他の女
「くそお…こんなことって有りかよ…」
「まあまあ、とりあえず飲めって」
そんなやり取りをしつつ、高島は一気に酒をあおった。やさぐれている高島の背中を、田中は優しく撫でる。
高島がなぜこんなにも荒れているかというと、ついさっき彼女にフラれたからだ。田中はそのヤケ酒に付き合わされている。
こんなやり取りは、2人が同じ会社の同期として知り合ってからもう三度目だ。
「俺さあ、あいつが欲しいって言った物も食いたいって言った物もちゃんと応えてきたんだぜえ?なのに何でフラれるわけえ?」
「まあまあ、そんなこともあるって」
「あるわけねえだろ!!」
高島がドンっとビールジョッキを机に叩きつけた。
「これでもう三度目だぜ!?金づるにされんの!いい加減にして欲しいわ、全く…」
今度は高島は机に額を押し付け、泣き始めた。
「俺だってまともな彼女が欲しいんだよお」
えんえんと子どものように泣く高島に、田中はため息をつきつつ、高島の背中をポンっと叩いた。
「じゃあさ、他の女、作ってみれば?迷信だろうけど」
「んえ?彼女お?それができねえっつってんだろ」
「ちげえよ。他の女だ。」
高島はゆっくりと頭を起こし、手をぽんっと叩いた。
「わかった。愛人作ってみろってことだな?」
「そうじゃねえよ。聞いたことないのか?」
田中は哀れみを含んだ目を高島に向けつつ、他の女の説明を始めた。
「他の世界、まあいわゆる異世界ってやつだな。そこにいる奴に彼女をつくってやるの。そうすればめっちゃいい彼女が自分にもできるっていう噂。まあ、あくまで噂だけどな」
「異世界い?そんなもん、本当に存在するはずねえじゃん」
けっと言いつつ、少し興味を持ったような目で高島は足をもぞもぞさせている。
田中はそれを見て笑っていた。
「ちょっと気になってんじゃん」
「そんなわけねえし」
笑う田中を見て、高島は少し不機嫌になった。
「ああ、ごめんごめん。でもさ、一番身近な異世界っていったらあれだろ」
「え?あんの?」
「ああ、幽霊の世界」
田中の言葉に高島はぷっと吹き出す。
「じゃあ何だ?幽霊に彼女つくってやれってのか?」
「まあ、そういうことになるな」
田中はお腹を抱えて笑い出す。
今度は高島がムッとした表情を浮かべる。
「はは、悪い悪い。いつも真面目ちゃんなお前からそんな言葉が出てくるなんて思わなくってよお」
「いつもいつも飲みに付き合ってやってんだ。もう都市伝説くらいしか方法ねえだろ」
「つっても、どうやって幽霊に彼女なんてつくんのさ」
そうだなあなんて言いつつ、田中は天井を見上げる。
「対象は動物とかでもいいらしいけど、分かりやすいのは人間だな。失恋で命を絶った奴の墓で永遠の愛を相手に誓わせるとか?」
「いや、無理だろ。命を絶つほどのフリ方をした女にそんなことさせんの」
「じゃあ、その女に自殺した奴と同じ場所で死んでもらうとか?」
ピタッと高島の手が止まる。顔が真顔になる。
「は?マジ?マジで言ってんの?」
「まあ、お前次第だ」
「いやいや無理だろ。殺人じゃん」
「殺人ってわからないようにやればいいだけだ」
田中は何を考えているのかわからない顔つきで枝豆を剥いていた。
高島は青ざめた顔で田中を見る。
「俺、お前のことさあ、よくわかんねえ奴だとは思ってたけどよお。ここまでとは思わなかったわ」
「それは俺も同じように思ってる。こんな話を聞いても席を立たないってことは、少しは興味、あるんだろ?」
高島は図星だったようで、気まずそうに下を向いた。
「ここが個室居酒屋でよかったな。俺らの話を聞いている奴らは誰もいない」
田中は相変わらず枝豆を向き続けている。
「当ては、あるのか?」
「ああ。お前もよく知っている人だ」
初めと違い、しん、と静まりかえった個室で、話を進める。
「社会人になってからのお前の2番目の彼女、渡辺さんって覚えてるか?」
