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 朝から雨が降っていた。

 夏休みは今日で終わりである。明日はいよいよ文化祭が行われる。

 雅成にとって、今年は忙しい夏休みとなった。これほど積極的な日々を過ごしたのは、初めての経験だった。

 それはギターの練習に明け暮れていたからか、それとも麻希と一緒に居られたからか。

 夏祭りの日から、彼女は将来のことを一切口にしなかった。もうおそらく決心はついていて、これ以上赤の他人に語る必要はないと考えているのかもしれない。

 雅成としても、今更その話を蒸し返すわけにはいかなかった。

 心のどこかに小さな穴が空いてしまったようだ。四六時中、その穴から何かが漏れている感じがする。

 どれだけ麻希と一緒に居ても、まるで心が満ち足りないのだ。むしろ、その穴がどんどん広がっているような気がした。

 そんな気持ちを吹き飛ばそうと、ギターを構えてみる。

 しかし麻希がいない演奏は薄っぺらなものに思える。やはり彼女の歌が必要だ。主役のいないドラマには虚しさを覚える。

 昼を過ぎてから、麻希の携帯に掛けてみた。

 これは一体何のための電話なのか、自分でもよく分からなかった。

 確かに呼び出してはいるのだが、彼女は一向に出なかった。

 そう言えば、麻希は電話に一度も出たことがない。必要以上に人と親しくなることを避けているのだろうか。明らかに自分と距離を置いているように思われた。

 もしそうなら、彼女の携帯を鳴らすのは迷惑でしかない。

 雅成はすぐに電話を切った。

 しばらくぼんやりとギターを眺めていた。もちろんギターは何も語ってはくれない。仕方なく服を着替えた。

 何だか無性に学校へ行きたい気分だった。例の場所で麻希と会えたらいいな、そんな軽い気持ちからだった。

 雅成はギターケースを肩に掛け、雨の中を学校へ向けて歩き始めた。


 夏休みの最後の日、学校には意外にも多くの学生の姿があった。文化祭の実行委員たちである。彼らは慌ただしく雨の中を駆けずり回り、最後の準備に余念がなかった。

 雅成の足は、自然と体育館へ向いた。

 館内をそれとなく覗いてみた。特設ステージの飾り付けもすっかり終わって、いつもは質素な体育館が華やかに生まれ変わっていた。明日はあの舞台に立って、大勢の観客にギターを披露するのかと思うと、わずかに足が震えるようだった。

 立ち止まることなく体育館の裏へと向かった。

 例の場所に麻希が居るかどうかは分からないが、たとえ居なくてもよい。とりあえずあの階段に座ってしばらく考え事でもしよう、そんな気分だった。

 雨が激しくなってきた。

 雨粒が屋根を強く打ちつけている。それはまるで観客の拍手のように聞こえてくる。明日のコンサートは絶対に成功させたいと思う。

 雅成は身体やケースが濡れないように、体育館の軒先に沿って歩いた。しかしそんな努力も、この強い降りにはあまり意味がないようだった。

 こんな強い雨の中、麻希が居るはずもない。

 雅成はわざわざここまで来たことを後悔し始めた。

 しばらくすると、目指す方角から女性の声が幾重にも重なって聞こえてきた。その声は、雨の音に負けじと大きなものだった。

 (一体、何だろうか?)

