Fランクから始める魔槍使い 〜俺を「ご主人様」と呼んで懐いてくるこのボクっ娘美少女、実は世界最強クラスの魔槍なんです〜
俺が冒険者を始めてから、半年ほどたったある日の夕刻。
いつもの薬草採取のクエストを終えた俺は、幼馴染みの魔導士チェルシーとともに行きつけの大衆食堂へと向かうと、いつも通りに二人で質素な夕食をとっていた。
ただその日、いつもと違ったことがあった。
それはこの日、タチの悪い後輩冒険者たちが、すぐ近くのテーブルで吞んだくれていたことだ。
「へへへっ、お嬢ちゃん、お酌してくれよ」
「す、すみません。仕事中なので……」
「客がやれっつってんだから、それも仕事だろ! オラ座れよ!」
「きゃあっ……! や、やめてください……」
酔った勢いで、店の看板娘マリーに対して迷惑行為を繰り返すそいつらを見て、俺は我慢ができなかった。
席を立ってそいつらのテーブルまで行くと、男の一人に抱きすくめられていたマリーを助け出し、そいつらに向かってやめろと注意した。
俺もやり方も悪かったのかもしれないし、向こうが酔っていたせいもあるのかもしれないが。
いずれにせよそれで、あっという間に乱闘になってしまった。
「オラオラどうした、先輩よぉ!」
「──うぐっ! がはっ!」
俺は戦士と思しき体格のいい後輩冒険者からボディを入れられた後、顔面を殴られる。
いいように吹き飛ばされた俺は──ガシャーン!
近くのテーブルに背中から激突して、食器と料理をぶちまけてしまう。
「ぐっ……痛っつぅ……」
「ル、ルイス……! 放してよぉっ!」
「へへへっ。そう暴れねぇで、彼氏の無様な姿をおとなしく見とけって、魔法使いの嬢ちゃんよ」
俺と一緒に立ち上がった幼馴染みのチェルシーは、盗賊風の男に羽交い絞めにされていた。
魔導士の杖も、もう一人の魔導士風の男に奪い取られて、魔法を使えなくされている。
だがそうと分かっていても、今の俺にはどうすることもできない。
単純な力の差。
俺は弱くて、チンピラのような後輩冒険者は、俺よりも暴力が強かった。
「くそっ……!」
俺はさんざん痛めつけられた全身に鞭を打ち、どうにか起き上がろうとした。
でもそんな俺の胸ぐらを、目の前の戦士風の男がつかみ上げてくる。
「あ、ぐっ……!」
男の太い腕で、俺の体は持ち上げられ、俺の足が宙をかく。
同じ戦士職でありながら、身長も体格も筋力も、相手のほうが圧倒的に上だった。
「おいおい先輩……ひっく……そんな程度で俺たちに、喧嘩売ってきたのかぁ? ……ひっく」
戦士らしき男はそう言って、俺に向かって酔っぱらいの赤ら顔を近付けてくる。
こいつが俺のことを「先輩」と呼ぶのは、俺のほうがこいつらよりも冒険者歴が長いからだ。
だが今や、こいつらはEランクの実力を持っており、Fランクの俺よりも上級の冒険者だ。
「ぐっ……俺は、マリーさんへの迷惑行為を……やめろと言ったんだ……! 喧嘩を売ったわけじゃ……」
「それが喧嘩を売ってるってことだろうがよぉ、ああっ!?」
「うぐっ……!」
腹に強烈なボディーブローを、もう一発入れられた。
腹の奥が激しく痛み、吐き気がせりあがってくる。
男がつかんでいた胸ぐらを放すと、ぼろ布のように打ち捨てられた俺は、もがき苦しんで地面を転がるしかなかった。
「うぶっ……おげぇええええっ……!」
「うわっ! 汚ったねぇこいつ、吐きやがった。……ひっく」
「ギャハハハッ! 色男が台無しだぜ。いい気味だ」
三人の男たちは、悶絶して嘔吐した俺を囃し立ててくる。
ああ……くそっ……。
店に余計に迷惑をかけているじゃないか。
何をやっているんだ俺は。
「ちょ、ちょいとあんたたち……! 衛兵がもうすぐ来るよ! 暴力はやめな!」
店を切り盛りしている女将さんが、マリーを背中にかばいながら、震える声で男たちに啖呵を切る。
この店は女将さんと娘のマリーの二人で運営している食堂で、旦那さんは病気ですでに亡くなっているという。
店にいたほかの客たちも、乱闘騒ぎを遠巻きに見ていた。
衛兵を呼びに行った客もいたようだが、衛兵が到着するまでにはしばらくかかるだろう。
「ああ……? ひっく……ただの喧嘩だろうがよぉ? つぅかよ、この店は客に対する態度ってもんがなってねぇんじゃねぇのか、あぁん?」
