を澄ます機会を手放していたのだ。
(……初めて会ったあの日から、俺は一体……どんだけ姉さんに助けられてきた? それを恩返しするどころか、こうして話を聞くまで肝心な痼に気づけねぇなんてよ……くそっ、てめぇ自身にこんな虫酸が走ったのは久しぶりだ)
(椰々さんはいつだって、ぼくの目標であり、理想であり、尊敬すべき大人の鑑だと思っていた……ううん、それは揺るぎない真実。唆していたのは、どこまでも自分のほうだった。……波來さん、あなたの言っていた怠惰の意味が今、ようやく腑に落ちた気がします)
(ご親友の自殺……霧が同じものだった……? じゃあお姉さまにも、あたしと似た過去があったってこと? それなのに、あたしなんかの話を真摯に聞いてくださって……ご自身は二の次で、こんな遠いところまで…………そんなの、そんなのって)
再び涙を流す零子に、それぞれ哀しい表情で俯く佳果と楓也。沈黙する彼らを見て、椰々は困ったように励ました。
「わたしなら大丈夫ですから、どうか気にしないでください。……ふふ、別になんのことはありませんのよ? ただ、急にあの香りを嗅いでしまうと少し平静を保てなくなるというだけで……ほらこの通り、今はもうすっかり元気ですわ!」
両手のガッツポーズを小さく揺らし、アーリアを纏う椰々。しかし香りでトラウマが蘇り、先刻のような精神異常をきたすのならば、心に相応の深い傷を負っているのは間違いない。零子はふと、次元のはざまで見た一面の銀世界を思い出した。あの時の彼女は"自分でない"と否定していたが――。
「それよりもわたくしが気になっているのは、その件と昌弥さんの件がどう繋がってくるのか、です。ムンディさん、先ほどの霧と当時わたくしが観測した霧……あれらは同一の魔神から放たれたものと考えてよいのでしょうか?」
《いや、たぶん別個体だろう。元締めについては同じ可能性が高いけどな》
「あん? どういう意味だよ」
《奴は質問に答えなかったが、裏で指示を出してるのは十中八九、俺様の上って意味だ》
「! それって、確か天災とかに関わるっていう?」
《ああ。あんたらがこれまで遭遇してきた魔神連中……俺様は、奴らがこぞってその"上"に動かされていると睨んでる》
「そのようなことが……でも今のお話が本当なら、ムンディさんはわたくし達に与してクーデターを起こしたかたちになりますわよね……?」
《だから"謀叛上等だ"って言っただろ? 俺様だって日々、世界のバランス調整がんばってるんだ。それを上司だからってだけで断りもなく乱されたら、こっちもたまったもんじゃないわけよ》
(あ、あはは……会社勤めしていた頃、あたしも同僚から似た愚痴を聞いたことがあったような気が……本当に、どこの次元もそういう感じなのでしょうか)
《さておき、まあ早い話が相手は上位魔神だ。加えてあんたらは上位誠神にも唾つけられてるんだってな?》
「ん、誠神っつーのは?」
《俺様たちと対極の、いわば"普通の神"の総称ってとこさ。つまりあんたらは現在、双方の間で板挟みにされている状態と言ってもいい。人の身で全ての方を付けるのは骨が折れるだろうが……なんにせよここで立ち止まってる暇はないぜ、陽だまりの風。せいぜいこれからも気張って前へ進め》
そこまで言うと、ムンディの身体が透け始める。
「あ……行っちゃうんですね」
《なんだ楓也ボーイ、寂しいのか》
「いえ……この度は本当にありがとうございました。命拾いしました」
《クク、こちらも収穫があったしウィンウィンだ。ところで、ウーやチャロには先んじて俺様から顛末を伝えておこう。この山はいま時空間が捻じ曲げられちまった関係で、それなりの神格がある奴じゃないと次元干渉できなくなってる。連絡が途絶えてからしばらく経ってるし、そろそろテンヤワンヤになってる頃合いだろうからな》
「! だからリダイヤルが来ないんですのね……ムンディさん、どうかみなさんを安心させてあげてください。お手数ですが、よろしくお願いいたします」
《任せとけ。……そうそう、最後にもう一つ。ウーが追っていたマサなんとかの足取りだがな》
零子の顔をじっと見つめるムンディ。
不意に切り出された本題に、彼女の心臓が跳ねる。
《地獄へ連れて行かれた痕跡が見つかった。だが今は……どうやら魔境のほうにいるみたいだぜ?》
ちなみに怠惰は第45話、銀世界は第126話、
"上"は第132話で触れています。
※お読みいただき、ありがとうございます!
もし続きを読んでみようかなと思いましたら
ブックマーク、または下の★マークを1つでも
押していただけますとたいへん励みになります!