第126話 トラウマ
休憩を終え、再び太陽の雫で起動した法界の箱舟。時間の止まった町の上を飛行して進んでゆくと、出口のゲートが見えてくる。そこを一気に通り抜けたところ、見覚えのある光景が目に入った。薄暗い鍾乳洞――依帖と対峙した、あの京都の洞窟である。狐につままれた佳果と楓也は、思わずたじろいだ。
「!?」
「こいつは……」
「どうしたんですの、お二人とも?」
「……間違いねぇ。ここは俺らが、センコーとやり合った場所だ」
「!」
彼らの表情が突如こわばった理由に、他の面々は押し黙る。しかし重くなった空気を払拭するかのごとく、ノーストが切り出した。
「ふん、なるほどな」
「ノースト?」
「粒子精霊は言っていた。『ここは現実世界の要素が無秩序に絡まっている』とな。そして天使が忠告していた"魔境入りには魂を脅かすほどの危険がともなう"という言に加え、このタイミングでうぬらの動揺をさそう場所が出現したこと。察するに、彼の地を目前に控えた今……既に吾らは、敵の攻撃を受けているのではないか?」
「て、敵だぁ? ……いや待てよ。そういえばさっき、第一関門とか言ってたよな。おいウー、もしかして」
「…………」
佳果が問いかけるも、ウーは返答する気配がない。これについても秘匿事項、自分たちで考えろという意味なのだろうか。アーリアはおもむろに佳果と楓也の肩に手をおくと、少し低めのトーンで言った。
「……いずれにしましても、悪趣味なことですわね」
「なに、所詮は乗り越えた過去の爪痕であろう。うぬらならば、今さらこのような小細工に後れをとるほど軟弱ではあるまい。気をしっかり持て」
「……ノーストさん、おれたちを励ましてくれてる?」
「無駄口を叩いている暇はないぞ。そら次が来た」
シムルの気づきをノーストが一蹴した刹那、辺りは殺風景な荒野に変わった。あちこちに飢えた者たちが横たわっており――今度は生前のヴェリスが、最期を迎えた場所に出たようだ。
「ここ、わたしの……」
曇る表情とその言葉に、シムルは前世にゆかりのある土地だと即座に理解する。ためらわずヴェリスの手をつよく握った彼の手は、揺るぎない信念の熱を帯びていた。
「おれもお前も、今ここにいるだろ。だから心配はいらない」
「……うん」
そうしているうち、また景色が変化する。
深夜の病棟、長い廊下のような空間を進んでゆく箱舟。しかし特に誰も反応している様子はなく、佳果が怪訝な顔で疑問符を浮かべた。
「? どこだこりゃ」
「暗くてよくわからないけど、病院みたいだね」
「こちらも、どなたかの記憶に関係しているのでしょうか? 少なくとも前の二箇所はそういう感じだったようですけど……」
零子のいう通り、ここにきて誰とも無関係な場所に繋がったとは考えにくい。だが結局、明確な解答は得られぬまま次へと移動してしまった。そして俄に広がったのは一面の銀世界である。付近にはかまくらと池があり、積雪量から見て北国のようだ。
「これは……アーリアさんか?」
「いえ、わたくしではありませんわ。……先ほどから妙ですわね。てっきり、わたくしたちに精神負荷をかけているのかと思っておりましたが」
そう毅然と語るアーリアであったが、顔色が少し青いように見えたのは光の加減によるものなのだろうか。ヴェリスがじっと彼女へ視線を向けるさなか、白銀は山々の深緑へと変わり、吊り橋が出現する。当然、驚かされたのは零子だ。舟の底面が透けているのも相まって、がくがくと足が震えてしまう。
「きゃっ……! や、やっぱり攻撃されてませんか! ちょっと安心させておいて、上げて落とす算段だったんですよきっと!」
「……らしいな。まったく忌々しい」
吐き捨てるノーストの瞳に映っているのは、焼き払われた村から立ちのぼる黒煙だった。かつて、彼が恩人を失ったときの光景と思われる。
こうして立て続けに嫌なものを見せられた一行は、最初にノーストから激励があった分、それほど深刻なダメージは受けずに済んだものの――仲間たちが味わった過去の苦しみを推し量り、消沈せざるを得なかった。だがその陰鬱とした静寂は、だんまりを決め込んでいたウーによって破られる。
「……ついたよ」
気づけば、舟は真っ黒な空間へと辿り着いていた。地面はドライアイスのごとく、白いもくもくが漂っている。視界の先にあるのはただ一つ、大きな門であった。
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