俺をいたぶった戦士風の男が、今度は女将さんに向かって詰め寄っていく。
だが、それは……ダメだ。
「……待て」
「ああ……?」
俺が男の足元をつかんで引き止めると、そいつの注意は再び俺に向いた。
「チッ……! このくたばりぞこないが、イキってんじゃねぇよ!」
「うぐっ! げほっ……!」
俺はさらに腹部を何度か蹴られたり、頭を踏みつけられたりした。
チェルシーの悲痛な叫びが聞こえてくる。
……ああ、もう。
なんで俺は、こんなに弱いんだろうな。
もっと強ければ──
俺が英雄みたいに強ければ、もっと──
自分に戦士としての──冒険者としての素質がないとあきらめの気持ちを抱きはじめたのは、いつの頃だっただろうか。
俺が幼馴染みのチェルシーとともに冒険者になってから、およそ半年。
魔導士のチェルシーが三ヶ月ほどでEランクに昇格し、俺より遅れて冒険者になった新人たちも次々とEランクに昇格していく中、俺だけはいまだに最底辺であるFランクのままだった。
戦士職なのに体は小さく、運動神経もいいとこ人並みで、筋肉の付き方も同じようなもの。
ランニングや筋トレ、槍の素振りなど日々の訓練は欠かしていないのに、そのザマだ。
子供の頃は、人並み以上ではあったはずだ。
それが年齢を重ねるにつれ、能力に翳りがさしていった
うちの家系は今でこそ農家だが、その昔は名のある魔槍使いの家柄だったらしい。
俺も槍を手にしたときには剣よりもしっくりきたので、自分には槍を扱う才能があるのだと自惚れていた時期もあった。
だが今となっては、戦士職を選んだこと自体が誤りだったのかもしれないと思いはじめている──
と、俺が為すすべもなく叩きのめされながら、そんなことを思い出していたときだ。
店の扉が開く音とともに、精悍な女性の声が聞こえてきた。
「どういう状況だ、これは。──おいそこのお前たち、見たところ冒険者だな? 何をしている」
「「「げぇっ!? 剣聖イーディス!?」」」
痛みでうずくまって意識も遠のきかかっていた俺には、その後どういう事の運びになったのか、詳細はよく分からなかった。
でも気が付いたときにはチンピラのような後輩冒険者たちは店からいなくなっており、代わりに俺の前には、地べたにうずくまる俺をあきれた様子で見下ろす女冒険者が現れていた。
「事情は聞いた。キミの勇気と心根は評価するが、実力に関係なく激情で動くあたり、冒険者としては早死にするタイプだな。最近この街の近辺でマンティコアを見かけたという報告もあるから、気を付けたほうがいい。あとこれは敢闘賞だ、飲んでおけ」
そう言って女冒険者──剣聖イーディスは、俺にヒーリングポーションを投げ渡してきた。
そして自身はカウンター席に向かうと、給仕のマリーに酒とつまみを注文した。
ポーションを慌てて受け取った俺は、よろよろと身を起こし、ポーションの栓を抜いて遠慮なく飲み干す。
甘くて苦いどろっとした液体が喉を通り、やがて体じゅうの痛みが引いていった。
剣聖イーディスは、この街の冒険者ギルドが誇るAランク冒険者のうちの一人だ。
この街の冒険者で知らない者はいないし、一般にも有名人だ。
流れるような金髪に、男なら誰もが振り返るほどの美貌。
まるで絵にかいたような英雄格の人物が、剣聖の二つ名を持つAランク冒険者イーディスである。
なぜここに剣聖イーディスがいるのか。
後で聞いたところによると、騒動を目撃した客の一人が、たまたま店の前を通りがかった彼女に事態の収拾を頼んだという話だった。
「ルイス……大丈夫?」
幼馴染みのチェルシーが、心配そうに声をかけてくる。
アメジストパープルのふわふわの髪を持った魔導士姿の少女は、小柄でおどおどしていて剣聖イーディスとは対極的だが、その美貌はイーディスにも負けていない──と思うのは幼馴染みのひいき目だろうか。
「ああ、心配かけてごめん。チェルシーこそ無事か?」
「うん」
「よかった。……ごめんな」
「どうして謝るの? ルイスは間違ったことしてないよ。悪いのは全部あの人たちだよ」
「そりゃそうなんだけど、情けなくてさ。俺がもっと強ければ──たとえば剣聖イーディスみたいに強ければ、と思って」
「それは無理だよ……。誰もがイーディスさんみたいに強かったら、世界はとんでもないことになるよ」
