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 そのアルバムには、ある女性の成長記録が収められていた。

 生まれたばかりの双子。二人の赤ん坊は、まるで鏡に映したようにそっくりである。

 ページを繰る度に、園児、小学生、中学生と二人の娘は成長していく。たまに独りで写った写真もあったが、そのほとんどは二人が並んでフレームに収まっていた。

 しかし途中から、カメラは片方の少女だけを追うようになる。

 背がすらりと高く、髪の長い少女。間違いなかった。

 篠宮麻希である。

 さらにページをめくると、舞い散る桜の中、校門を背に一人の少女が立っていた。口を真一文字に結び、じっと正面を見据えている。高校生活に対する期待と不安が入り交じった表情である。

 高校に入学したばかりの麻希の姿がそこにあった。 

 この風景には見覚えがある。

 毎朝通り抜ける校門である。後ろに見えているのは雅成の通う学校だった。

 しかしどこか妙である。

 麻希の着ている制服に違和感を感じる。そう、違うのだ。この制服は雅成の学校のものではない。

「制服が今と違うでしょ」

 知らぬ間に麗奈が盆を持って、すぐ横に立っていた。

 それからコーヒーカップを二つテーブルに置いた。

 まさか、そんなことがあるものか。

 雅成の前では、彼女はみんなと同じ制服を着ていたではないか。

 もう一度写真に目を落とす。これは近年撮られたものではないのか。とすれば、麻希が高校へ入学したのはもう何年も前ということになる。

 麻希は一体何歳なのか?

 雅成はアルバムをしっかり持ち直して、先頭のページまで戻った。

 最初のページに、この世に生を受けた双子の姿があった。そこに小さく生年月日が添えられている。

 雅成は目を疑った。

 まるで年号が一致しない。自分の生年月日とは十年以上の隔たりがあった。

 これは一体どうしたことか。

 麗奈の言う通り、麻希は過去の人なのか。

 これは自分の理解を超えている。もはや世の中の理屈は、麻希に関しては通用しないようだった。

 言葉が出なかった。

 では、今日の昼まで一緒にいた、あの少女は誰なのか。

 答えを見つけることができないまま、雅成の手はページを元のところへ進めていた。まだ分厚いアルバムは半分も進んでいない。この先に答えがあるのではないか、すがるような気持ちだった。


 高校時代の写真は圧倒的に数が少なかった。

 突然、私服姿の麻希が台紙を埋めるようになる。マイクを片手に歌を唄っている写真が一気に押し寄せてきた。

「妹は、高校二年の夏に中退したの。ある音楽プロダクションにスカウトされていてね」

 いつの間にか雅成のすぐ横に腰掛けていた麗奈が、そう説明した。

 その言葉を裏付けるかのように、それ以降の写真は全て、華やかに彩られた世界が続く。

 刺激的で派手な色合いが彼女を取り囲んでいる。そこには自然な風合いはまるで感じられない。人工的に彩られた商業写真である。これまで彼女が写っていた写真とは一変していた。

 そこには日常生活とは無縁の異質の空間が広がっている。

 それまで自然体だった麻希も、徐々に商品として変貌を遂げていくのが分かる。

 確かに芸能人は商品である。これはもはや個人の記録ではない。スターの生写真が散りばめられた写真集に過ぎない。

 雅成はどこか寂しい気持ちになった。もう写真の中でしか、彼女とは会えないのだろうか。

 しかしそんな中にも、プライベートな写真が見つかった。

 プロダクションの事務所で撮ったものだろうか、恰幅のよい中年男性と写ったものや、高級料理店で芸能人らしき若い連中と談笑しているものもあった。

 アルバムの最後には、麻希のサイン色紙やCDが挟んであった。それらは決まって麻希の笑顔が印刷されている。それらは立派な商品であった。

 雅成は複雑な気分になった。

 果たしてこれは自分のよく知っている麻希なのだろうか。それともまるで違った人格の麻希なのだろうか。

 CDジャケットには、「紀美山紫乃」という文字が躍っていた。

 しかしそれは雅成にとって何も響かない名前だった。やはり自分にとって、麻希は麻希でしかない。

「それね、『きみやましの』って読むの。『しのみやまき』という文字をバラバラに並び替えたものなの」

 雅成は複雑な気分でアルバムを閉じた。

 麻希はどうやら、この麗奈と双子の姉妹であることに間違いない。そして彼女は高校を中退して芸能界へ進んだ。

 ここまではよい。問題は、自分の目の前に現れた麻希である。彼女は一体何者なのか?