 いつもは静かな体育館の裏で、何か異変が起きていた。

 雅成は悪い予感を抱いて、自然と駆け出した。

 階段付近に、女子生徒たちが傘を差して群がっていた。彼女らは何かを取り囲んでいるようだった。

 雅成は慌ててその人垣に近寄った。

 ただならぬ気配を感じる。

 彼女らを押し除けるようにして、視界を確保した。

 そこには、麻希が立っていた。ずぶ濡れだった。白いブラウスが身体に張りついている。

 麻希ともう一人の女子生徒が対峙しているのだった。

 その女子も激しい雨に身を任せたままである。お互いが睨み合っている。

「おい、何しているんだ」

 雅成は思わず叫んだ。

 その場に居合わせた生徒たちが一斉に雅成の方を振り返った。全員が女子であった。

 麻希と睨み合っている女子の顔に見覚えがあった。いつか彼女を尾行していた連中の一人に間違いなかった。

 麻希がトラブルに巻き込まれているのは明らかだった。

「麻希、どうした、大丈夫か?」

 雅成は、そう呼びかけた。

 周りの女子を掻き分けて真ん中に出た。

 麻希の目は、自分をも睨みつけているようだった。ただこの激しい雨足では、それすらよく分からない。

 見ると足下にはタバコの吸い殻がいくつも落ちていた。

 もしや、吸っているところを見つかったというのか。もしそうだとしたら、それは非常に分が悪い。学校側に知られたら処分されるのは間違いない。いや、それよりもこれから芸能界デビューを控えた歌手にとって、スキャンダルになりかねない。

 雅成は考えた。ともかくこの事態をうまく収拾せなければならない。

「やっと来てくれたのね、待ってたんだよ」

 その声は、麻希ではなかった。名前も知らない、ずぶ濡れの女子だった。

 雅成の頭は混乱した。

 彼女は何を血迷っているのか。自分は麻希の味方である。

「一体、何のことだ?」

 不快な気持ちが、言葉になった。

「とぼけなくてもいいって。もうバレてしまったんだから」

 その女子は続けた。

 外野からも「そうだよ」という声がした。

 雅成は慌てた。どういうことだ。

「だからさっきも言ったでしょ。彼も私たちの仲間。今まであんたを騙して、人前に引っ張り出そうとしてただけ」

 女は、今度は麻希に向かって言った。

 まるで言葉の意味が分からなかった。

「たばこを吸っているのは、紛れもない事実でしょ」

 傘の中から声がした。

 麻希はその声の方へ強い視線を向けた。

「私、吸ってない」

「嘘言わないで。じゃあ、そこに落ちている吸い殻は何よ?」

 別の鋭い声。

「私じゃない」

「あんたじゃなきゃ、誰のものって言うの?」

「知らない。でも、もう吸ってない」

 雅成はしまった、と思った。麻希は口を滑らせた。

「今、もう吸ってない、って言ったわよね。ということは、やっぱり以前に吸っていたんじゃない」

 鬼の首を取ったような勢いで、ずぶ濡れの女が言う。やはり失言を見逃してはくれなかった。

 とにかくこの場を逃げ切る方法はないのか。このままでは、麻希の将来に大きな傷がつく。

「何言っているんだよ。それは俺が吸ったんだ、麻希のじゃない」

 雅成は咄嗟にそう言った。

 周りの女子連中は言葉を失ったようであった。誰もが沈黙した。

「麻希は吸ってない、関係ないんだ」

 語気を荒げて、重ねるように言った。

「何言っているのよ。この子がタバコを吸っているって、あなたが教えてくれたんじゃない」

「嘘だ」

 雅成は叫んだ。

 次の瞬間、麻希は体当たりをして円陣を突き破った。

 とっさの出来事で、雅成はどうすることもできなかった。

 麻希の後ろ姿だけが小さくなっていく。

 自分も彼女を追わなければならない。

 いや、その前に、この連中に確認することがあった。

「おい、お前たち」

 雅成はすごんだ声を上げた。こんなやり方で人を脅したのは生まれて初めてだった。

「麻希に一体何をしたんだ?」

「化けの皮をはいだだけ」

 一人がそう言った。

 雅成はその声の主を睨みつけた。

「どういうことだ?」

「そう、かっかしないで。あんたもどうして、あんな不良の肩を持つの?」

「彼女は不良じゃない」

 雅成は声を張り上げた。

「タバコ吸っていたのは事実でしょ。それなのに、清純気取りでコンサートに出るなんて許されないわ」

 別の女が言った。

「真実を暴いて何が悪いの?」

 要するに寄ってたかって麻希をいじめていた、そういう訳だ。

 これ以上、この連中と話すことはない。

 麻希を追おう。

 雅成は彼女らを突き飛ばして全力で駆け出した。


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