「ぷっ……。チェルシーはときどき変なこと言うよな」
「そう……? それを言うなら、ルイスも相当変な人だと思うけど」
「えっ、俺って変か……?」
「うん、変な人。でも私は好きだよ、ルイスのそういう変なところ」
「そっか。よく分からないけど、まあいいか」
その後、俺は店の女将さんや給仕のマリーからお礼と謝罪の言葉を受けた。
一方で、俺が剣聖イーディスにお礼を言おうとしたときには、彼女は忽然といなくなっていた。
この出来事が、次なる事件の前触れとなる。
俺にとっての本当の大事件は、この翌日に起こった。
***
食堂でのいざこざがあった晩の、翌朝。
俺はチェルシーと二人で、いつものように薬草採取のクエストを果たすため、街の近隣にある森へと来ていた。
この森にはヒーリングポーションの材料となる薬草がたくさん生えている。
いや、「生えている」というより「どんどん生える」といったほうが正しいか。
土地の特性らしく、あるエリア内の薬草を採取しきっても、翌日にはまた別の場所に薬草が生えているのだ。
加えてその薬草が日持ちしないこともあって、薬草採取は初級冒険者向けの仕事として、冒険者ギルドには毎日のように貼り出されている。
森にはモンスターも棲息しているが、普段見かけるのは最弱クラスのモンスターばかりであり、大きな群れを形成していることも滅多にない。
だから初級冒険者の少人数パーティでもこなせるありがたいクエストなのだが、報酬額もそれ相応というのが難点だ。
具体的には、俺とチェルシーの二人でクエストを受けると、週六日働いても安宿暮らしと質素な食事がギリギリなぐらい。
負傷してヒーリングポーションを使う回数が多いと、それだけで足が出かねない。
なのでモンスターに遭遇しても、なるべく無傷で切り抜けたいところなのだが──
「痛っつぅ……やっちまった」
「ルイス、大丈夫……?」
勝手知ったる森の中をしばらく歩き回った頃のこと。
俺たちは二体のホーンラビットと遭遇し、戦闘になった。
ホーンラビットはウサギに似た姿をした、額から長い角が生えたモンスターで、大きさは小型のイノシシやオオカミに匹敵するほど。
一般人にとっては危険な相手だが、武装した冒険者であればよほどのへまをしなければ負けはない。
この森では一般的な、最弱クラスに分類されるモンスターのひとつだ。
もちろん撃退はしたのだが、俺は右の太ももにホーンラビットの角の突き刺し攻撃をもろに受けてしまった。
すぐに命に関わるようなダメージではないが、無視できる傷でもない。
俺はチェルシーが渡してくれたヒーリングポーションを、ぐいと飲み干す。
ホーンラビットにやられた太ももの傷口が輝きを帯び、少しの後には傷がふさがっていた。
「ふぅっ……。悪い、チェルシー。貴重なヒーリングポーションを使っちまった」
「ううん、どんまい。そういうこともあるよ」
笑いかけてくれるチェルシーに微笑みを返しつつ、俺は倒れた二体のホーンラビットを見る。
黒焦げになったモンスターたちへの致命傷は、いずれもチェルシーの魔法、炎の矢によって与えられたものだ。
俺の槍による攻撃もダメージを与えはしたが、十分ではなかった。
冒険者を続けて半年の戦士職なら、ホーンラビットぐらいは一撃で倒せて当然だと聞く。
「……あのさ、チェルシー」
「ん? なぁに、ルイス」
「チェルシーの魔法の腕なら、俺なんかと組んでなければもっと上に行けるよな。そうしたらもっといい生活もできて──」
俺がそこまで言ったとき、チェルシーの少し低い声。
「ルイス。それ何度目かな?」
小首をかしげたチェルシーは笑顔だったけど、少し怖い笑顔だ。
「うっ……。何度言ったかは覚えてないけど、でもな──」
「『でもな』じゃないの。私はルイスのそれを聞くたびに、いつもなんて答えたかな?」
「『私はルイスと一緒に冒険がしたいの』……?」
「そう。分かってるなら何度も同じことを言わせないでほしいな」
「いや、そうは言うけどな。チェルシーのためには──」
「私のためにどうしたらいいかは、私が一番よく知ってます。ルイスが嫌じゃなければ、私はルイスと一緒にいるよ」
「バカ、俺が嫌なわけがあるか。俺はチェルシーのことを思って──」
「バカはルイスのほうだよ、この唐変木」
チェルシーはふんと鼻を鳴らして腕を組み、ぷいっとそっぽを向いてみせる。
