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スカーフ

作者: 七迦 寧巴

 開店と同時に入った居酒屋。綺麗だった店内の空気も今は煙草の煙で淀んでいる。何時間此処に居るのか、もはや酩酊しかけている脳みそでは分からない。

 この春に来た土地。大学三年になり、専門課程のキャンパスは都心から離れた田舎にある。三年ほど前に出来たばかりのピカピカのキャンパスだ。今日はガイダンスの後、同じゼミになるやつらとこうして飲んでいるという次第。


 周りのテーブルでも、すでに酔った人たちが大声で話をしている。田舎の駅前にある居酒屋は限られている。店が賑わっているのもうなずける。ふと天井を見上げると、蛍光灯の灯りがチカチカしている。オレンジ色の光が煙草の煙でくすんで見えた。


「工学部の裏から出たところに児童公園があるだろ。なんか曰く付きらしいぜ。先輩から聞いた」

「え、まじかよ。オレんち、その公園からすぐのところだぜ」

「曰く付きって? どんな?」


 周りの声がくぐもって聞こえる。ビールとサワーしか飲んでいないが、だらだら飲んでいるうちに、したたかに酔ってしまったようだ。児童公園……古びた公園がある。今じゃ滑り台やブランコのペンキも剥げ落ちて、黒ずんだ砂場には入りたいとも思わないが、昔は綺麗な公園だった。競争して滑り台を上りきったやつが勝者になったり、ブランコを漕ぎながら靴を蹴り上げて遠くまで飛ばすのを競ったり、砂場では砂で山を作って、トンネルを掘ったりもした。


「子供たちが遊んでいると、だぼだぼの服を着たおじさんが近づいてきて声を掛けるんだとよ」

「そう。この子達にかくれんぼをさせてあげてくれるかい? って、ポケットから人形を出して子供たちに渡そうとするの」


 赤いスカーフを巻いた女性が声を落としてそう言った。

 あれ? この人は前から居ただろうか。周りのやつらを見るが、不思議がっている様子はなく、女性の話に耳を傾けている。煙草の煙越しに女性の赤い唇が小さく動く。


「その人形には首がないの。渡されるのは胴体だけ」

「うわ、まじかよ!」

「そんなの受け取りたくねぇって!」

「たいていの子は怖がって受け取らなくて、叫んで逃げていくんだけど、なかには面白がって受け取る子もいたみたいよ」

 緑色のスカーフを巻いた女性が静かにそう言いながら言葉を続ける。


「首が鬼だから、鬼に見つからないように隠してほしいって、おじさんは言うの。受け取った子も、おじさんが去ったあと、すぐに砂場に埋めて隠したり、公園の草むらに放り投げたりして帰ってしまうんだけどね。翌日探してみると、胴体は見つからないそうよ」

「人形が歩いて帰ってたりしてー」

「まさか。そのおじさんがあとで持ち帰るんだろ」


 人形の胴体は様々だった。着物を着ている胴体のときもあれば、レースがたくさん付いたドレスを着ている胴体もあった。なかにはイギリス近衛兵の歩兵部隊のような赤い制服を着ている胴体もあったから、人形の種類は様々だったと思う。何故その様子が浮かぶのだろう。ああ、そうか。知っているんだ。だって、小学校に上がった年まで、この土地に住んでいたから──


 そのおじさんは、やけに色が白かった。髪が黒かったから余計に肌の白さが印象に残っている。でも顔の印象はない。夏でも長袖のベージュのコートを着ていた。大きなポケットは膨らんでいて、そこから無造作に人形の胴体を出していた。


