第100話 任侠の涙
「ここか、めぐるの働いてる店は」
看板も立てず、ひっそりと営業している食事処『カナヘビ』。外観は普通の民家で、住宅街に溶け込むように存在している。中は小さなテーブル席が三卓、カウンター席が四つほどあった。ふと視線を感じて横を見ると、店主と思われる老齢の男が立っている。
「……適当に座っとき」
ぶっきらぼうな案内に従って、彼らはひとまず最寄りのテーブル席についた。店内には独特の香りが漂っており、俄然、異国の地に迷い込んだかのような感覚に陥る。楓也はこのロケーションと雰囲気で、果たして採算がとれているのか気になった。
「須藤君、今は貸し切りにしてもらってるわけだけど、普段はどのくらいお客さんが来るものなの?」
「日に数組ってところかな」
「……それでよくやっていけるねぇ」
「例によってうちは客単価が高いのと……基本的に入店は有料の予約制で、向こう一年は枠も埋まっているくらいだからさ。むしろ繁盛してると言ってもいいのかも」
「!?」
「い、一年ってバリバリの人気店じゃねぇか」
「うん、広告のたぐいは打ってないのに口コミで広がったみたい」
実はものすごい所へ来てしまったのではないかと、二人の肩に力が入る。知る人ぞ知る名店――いったいどんな料理を提供しているのだろうか。そう思った矢先、不意に店主が皿を運んできた。佳果の目の前に差し出されたのは、謎のハーブに包まれた肉だ。
「ほれ」
「え?」
「……今日あいつの親父さん診んの、お前だろ。冷めんうちに食え。一口でな」
そう言って店主は奥へ引っ込んでしまった。突然の料理に戸惑う佳果。めぐるも訝しがっている。
「自分、佳果くんが治療にあたるとはまだ一言も話してなかったのに……」
「それにしては断定するような物言いだったね」
「つか食ってもいいのかよコレ? 俺いま金もってないんだが」
「店主がオーダー無しで料理を振る舞ったときは決まって無償だから……遠慮はいらないと思うよ。味の保証はないけど、ぜひ召し上がれ」
(食事処なのに味の保証はないんだ……)
楓也が苦笑いするなか、佳果はおそるおそる一口でそれを平らげた。鼻腔をつきぬけるのはハーブ特有の鮮烈な香りと、肉の獣臭。正直にいうとまったく美味しくはなく、思わずむせる佳果に慌ててめぐるが水を持ってきた。
「げほっげほっ……か~、こりゃなかなかに凶悪な味してるわ」
「大丈夫? 阿岸君」
「ああ、なんとかな……しかしこれで予約いっぱいって、一体どういう――」
言いかけた瞬間、佳果はにわかに変性意識の入り口に立っている感覚に襲われた。そこは、普段であればゾーンを誘発する際に激しい運動のなかでゆっくり近づいてゆく場所なのだが――今ならば、ちょっと揺らせばすぐにでも切り替えられるだろう。
「なんじゃこりゃ……よくわからんがすっげぇぞ! これなら奥義使うまでの時間を大幅に短縮できそうだ」
「あ、あの須藤君!? ここって合法的なお店なんだよね!?」
「それはもちろん。ただ世界中を見回してもこのお店しか取り扱ってないようなレア食材がたくさんあって……今回はとりわけ"効きやすいもの"が使われたみたい」
色々と不安になってきた楓也だったが、彼の懸念をよそにチャイム音が鳴り響く。めぐるが玄関まで小走りで向かうと、間もなく現れたのは眼帯をつけたドレッドヘアの人物だった。
「おう坊主、待たせたな……ん? お前さんは」
◇
席についた男は、楓也と佳果を交互に見て「なるほどなぁ」と天井を見上げた。
「ご無沙汰しております、組長」
「おう、面と向かうのはこれが初めてか。ぜんぶ手打ちにしたあの日、もうお前さんと関わることは生涯ないと思っていたんだがな。こんなかたちで覆っちまうとは……人生わからないもんだ」
蛇酒をあおって、遠い目をする男。彼はその外面や境遇に反して、慈悲深い瞳をしていた。佳果がじっと観察しているのに気づくと、彼はクシャっと笑う。
「で、隣のあんちゃんは伝説の狂犬だな」
「は……なんすかそれ」
「聞いたぜ、うちの馬鹿どもが迷惑かけちまったとき、ドスを素手で受け止めたんだって? だっははは! あんちゃんみたいに気合いの入った奴、今の時代じゃ珍しいからな。あれからずっと語り草になってんのよ」
「……そりゃどーも。いちおう名乗っておくと、俺は阿岸佳果ってんだ」
「そういや挨拶がまだだったか。おれは東使拓幸。知ってのとおり東使組を仕切ってるもんだ」
拓幸は自己紹介すると、おもむろに床へ座り直した。ひょんな行動に目を丸くしていると、彼は言った。
「さて青波に阿岸。今さらかもしれないが……その節は、大事な友達を傷つけて本当にすまなかった。このとおりだ」
止める間もなく、組長が土下座する。三人はぎょっとしたが、後ろで見ていた店主はやれやれと肩をすくめている。
「おいおっさん……! ガキ相手に何やってんだよ!」
「年齢も立場も関係ない。"家族"の不始末はおれの不行き届き。この頭ひとつ下げて許されることじゃないことはわかっているが、せめて直接詫びさせてくれ」
「組長…………」
それからしばらくこうべ垂れていた彼だったが、少しすると神妙な面持ちで顔を上げる。
「それともう一つ、阿岸には謝らなきゃならないことがある。いま巷で話題になっている依帖の件――ご家族についてだ」
「!」
「依帖の気色悪い計画に協力しやがったのは、うちの組と長らく敵対関係にある勢力だった。おれは血も涙もないあいつらのやり方を否定して、何度も抗争を仕掛けたんだがよ……結局、あんちゃんの親父さんや弟さんの犠牲を、おれたちは防ぐことができなかった」
「……知ってたんすね」
「ああ、依帖が最初に話を持ちかけてきたのはうちだったからな……あの野郎、おれがそれを跳ね除けた意味も考えず、クソみたいな不幸を次々と生み出しやがって!」
怒りと悲しみに歪んだ表情で、再び土下座しようとする拓幸。だが立ち上がった佳果は片膝をつくと、彼の眼前に拳を突き出して制止した。
「あんたはあいつの誘いに乗らず、計画も止めようと動いてくれたんだろ? ……俺はそれだけで十分救われるよ。もう顔あげてくれや」
「阿岸……お前……」
刹那、拓幸はぶわっと涙を流しながら拳を合わせてきた。男泣きする彼を見て、佳果は困ったように目を細める。
この邂逅が善き道に続いているのか、悪しき道に続いているのかはわからない。ただ、彼の親父さんのためにやれることはやってみよう――そう心で誓う三人であった。
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アスターソウルも100話目に突入しました。
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