俺は頭をかいて、途方に暮れるしかない。
このふわふわとした幼馴染みは、この件だけは妙に頑固になって、俺が何度言っても耳を貸さないのだ。
チェルシーの才能なら、もっとマシなパーティに入ればずっと上に行けるはずで、俺と一緒に今みたいな質素な生活を続ける必要もないと思うのだが。
もちろんチェルシーが一緒にいてくれることで、俺は助かっている。
でも俺はこいつに頼るばかりで、何も返せていない。
とはいえ、ないものねだりをしても仕方がないわけで。
「はあっ……分かったよ。今後もお世話になります、チェルシーさん」
「はい。今後もお世話をしますよ、ルイスさん。……でもこれだけ献身的な幼馴染みに、もうちょっとご褒美的な何かはないのかなって思ったりもするよ?」
「分かりました。なんとかやりくりして、いずれ何かおいしいものでもプレゼントします」
「そうじゃないんだけどなぁ……。まあルイスだし、こういうのも楽しいし、いいか」
なんだか分からないが上機嫌になる、わが幼馴染みである。
長年一緒にいるけど、こいつの考えていることはいまいちよく分からないな。
──だが、そんなときだった。
「おお~、いたいた」
「ようやく見付けたぜ、お二人さん」
「こんなところでイチャつくとは、さすが先輩たちは格が違う」
「「えっ……?」」
森の奥から俺たちの前に姿を現したのは、三人の男たち。
昨晩に、食堂で乱闘になったあのチンピラ風の後輩冒険者たちだった。
***
三人の後輩冒険者は、見たところ戦士、盗賊、魔導士だ。
たしか全員Eランクだったはず。
一人ひとりがFランクの俺より格上だし、チェルシーとは同格だ。
「なんの用だ。お前たちも薬草採取のクエストを受けてきたのか?」
俺は男たちを警戒する。
チェルシーが杖をぎゅっと握りしめ、怯えるように俺の後ろに隠れた。
あいつらとは冒険者同士であって、モンスターでもないのだから警戒する必要もない──そんな理屈は、俺の直観が否定していた。
そもそも冒険者同士のいさかいは、枚挙にいとまがない。
荒くれ者も多い冒険者のことだから、殺し合いに発展しない限りは、暴力沙汰でも「ただの喧嘩」として扱われる。
冒険者同士の争いが殺し合いに至るケースも、ものすごく珍しいわけではないと聞く。
もちろん冒険者ギルドは冒険者同士の殺し合いを禁止しているのだが、暴力を生業としている職業だけあって、タガが外れればあっという間だ。
だが俺たちに危害を加えるつもりだとして、あいつらの目的が分からない。
男たちはへらへらと笑いながら、うち二人が左右に広がるようにして俺とチェルシーを取り囲みはじめる。
正面に戦士、右手に魔導士、左手に盗賊だ。
逃げるか……?
いや、チェルシーも俺もあまり足は速くないから、向こうが追いかけてくれば高確率で追いつかれるだろう。
「いやぁ、別にそういうわけじゃねぇんだがよ、先輩。俺たちゃ昨日のあれがどうもムシャクシャして、腹の虫が収まらねぇんだわ。先輩のせいで俺たちはまるで悪者扱いだ。弁償までさせられたんだぜ?」
正面の戦士が答える。
戦斧を肩に担いだそいつは、昨日俺をさんざん痛めつけたやつだ。
「そうか。それで腹いせに、俺を殺してやろうって? 俺もあんたのせいで昨日はずいぶん痛い目に遭ったんだがな。痛み分けってあたりで収めないか?」
「チッ……。先輩、テメェのその澄まし顔も、ずっと気に入らねぇと思ってたんだ。Fランクの雑魚は、もっと雑魚らしく卑屈になってろってんだよ」
それに加えて、右手側の魔導士の男がこう続ける。
「ケケケッ、なぁに、殺しはしねぇ。ちょいとボコにして、先輩のかわいい彼女を借りようってだけさ。かわいそうな俺たちにも、おすそ分けしてくれよ」
俺はその言葉を聞いて、頭に血が上ってしまう。
彼女というのは、まず間違いなくチェルシーのことだろう。
「勘違いしているようだが、俺とチェルシーはそういう関係じゃない。雑魚の俺に付き合ってくれている心優しい幼馴染みだよ。誤解が解けたな」
「ケケケッ、そうは見えねぇが……ま、どっちでも構わねぇさ。俺たちゃ女にありつけりゃあ、それでいいのよ」
「……クズだな、お前ら」
そんな言葉が、つい口から出てしまった。
挑発しても何もいいことなんてないのに。