「紀美山紫乃さんは、今はどうしているのですか?」

 雅成はようやくそんな質問を発した。今はとにかく手がかりが必要だった。麻希についてどんなことでも知りたいのだ。

「妹が芸能人として成功したか、ってこと?」

 確かにそれも知りたい。

 だが一番の興味は、彼女が今どこにいるのかということである。しかしそれを説明するのが少々面倒に思われて、雅成はそのまま頷いて見せた。

「デビューしたての頃はちょっとはチヤホヤされたんだと思う。誰だって最初は物珍しいものだから。

 でも、あの程度の歌唱力では、所詮芸能界では生き残れない。売れるには、才能よりもむしろ個性的なキャラクターが必要なの。あの子のように引っ込み思案で、人目を気にするような性格では駄目。

 人を押し分けてでも、自分をアピールするような、そんな図々しさが必要なのだと思う。とにかく他人より目立たなければ、売れやしないわ。

 所詮、妹には無理だったのよ。姉の私にはよく分かっていた。だから私は最後まで芸能界入りには反対したのに」

 麗奈の軽いため息が漏れた。

「麻希さんが死んだって、本当なんですか?」

「さっきは勢いでそんなこと言ったけど、姉としてはもちろん信じたくはないのよ」

 その言葉に雅成の心が動いた。

 やはり彼女は死んではいない。絶望が希望に変わる瞬間だった。

 彼女は生きている。

 そうだ、当たり前のことを忘れていた。今日まで一緒に学校生活を過ごしてきたではないか。

「妹は芸能界で行き詰まって、相当悩んでいたみたい。どんどん仕事も減って、終いには自分の存在価値すら見い出せなくなっていたのだと思う。それで、ある時突然失踪したの」

「失踪?」

「そう、行方不明。事務所の方からも何度も連絡があったけど、ここには戻ってきてないの。

 事務所の意向で、紀美山紫乃は芸能界を引退したことになってる。

 その方がどちらにも傷がつかなくていいらしいのね。でも、結局事務所は売れない歌手を一人芸能界から葬り去っただけのこと。

 後から聞いた話では、同じ事務所の無名タレントと駆け落ちしたという噂もあったみたいだけど、真偽の程は分からないわ。

 売れない者同士、どこか知らない町で密かに暮らしているのかもしれないし、一緒に自殺したのかもしれない」

 雅成には言葉もなかった。

「でもバカよ、あの子は。一人で悩んだりせず、私に相談してくれればよかったのに」

 いつしか麗奈は涙声になっていた。


 雅成はうつむいて一人考えた。

 そういうことなら、麻希は自ら命を絶っているのかも知れない。自分の知っている麻希は、実は亡霊に過ぎなかったのだ。

 麻希の姿は幻覚だったということか。それにしても雅成には信じることなど、到底できなかった。

 麻希は確かに生きていた。

 髪を揺らして笑う顔や、歌う時の真剣な眼差しは、雅成の目の前にはっきりと存在していた。手を伸ばせば、彼女の温もりに触れ、重ね合わせた唇もしっとり潤っていた。

 やはり麻希は自分にとって、現実だったのだ。

 いや、それだけではない。教師や生徒らにも彼女の姿は見えていた。

 死んでからも、麻希には人並みの高校生活を過ごしたいという強い願望があった。芸能界を急ぐあまり、経験できなかった高校時代が諦め切れなかった。

 芸能界で挫折を味わい、自暴自棄になった時、置き忘れてきた普通の生活への憧れは、より一層強くなったことは想像に難くない。

 その強い願いが、彼女の魂に命を吹き込んだのかもしれない。

 春、新学期に合わせるように、麻希は二年生のクラスに降り立った。偶然にも自分の隣の席に座ることになり、彼女の高校生活が始まった。

 そして今日、突然学校を去っていった。同時に人々の記憶からも消えていった。

 麻希は二度目の高校生活をどんな気持ちで過ごしていたのだろうか。

 今日のコンサートの失敗が、芸能界での挫折と重なり合ったのかもしれない。それが第二の高校生活に幕を引くきっかけになったのだろうか。

 姉の言う通りだと思う。

 麻希はバカだ。どうしていつも一人で悩んでるんだ?

 その昔、双子の姉がそうであったように、今度は雅成が助けてやれた筈である。どうして心の内を明かしてくれなかったのだろう。

 ああ、そうか。今やっと分かった。

 雅成は麻希にとって頼りない存在だった。二度目の高校生活はそんな弱い人間ではなく、もっと強い人間が登場して、彼女を成功に導いてやるべきだった。

 虐められ、無視され、自分の得意とする歌さえも聞かせることができなかった麻希。

 結局、そんな彼女を助けてやれなかったのだ。

 雅成の目には、自然と涙が湧いた。

 (ごめんな、麻希。力になれなくて)

 静かな応接間には、麗奈と雅成の涙をすする音だけが響いていた。

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