「そんなおじさんの出現も、少しの期間で終わったみたい。だから子供たちもすぐにそんなことは忘れたみたいね」

「まあそうだよな。そんな変質者がずっと現れていたら、警察も動くだろうし」

 皆の顔が少しホッとしたように明るくなり、それぞれジョッキをあおっている。

 赤いスカーフの女性はうつむき加減なので赤い口元しか見えない。隣に居る緑色のスカーフの女性よりも体の線が細いと感じた。

「でも、それだけの話で曰く付きの公園なんて言われるのか」

「それも可笑しな話だよな」

「ここがそれだけ何もない田舎ってことだな」と、皆は笑う。


 赤いスカーフの女性がゆっくりと顔を上げた。緑色のスカーフの女性と顔立ちが良く似ていると、酔った目でぼんやりと眺めた。視界がアルコールの所為でゆらゆらする。

「公園のすぐ隣にアパートがあったの」

「今は綺麗なコーポになっているけど、昔は木造のアパートだったの」

 女性がそれぞれ口を開く。そして赤いスカーフの女性が話を続ける。


「取り壊して新しいコーポにすることが決まって、住人達はみんな出ていった。大家さんが解体業者の人と点検のために各部屋を調べていてね、押し入れの天袋にある天井点検口を開けたら、目の前にボトボトと黒い物体がたくさん落ちてきた。うわー! って業者の人はのけぞって椅子から落ちたわ。転がり落ちてきたのは全部人形の頭だったの。頭だけ」

「いろいろな人形の頭だったわ。でも胴体は何処にもなかった。気味が悪かったけど、別に幽霊が出るような噂もなかったし、そのままアパートの取り壊しは進んで、新しいコーポが建ったの」


 しんと静まりかえった席。皆がその様子を想像しているのだろう。


「──怪しいおじさんが言ったかくれんぼは、その日まで続いていたってこと……なのかな」

 誰かがポツリとつぶやいた。緑のスカーフの女性が「そうね」と言って微笑んだ。

「きっと鬼役だった頭たちは、それぞれの胴体を見つけたと思うわ。胴体はそのおじさんが全部持っていってた。新しい住処に隠していた胴体を見つけてそれぞれ一体になれたのよ」

「人形にそんなことをしたおじさんが、どんな死に方をしたのかは分からないけどね」

 赤いスカーフの女性がそう言って微笑む。


 ──本当にそうだろうか。人形の頭は全部、自分たちの胴体を見つけることが出来たのだろうか。子供たちが隠した胴体を、おじさんは全部回収していたのだろうか。あの胴体は簡単に見つけられる場所にはない。だって隠したのは小学校の備品庫だから。子供ならともかく、部外者が簡単に入れるような場所じゃない。手のひらに嫌な脂汗が出てくる。あの人形の感触がよみがえる。着物を着ていた。赤い着物。一緒に居た子と備品庫に入って、棚の後ろの隙間に押し込んだ。ここなら絶対見つからないよなと笑いながら押し込んだ。そのまま夏休みに入り、この地を去った。なぜなら廃校になることが決まっていたから。生徒が少ない田舎だ。隣の地区との合併が決まり、通っていた校舎は廃校。それを機に両親は引っ越しを決めたのだ。


 そして、そして──

 向かいに座る二人の女性を見る。スカーフがやけに気になる。二人と目があった。少しだけ口角を上げ微笑む顔が良く似ている。でも赤いスカーフの女性の体はとても線が細い……

 廃校になった校舎は取り壊された。そして十数年の時を経て大学の校舎が建てられた。隠した胴体が回収されたとは思えない。きっと小学校の校舎の瓦礫に埋もれて一緒に処分されたとしか──


 店員が閉店を告げに来た。

 酔った頭で伝票を見て、皆で金を出し合った。

 席を立ち、よろよろと出口に向かう。

「その児童公園を通ってみないか」

「いいね。そんでおまえのアパートで飲み直そうぜ」


 そんな会話を聞きながら歩き始めると、シャツの裾を軽く引っ張られた。振り返ると、緑のスカーフの女性が微笑んでいる。女性はスルリとスカーフを外した。

 首に痣が付いている。横にスッと。まるで切られた首を付けたかのように。


「私の胴体は見つかったの。でもこの子の胴体は見つからなかった──今日までは」

 そう言って赤いスカーフの女性を見る。

 赤いスカーフの女性もスルリとスカーフを外した。その瞬間、首から下が消えた。

 体の線が細く見えたのは、胴体がなかったからなのか。

 ゆらゆら視界が揺れる──赤いスカーフの女性がほほ笑みながら見つめてくる。赤い唇が妖しく動いた。



「見ぃつけた」


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