「おう、クズで結構。だが今ので半殺しが決まったぜ、先輩」
戦士がそう言って、戦斧を振り上げ、俺に向かって駆け出してきた。
俺は槍を構え、迎え撃つ。
「チェルシー、逃げろ! こいつら本物のバカでクズだ!」
「で、でも──きゃっ!?」
俺の背後で、チェルシーの小さな悲鳴。
慌てて振り向くと──
「なっ……!?」
「へへっ、逃がしゃしねぇぜ、お嬢ちゃん」
「は、放して! 放してよ……!」
いつの間に背後に忍び寄っていたのか、盗賊の男がチェルシーを羽交い絞めにしていた。
チェルシーはじたばたと暴れるが、ああやって取り押さえられてしまっては魔法が使えない。
俺が助けようにも──
「オラ先輩! よそ見してる余裕があるのかよ!」
「くっ……!」
正面の戦士が戦斧で切りかかってくる。
かろうじてそれは回避したが──
「ケケケッ──ファイアボルト!」
「なっ──うわぁああああああっ!」
魔導士の男が一瞬遅れて放った炎の矢の魔法が、回避動作直後の俺に直撃した。
全身が燃え上がる。
やがて炎はやむが、そのときには俺は、全身ヤケドの重傷を負っていた。
「ぐっ……チェル、シー……」
それでも幼馴染みを羽交い絞めにしている盗賊の男に向かって手を伸ばし、なんとか歩み寄ろうとして──
「死にぞこないの雑魚は、さっさと寝てろ!」
「がっ……!」
俺の前に戦士の男が立ち、頭上でがっちりと組まれた両手が、振り下ろされた。
頭にハンマーで殴られたような衝撃が落ちて、俺は地べたに打ち倒される。
「がはっ……! あ……ぐぅぅっ……」
「ルイス……!? やめて……やめてください……! ルイスが死んじゃう……!」
「へへっ、そうだなぁ。やめてやってもいいが、その代わりに俺たちの言うことを聞いてもらおうか」
「そ、そんな……! ……分かりました。何でも言うことを聞きますから、ルイスを助けてください」
「ケケケッ、いい子だ」
地べたに倒れ伏した俺は、半ば遠のく意識の中で、そんな言葉を耳にしていた。
意識が朦朧としていて、頭が働かないし、体も動かない。
男たちとチェルシーの足音が、どこかへと遠ざかっていく。
何だ……何なんだこれは……。
どうしてこんなことに……。
俺がもっと強ければ──
守りたいものを守れるぐらいに強ければ──
悔しい。
どうして俺は、こんなに弱いんだ。
もっと、もっと強ければ──
そう強く悔やんでいたときのことだった。
──あ、やっと繋がった。
──おーい、ご主人様~、聞こえますか~。
──ボクの声が聞こえたら、返事して~。
俺の頭の中に、聞き覚えのない声が響き渡った。
***
真っ暗な世界の中で、幻聴が聞こえた気がした。
こっちの気も知らないで、ずいぶんお気楽な幻聴だった。
少しイラっとしながら、俺はふらふらと立ち上がる。
周囲にはすでに、俺以外には誰もいなくなっていた。
「聞こえるけど、誰だ」
俺は誰にともなくつぶやく。
すると頭の中に、声が返ってきた。
──あ、よかった~。ついにご主人様の心と繋がれたよ~。
──そしたらご主人様、こっちに来て。
「こっち……? ああ、こっちか」
俺は何かに誘われるように歩き始める。
まともな自我のようなものは、ほとんど残っていない。
どのぐらい歩いただろうか。
やがて森の一角にそびえ立つ、一つの岩山の前へとたどり着いた。
岩山の底部には、這えばギリギリ体を潜り込ませられるぐらいの裂け目があった。
俺はそこに、自分の体を無理やり押し込んでいく。
狭かったのは入り口だけだ。
すぐ先が空洞になっていて、俺はそこで立ち上がった。
空洞の真ん中には石造りの台座があり、そこに一振りの見事な槍が突き刺さっていた。
柄から穂先まで全体が黒塗りにされ、金細工などによる装飾も施された、全金属製とおぼしき槍。
長さは俺の背丈と同じか、それよりもやや長いぐらいだ。
俺は迷うことなくその槍を手にして、台座から引き抜く。
槍はほとんど抵抗もなく引き抜かれた。
槍から直接、俺の頭の中に『声』が滑り込んでくる。
『ご主人様~、ずっと逢いたかったよ~! ……でも何だかすごくボロボロだね。【リフレッシュ】って唱えてみて』
「こうか? ──【リフレッシュ】」
俺は『声』に導かれるままに、その言葉を口にする。
すると俺の全身を温かな光が包み込んで、全身のヤケドをはじめとした負傷をすべて癒してしまった。
