第117話 星にねがいを
語り終えた零子は、また紅茶を飲んで少しうつむいた。
「あの日、別の場所へ出かけていれば。吊り橋を見て引き返していれば。帽子に気を取られなければ……五年以上経った今でも思うんですよ。もしかしたら……あたしと昌弥は、そもそも出会うべきじゃなかったのかもしれないって」
「! 零子さん、それは……」
「わかっています。そんな極論で、彼の気持ちを否定する自分が最低だってことも。ただ、あたしはどうしても認められない……認めたくないんです。あの人が、あたしを助けるために死んでいったという事実を。だってあの人には、まだ見ぬ未来がたくさんあったはずなんですから。それを奪ったなんて……あたしにはとても……」
「――もし昌弥さんご本人が『それは違う』と仰ったとしても、零子ちゃん自身は心で納得できない。たとえ頭で理解はできても……そういうことですわね?」
アーリアの問いに、彼女はこくりと首肯した。これは感情の問題だ。そして感情とは、主観と客観が複雑怪奇に絡まり合い、抱いた者をつき動かす原動力となる炎。鎮めるには煽る風を止め、相応の土や水をかける以外に方法はない。
「零子ちゃん、この際ですからお聞きします。あなたがアスターソウルをプレイしている理由って、そこにあるのではないでしょうか」
「えっ?」
「実はわたしも、少し前にお話させていただいた時に感じたのですが……零子さんは現実世界とこちらの繋がりにつよい関心がありますよね。やはり何か関係が?」
二人に図星をつかれ、気恥ずかしそうに苦笑する零子。
「あはは、まいりました……さすがにお姉さまがたの目はごまかせなかったですか」
「ふふ、佳果さんたちも気づいていたと思いますわよ? ……あなたは純粋だから、嘘をつけないんですの。出会ったときから、既にわかっていましたけれども」
「恐縮です……はぁぁ。ここまでお話しした以上は、ぜんぶ明かさないとですね」
そう言って、彼女はまたぽつりと語り始めた。
事故の直後、昌弥の死が受け入れられず塞ぎ込んでいた零子の耳に、とある噂が舞い込んでくる。それはアスターソウルなる魂を核としたゲームが存在しているというものだった。
初めは「そんなあやふやな概念を取り入れたゲームなんて……」と眉唾に思い、敬遠した。しかしなぜかどうしても気になった彼女は、独自に調べを進めてゆくうち、アスターソウルが解析不能の超高度なプログラム技術でつくられた謎のゲームであることを突きとめる。そして本当に魂によるプレイングができる可能性を見出した彼女は、こう考えたのだという。
「あたし、ずっと昌弥の魂はまだあの山に囚われているんじゃないかと思ってて。あの人は絶対、あの場面で死ぬはずじゃなかった」
「囚われている……? どういうことですの?」
「風が異常だったんですよ。あれはまるで、あたし達を陥れようという意思をもって吹きつけていた……彼が落ちる寸前、あたしが咄嗟に伸ばした手を黒い霧のようなものが弾いたんです。それは前後にいた他の登山客も目撃したと証言していますし……何よりあとになって、風はあたし達がいた場所以外には吹いていなかったと判明しました。周りから聞こえた悲鳴は、あくまでも吊り橋が急に揺れ始めたからだった」
「……!」
「昌弥は何かからあたしを守ってくれた。でもそのせいで、今もあそこで苛まれているかもしれない――こんな世迷い言、自分の未練がましさが生み出した妄想だってことは重々承知しています。ですが、このゲームは魂によって存在が保証されている世界。なら、どうにかして現実の魂をこちらに引き寄せることができれば……」
「……昌弥さんに、もう一度会える可能性がある。そういうわけですね」
ナノが確認する。他者の言葉を介したことで、己がいかに愚かしい主張をしているのかを痛感した零子は、はらはらと涙を流した。無言で肩をそっと抱き、目を閉じるアーリア。
(わたくしたちは、夕鈴ちゃんを助けるために旅をしている。それにヴェリスちゃんの前例もある以上……希望を捨てるのは早計ですわね)
慌ててナノがハンカチを取りに行っている間、アーリアは真剣な表情で零子の潤んだ瞳を見つめながら言った。
「零子ちゃん、わたくしたち陽だまりの風は全力であなたを支援します。そのために必要なお話を明日、佳果さんたちが戻ってきたら全員でしましょう。それまで今しばらく、お待ちいただけますか?」
「……? はい……」
どこにでも現れる黒。
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