「忘れるわけねえだろ。あいつとは幼馴染だったんだから」
「その渡辺さんにフラれて〇〇駅で自殺したのが、俺の幼馴染だった、橋本って奴なんだ。遺書にしっかり書いてあったってよ。ひどいフラれ方して、生きていく気力が無くなったって」
びっくりした顔で高島は田中を見つめる。
田中はようやく高島の顔をようやく見た。ひどい顔だった。怒りと悲しみでぐちゃぐちゃになっているような顔だ。
「お前もさあ、言ってただろ?とことんひどい言葉で罵倒されてフラれたって。金だけ巻き上げられてさ」
「あ、ああ。今でもたまに夢にみるよ。まあ、もともとキツい性格だったしな」
田中はふいっと高島から顔をそらし、また枝豆を剥き始めた。
高島は信じられないといった様子で目を白黒させていた。
「…〇〇駅、午前8時15分。彼女は必ず電車に乗る。その前の電車は急行で通り過ぎていく。その時間はすごく混雑しているから、誰が誰に当たったとしても、おかしいとは誰も思うまい。悲しい事故だった、で処理されるだけだ」
「おう、そうだな」
しばらくの間、沈黙が流れる。
高島も田中も、同じ電車を使用していたが、渡辺より1本後の電車を使用していた。つまり、1本前の電車に乗るフリをして、渡辺にそっと近づけば良いだけだ。
「…考えてみるよ」
「…おう」
その会話後、特に何も話すことなく2人は帰路についた。
高島はとても迷っていた。
彼女はとても欲しい。でも、そのために殺人を犯すのは違うと思う。だが、相手は元彼を自殺に追い込んだ相手で、自分自身、夢に出るほどのフラれ方をした。
高島はそれから、1本前の電車に乗るようにしていた。
とはいえ、すぐにチャンスが訪れるわけではない。
渡辺がホームの1番前に立っていて、そのすぐ後ろに立っているという条件でないと、殺人は成功しない。
チャンスが訪れるまで、高島は殺人を犯すかどうか、ずっと考え続けていた。
昔の幼馴染で仲が良かった頃のことも思い出すし、付き合い出してからの横暴な態度も思い出す。
頭がぐるぐるとしていた頃、チャンスが巡ってきた。
渡辺がホームの1番前に立ち、高島がその後ろに立つことができた。
高島は震える手で渡辺を押そうとした。が、やめた。
やはりこんなことすべきではない。
教えてくれた田中には悪いが、所詮は都市伝説。
一生殺人犯という重荷を抱えて生きていく勇気が高橋には無かったし、それで得られるものが不釣り合いすぎる。
そう考えた高橋は、手を下ろした。
手を下ろした途端、一気に気が楽になった。
彼女なんてゆっくり作ればいい。思えば俺はなんて馬鹿なことを考えていたんだ。酒の席での話だ。田中も酔っていただけだろう。
そんなことを考えていた矢先だった。
ホームの混雑が激しくなったのか、急に後ろから押されだした。
「ちょ…危な…」
「何!?やめ…」
渡辺と高島の2人は、気がつくと駅の線路内に押し出されていた。
目の前には急行の電車が迫っており…
「きゃあああああ!!」
ホームにいた女性の悲鳴で多くの人が状況を察した。
2人は帰らぬ人となった。
その混雑していたホームは、死体を見たくない人と見たい人で入り混じり、ごった返していた。
混雑の中で後ろに下がった人混みの中には、田中の姿があった。
「直接手を下したくは無かったんだけどな。高橋がひ弱だったせいで俺がやる羽目になっちまったじゃねえか」
そう言うと、汗をかいた顔を手で少し拭った。
「やば」
田中はトイレに急いだ。
慣れた手つきで鏡を見ながら顔の大きな火傷の跡をコンシーラーで隠していく。
「それにしても、火傷の跡を隠しただけで昔いじめた奴の顔すらわからなくなるなんて、高島も渡辺もどうかしてる。こっちにとっては今だに悪夢を見るのに。…まあ、これでもう関係ないか」
田中は火傷の跡を隠し終えると、会社に遅れる旨を電話で説明し始めた。