半ば遠のいていた俺の意識も、それではっきりと覚醒する。
俺はそこではじめて、この異常事態を正確に認識した。
「え……? なんだこれ」
俺は見知らぬ岩山の中にある空洞にいて、見たこともない立派な槍を手にしていて、負傷もすべて癒されている。
これは夢なのか、現実なのか。
夢だとしたら、いったいどこからどこまでが──
「そうだ! チェルシーは!?」
俺が慌ててそれを口にすると、槍からまた『声』が流れ込んでくる。
『チェルシー? 誰それ。──そんなことよりさ』
『声』は少年のような少女のような、中性的なものに聞こえる。
と思っていたら──
槍が激しく光り輝いた。
光は大きくなり、形を変え、やがて人間のようなシルエットになる。
光が弾けた。
俺の前には、全裸の美少女が立っていた。
黒髪黒目で、年の頃は十二歳か十三歳か、そのぐらいに見える。
「ずっと逢いたかったよ~、ご主人様~!」
全裸の少女は、俺に抱きついてきた。
飼い主に甘えるペットのように、嬉しそうに鼻をこすりつけてくる。
当然のことながら、俺は戸惑った。
「お、おい。おまっ、お前は……なんだその、ご主人様って!」
「ん? ご主人様はご主人様だよ。ボクは魔槍ジェラルディーン。ご主人様のための槍だから、ボクのことはご主人様が自由に使っていいよ」
「魔槍……? い、いや、待て。俺は今、混乱している」
「そうみたいだね」
混乱する頭で、どうにか目の前の事象を整理していく。
まず俺に全裸で抱き着いている少女。
こいつはさっきの槍が変身したのだし、自分でもそう言っているから、槍なのだろう。
人間の姿に変身できる魔法の槍というわけだ。
次に、『ご主人様』というのは、どうやら俺のことらしい。
どうしてかは分からないが、この少女──魔槍ジェラルディーンは、俺のことを『ご主人様』と認識しているようだ。
よし、そこまでは分かった。
何も分かっていない気もするが、とりあえず目の前の状況は理解した。
問題はこの、抱き着いてくる全裸少女をどうするか──じゃない。
傷が癒えた。体も動く。
だったら今、俺がやるべきことは一つだ。
「おい、お前。よく分からないけど、魔槍──魔法の槍ってことは、強い力があるんだよな」
「『お前』じゃなくて、ボクは魔槍ジェラルディーンだよ、ご主人様」
「あー、もう! 魔槍ジェラルディーン、頼むから俺に力を貸してくれ!」
「それはもちろん。ボクはそのためにいるんだから。槍の姿になればいい?」
「ああ、頼む!」
全裸の少女は再び光り輝き、槍へと姿を変え、俺の手に収まった。
この槍──魔槍ジェラルディーンを手にしていると、槍から俺の体へと力が流れ込んでくるようだ。
今なら何でもできそうな全能感に包まれる。
例えば──
俺は、この空洞の入り口側の岩肌に向かって、魔槍を構える。
「──はあっ!」
岩壁に向かって、魔槍を突き出した。
魔槍は岩壁を貫き、さらにその周囲にひび割れを広げ、岩壁を破砕した。
岩壁に人間がゆうに通れるぐらいの大穴が空いたのを見て、俺は今さらながらに驚く。
「すごい……」
『ま、ボクとご主人様の力なら、このぐらいは楽勝だね』
「これなら──!」
俺は岩盤に空いた穴から外へ出て、元いた場所──チンピラ冒険者たちに襲われた地点へと走った。
だがその場所に行っても、すでにチンピラ冒険者たちやチェルシーの姿はない。
「くそっ……! どこだ、チェルシー! 返事をしてくれ!」
周囲に向かって叫ぶが、返事はない。
『ご主人様、人を捜してるの? その「チェルシー」って、ご主人様の親しい人?』
「ああ。俺の幼馴染みで、大事な人なんだ」
『ふぅん……。ご主人様に愛されてそうで妬けちゃうけど──それならご主人様、目を閉じて、その人を強く思い浮かべながら【サーチ】って唱えてみて』
「分かった。──【サーチ】!」
俺は魔槍に言われたとおりに目をつむり、チェルシーのことを強く念じながら、指定された言葉を口にする。
すると視界が閉じた暗闇の中、波紋のようなものが俺を中心に広がっていって、その途中でチェルシーの存在を感知した。
「いた! チェルシー!」
俺は幼馴染みの存在を感じた方角に向かって、森の中を駆け出していく。
そう遠くはない。
間に合ってくれ──!
