第104話 絆のひかり
(なるほど……組長はこの地獄みたいな毒気に当てられたんだな)
むせかえるほどの黒い霧をかき分けて進む楓也。歩くたびに血溜まりがバシャリと飛沫をあげ、周囲は断末魔やうめき声で満たされている。もし魔の自分を呼び出していなかったら、即座に精神を破壊されていただろう。
(阿岸君はどこだ? こんなの、はやくしないと保たない……!)
佳果なら大丈夫という絶対的な信頼と、間に合わぬかもしれないという絶望的な不安がのしかかり、焦燥感が募る。最悪な視界のなか、楓也は目を凝らして彼を探し続けた。
(……?)
ある地点でモヤがひしめき合っている。他に同様の現象が発生している場所は見当たらないため、十中八九あそこに何かあるのだろう。走り寄った楓也は手でモヤを払いのけると、中心部に腕を突っ込んで引っ張り上げる。「そおれ!」という掛け声とともに投げ出されたのは、はたして佳果であった。
「阿岸君!」
「……う……ぐ……」
横たわった佳果はきつく目を閉じて震えていた。まだなんとか正気を保っているようだが、その衰弱ぶりは一刻を争うほどの容態である。彼は弱々しく呟いた。
「誰か……そこにいるのか……」
「っ! ぼくだよ! 青波楓也だ!」
「……悪い、いま頭んなかで……たくさんの怨み言が反響してて……何も聞こえねぇんだ。自分がうまく喋れてるのかもわからねぇし……怖くて目も開けられねぇ」
「!」
「だが、もし誰かいるなら……伝えて欲しいことがある……俺の大切な人たちに……」
「や、やめてよ! 縁起でもない!」
「俺を家族として受け入れてくれて……感謝していると……」
「――――」
「それとあいつの……夕鈴のことを……どうか頼む、と……」
彼が瀬戸際で紡いだのは、仲間たちへの深い感謝――そして夕鈴を諦めなければならないという、悲痛の悔恨が入り混じりつつも、己の意志を託さんとする信頼の言葉だった。
楓也は表情をゆがめながら、佳果の肩を持って無理やり抱き起こす。そうして魔と化していた自らを通常の状態へ戻し、魂の光を解放した。これにより、彼に向かっていこうとする黒を自分の方へと引きつけ、悪化を防ごうと考えたのだ。しかし当然、代償として楓也も侵蝕を受けるかたちとなってしまう。
(ううっ……ぐっ…………前も言ったでしょ……一人にはしないって……!!)
狙いどおり、一時的に身代わりを成功させた楓也。とはいえ、このままでは心中の結末に向かうばかりだ。極限状態のなか、彼は賭けに出ることにした。
「……阿岸君、今なら聞こえるよね?」
「…………ふ……うや……?」
「うん」
「……かか……最後に見る幻覚が……お前とはなぁ」
「なにさ、不満なの?」
「まさか……感謝しかねぇよ…………欲をいえば本物のお前に……あいつを任せたかったところだが……」
「!」
「お前だったら……安心して委ね――」
「――阿岸君」
未練を偽って諦念を語る佳果を、楓也が遮るように言い放つ。
「ぼく、押垂さんが好きだ」
「…………え……?」
「たぶん憧れも恋慕も含めて……押垂さんのことが好きだ。でもね。ぼくが惹かれたのは……君を愛することで、きらきらと輝いていた彼女の魂なんだよ」
「おま……なに言って……」
「だから阿岸君。ぼくじゃダメなんだ。君じゃなければダメなんだ! いいかい? ここでぼくに任せてしまったら、彼女は永久に幸せになんかなれない!」
「…………」
「それに君だって、あの子のことが好きで仕方ないんでしょ!? なら他の誰でもなく君が迎えにいかなきゃ! あの子を救うのは君の、君だけの役目なんだから!」
「…………!」
「わかったらいつもみたいに悪態つきながら立ち上がってよ! 闇なんかに屈しないって……彼女を想う気持ちは誰にも負けないって、ここで証明してみせてよ! じゃなきゃあの子もぼくも、君自身も……本当の意味で笑える日なんて、絶対にこない!!」
「…………!!」
楓也の魂の叫びが、佳果のこころに炎を灯す。それはどのような闇であろうとも消すことのできない愛の感情――絆のひかりだった。刹那、黒を受け取って著しく汚染されていた彼の魂は、それらを吐き出すかのごとく、強い振動をともなって輝いた。ブラックホールはホワイトホールへと変質し、溜め込んでいた負の感情を一気に放出する。同時に、どこからともなく声が聞こえてきた。
《……よくぞ打ち克った》
振り返ると、巨大な龍が厳しい顔をゆるめ、舞うように空を泳ぎ回っている。次の瞬間、奈落にあった精神世界はページをめくるように晴れ渡り――取り巻いていた無数の黒が、どこか遠くへと旅立っていった。そして再び、ウーの姿が視えるようになる。
『ヨッちゃん! フーちゃん! 大丈夫!?』
お読みいただき、ありがとうございます。
「知ってた」という感じですが
ようやく三人の関係が前進しました。
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