俺がそう念じながら、過去の自分からは考えられないほどの速度で森を疾走していたときだった。
「──ぐわぁあああああっ!」
「おい、どうした! って、あれは……!」
「な、なんだってんだ畜生! こんなときに!」
俺の行く手の先から、男の叫び声がいくつか聞こえてきた。
あのチンピラ冒険者たちの声だ。
いったい何が起こっているのか。
俺は魔槍ジェラルディーンを手に、声がしたほうへと駆けて行った。
***
やがてたどり着いたのは、森の中の広場のような場所だった。
そこにあったのは、少し複雑な状況が垣間見える光景だ。
まず魔導士と盗賊の男が、地べたに倒れ伏している。
いずれの体からもどくどくと血が流れ出ていて、もう助かりそうにない。
二人の男の体には、何本もの「トゲ」のようなものが、深々と突き刺さっていた。
トゲといっても、短剣の刃よりも長い、氷柱のような形状のものだが。
その殺戮の原因であろう怪物は、上空にいた。
ライオンの胴体に、人間の顔、ドラゴンに似た翼に、長く鋭いトゲがたくさん生えた尻尾──それらすべての特徴が、一体の怪物に含まれている。
マンティコアという名称の、著名なモンスターだ。
Bランクに格付けされたそいつは、FランクやEランクの未熟な冒険者が敵対するには荷が重い相手のはず。
その怪物の体は、多少傷ついてはいた。
チンピラ冒険者たちが投げて命中させたのか、手斧と短剣が一振りずつ胴体に突き刺さっている。
だが致命傷にはまったく至っていないようで、当の怪物がそのダメージを気にしている様子もなかった。
「くそっ……! こんな森にマンティコアが出るとか、ふざけんじゃねぇぞ!」
そう悪態をつくのは、戦士の男だ。
三人のチンピラ冒険者の中では、唯一の生き残り。
また男のすぐ近くには、衣服を乱して半裸の姿にされたチェルシーがいた。
チェルシーはへたり込んだ姿で、上空の怪物を見上げて怯えた様子を見せていたが、俺が駆け付けたことに気付いて驚きの表情を浮かべる。
「ルイス……!」
「チェルシー! 無事か!」
「くそっ、何がどうなってやがる! こんなのやってられるかよ!」
戦士の男は、俺に気付いた後、森の奥に向かって逃走しようとした。
だが──
『くくくっ……逃がさんよ人間。死ね』
「なっ……!? ──ぐわぁあああああっ!」
上空の怪物──マンティコアが、戦士の背中に向かって尻尾のトゲを数本発射した。
それらのトゲに背中や太もも、首筋などを貫かれ、戦士は断末魔の悲鳴を上げながら倒れる。
マンティコアは、今度は俺のほうへと顔を向けた。
『くくくっ……うまそうな人間の女は生きたまま踊り食いにしようかと思ったが、さてさて、また一つ分の肉が増えた。しばらくは人肉の宴にありつけそうだな』
マンティコアが戦士を攻撃している間に、俺はチェルシーのもとまで駆け寄っていた。
そして俺が幼馴染みを抱き上げたタイミングで、マンティコアは尻尾から、俺に向かってトゲの雨を降らせてきた。
俺の腕の中で、ルイスがぎゅっと目を閉じる。
「──っと!」
俺はチェルシーを抱きかかえたまま、その場から飛び退いた。
俺たちが直前までいた場所の地面に、数本のトゲがドスドスと突き刺さる。
『何……!?』
「チェルシー、俺にしっかりつかまってろよ」
「えっ……? う、うん……!」
半裸のチェルシーが、ぎゅっとしがみついてきた。
幼馴染みを腕の中に守りながら、俺は上空のマンティコアの動きを注視する。
『小癪な……! おとなしく串刺しになって死ね、人間!』
マンティコアは、さらなるトゲの雨を降らせてくる。
だがそれも、俺は大きく飛び退いて回避した。
魔槍から流れ込んでくる力が、俺の身体能力を以前とは比べ物にならないほどにまで高めていた。
『おのれ、人間風情が……! 死ね! 死ねぇええええっ!』
いきり立ったマンティコアはさらなるトゲを飛ばしてくるが、俺はそれらをどうにか見切って回避していく。
トゲの射出速度はクロスボウから発射される太矢のごとくで、しかもそれが複数同時に降ってくるのだから、回避は決して楽ではない。
その上に俺はチェルシーを抱えているのだから、難易度は倍増しだ。
だがそれでも、自分でも驚くほどの身体能力と集中力で回避に専念することで、俺はどうにかマンティコアの攻撃を凌げていた。
マンティコアの尻尾のトゲも無限ではなく、すでに最初に見たときの半分ほどに減っているように見えたが──
俺は手にした魔槍に語り掛ける。
「上空の敵を相手にするのに、何かいい手はないか!」
『それならボクを投げればいいと思うよ。大丈夫、すぐにご主人様の手元に戻ってくるから』
「へぇ──そいつは便利だ!」
俺は何度目かのトゲ攻撃を回避した直後のタイミングで、左腕ではチェルシーを抱きかかえたまま、右手の魔槍ジェラルディーンを上空のマンティコア目掛けて投げつけた。
投擲された魔槍は、ごうと唸りを上げて飛び、マンティコアの片翼を軽々と貫いて破砕した。
『──ぐわぁあああああっ!』
飛行能力を損ねバランスを崩したマンティコアは、ずしんと地面に墜落する。
上空に飛んでいった魔槍ジェラルディーンはというと、途中でカーブして方向転換し、戻ってきて俺の足元に突き刺さった。
俺は再び魔槍を手にする。
「本当にすごいな、お前」
『えへへっ、ご主人様に褒められた~。嬉しい~♪ でも『お前』じゃなくて、魔槍ジェラルディーンだってば。長かったらジェラでもいいよ』
「ね、ねぇルイス……さっきから誰と話しているの……?」
「ああ。それはあとで話すよ、チェルシー」
『おのれ……! おのれ、おのれ人間が! もはや許さん──死ねぇええええっ!』
地に伏したマンティコアが、再び尻尾のトゲを飛ばしてくる。
そしてマンティコア自らも、俺に向かって獅子の四つ足で駆け出してきた。
俺は飛来する数本のトゲを横っ飛びで回避し──
「もう一発だ!」
魔槍ジェラルディーンを、再び投擲した。
唸りを上げて飛んだ槍は、マンティコアの頭部に直撃し、風穴を開けて貫通した。
「バ……バカな……」
頭の一部をごっそりと失ったマンティコアは、大量の血を撒き散らしながら地面に倒れ伏し、そのまま動かなくなった。
一方の魔槍は、マンティコアの先にあった木にぶつかって弾かれると、くるんくるんと回転しながら俺の元に戻ってきた。
俺はそれを、空中でキャッチする。
手元に戻った魔槍が、弾む声で俺に語り掛けてくる。
『えっへへ~。どう、ご主人様? ボクの力、すごくない?』
「ああ……。すごすぎて、どうリアクションしていいか分からないぐらいだ」
『ホント? だったらさ、ボク人間の姿になるから、頭なでなでしてよ』
魔槍はいつぞやと同じように光り輝くと、その輪郭を変え、全裸の少女の姿へと変化した。
俺は戸惑ったが、とりあえず言われたとおりにその少女の頭をなでてやる。
少女は心底嬉しそうな表情で「えへへ~」と笑い、ぐねぐねを体をくねらせた。
それから少女は、また俺に抱きついてきた。
鼻先を俺の体にこすりつけるようにしてくる。
「ご主人様、ご主人様、ご主人様~! もっと褒めて、なでなでして、もっと甘やかして~」
「えっ……ルイス、どういうこと……? なんで……その子、いったい……」
チェルシーが俺の腕の中で、青ざめた顔をしていた。
俺はひとまず幼馴染みを解放する。
「あー、いや、これはな……」
「ルイスが……私のルイスが知らない幼女に浮気した! ──うわぁああああんっ!」
「えっ……あの……チェルシーさん……?」
なぜかチェルシーが泣き出してしまい、俺は途方に暮れるしかなかった。
***
その後のこと。
どうやら魔槍ジェラルディーンは、俺の先祖の時代に、血筋に依存して力を与える武器として作られた古代魔法武器だということが判明。
それが何代か前に、強大な魔物の封印に使われたとかで、数百年の眠りについていた。
俺の代で眠りが解け、現代によみがえったのだという。
まあ、それはいいとして──
「ご主人様~、ボク、ご主人様の背中流すね」
「うわあああっ! ジェラ、風呂に入ってくんな!」
「ルイス……! わ、私も背中流すし……!」
「チェルシーも落ち着けぇええええっ! てかなんで男湯にいるんだぁああああっ!」
俺の冒険者生活は少し快適になったが、同時に騒がしくもなった。
今は何やかんやありつつも、幸福な日々を送っているところである。




