第33話 雪
その日の朝は、いつもよりも寒く感じられました。
「……寒っ!」
わたしは寒さで、目が覚めてしまいました。
ベッドから出たくありませんですが、ご主人様が起きてきたときに、寒くてはいけません。わたしは意を決してベッドから出ますと、すぐに服を着替えました。
着替えを終えますと、冷たい空気の中を歩きながら、わたしは暖炉に向かいました。
まずは暖炉に火を入れなくてはなりません。
暖炉の中に薪を並べ、古新聞を隙間に詰めてそこに火をつけます。今朝はとても寒いので、普段は使わない石炭も少し入れました。おかげですぐに燃え上がり、暖炉が暖かい空気を部屋に放ってくれます。
「あっ……!」
暖炉に火を入れたわたしは、窓のカーテンを開けた直後、外の景色に目を奪われました。
外はいつの間にか、一面銀世界になっていました。
昨日の夕方までは無かった雪が、街を覆い尽くしていました。
街灯も通りも外のゴミ箱も、全てが真っ白です。
わたしは、昨夜のラジオから流れてきた天気予報を思い出しました。
ご主人様が聴いていたラジオから流れてきた天気予報では、夜中から雪が降ると予報されていました。そして現在、その予報通りに雪が降っています。
寒いわけが、よく分かりました。
「うう……見ているだけで心の中まで雪が降ってきそう……!」
わたしは窓から離れて、朝食の準備に取り掛かりました。
わたしは、雪景色があまり好きではありません。
雪はわたしにとって、救貧院での冬の強制労働を思い出させるからです。
雪が降る中での強制労働は、多くの収容された人にとって、辛い日々だったはずです。
わたしも雪が降る中、強制労働でひたすら穴掘りをさせられたことがありました。今でも時々悪夢として見てしまうほど、記憶の奥に焼き付いてしまっています。
そのとき、わたしの耳がご主人様の足音をキャッチしました。
「うー……今朝は寒いなぁ……」
「おはようございます、ご主人様!」
「おはよう、マリア……おぉっ、雪だ!」
窓の外に気づいたご主人様が、窓辺に駆け寄りました。
窓の外を眺めるご主人様の目は、まるで子供のようです。
「なるほどなー。通りで寒いわけだ」
「ご主人様、雪はいつまで続くのでしょうか?」
「うーん……冬が終わるまでの間には、何度か降るんじゃないかな?」
わたしの問いかけに、ご主人様はそう答えました。
「そうですよね……」
「マリア、元気がないみたいだけど、体調でも悪いのか?」
「い、いえ! 違います!!」
慌ててわたしは、首を振りました。
今さら過去の救貧院でのことを話しても、重い空気になってしまうだけです。ご主人様はこれから仕事に取り掛かるのですから、わたしが重い空気にしてしまうのはいけないと思いました。
「寒いのと、お腹が空いていて元気が出ないだけです」
「確かに、こう寒くてお腹も空っぽなら、元気が出ないな」
よかった。
ご主人様が納得してくれました。
「もう少しでできますから、待っていてください」
わたしはキッチンに戻り、駆け足で朝食を作りました。
オレはマリアが作った温かい朝食を食べた後、仕事に取り掛かった。
仕事をしながら時折、事務所の掃除をするマリアを見た。
マリアは外を見るたびにため息をついて、また仕事に戻るということを繰り返していた。
オレはそれが、不思議でしょうがなかった。
そう思ったのは、マリアが獣人族狐族の少女だからでもあった。雪を見てはしゃぐことが多い獣人族狐族だが、マリアはそうはならない。むしろため息をつくことから、雪があまり好きではない様子だ。
どうしてなのかは分からないが、だからといって聞き出すようなことはしない。
知ったところでどうかなるものでもないだろう。
それに、オレの仕事には関係のないことだ。
オレは仕事に一区切りをつけると、トレンチコートを羽織った。
これから、取引先に書類を持って行かなくてはならない。
オレは雪が降る街中に出ると、すっかり雪が積もった通りを歩き始めた。
ご主人様が帰ってきましたのは、午後になってからでした。
それまでわたしは、暖炉の前で休憩をしていました。
雪が降るほどの寒さの中、暖炉の前にどれだけ長居しても、誰からも怒られない。まるで夢のような時間を、わたしは過ごしていました。
ご主人様のおかげで、わたしは寒さの中で震えなくて済みます。
暖炉の中で燃える炎は温かさだけでなく、安心も与えてくれました。
少しウトウトしかけた頃、事務所のドアが開きました。
わたしは反射的に立ち上がり、事務所のドアに駆け寄りました。
「ご主人様!」
慌ててわたしは、ご主人様に駆け寄りました。
ご主人様は身体全体に、雪がかかっていたのです。
コートはもちろんのこと、頭やカバン、靴まで雪がついていない場所はないくらいでした。
わたしは救貧院で、雪まみれになっていた同室の人を思い出してしまいます。
雪を落とすこともできず、すぐにまた吹雪の中で強制労働をさせられていた男性。食事はわずかなパンと塩気のあるスープ、そして粥。食事をしている時も雪まみれで、食事をしている姿勢のまま、雪にまみれて亡くなりました。
「けっこう、雪がすごいよ」
ご主人様はそう云って笑いますが、わたしはそれどころではありませんでした。
雪まみれで亡くなった男性と、ご主人様が重なってしまいます。
すぐに雪を払い落とそうと、わたしは手を伸ばしました。
突然、ご主人様がカバンを置き、わたしの手を握りました。
「マリア、すごいぞ!」
「ひゃっ!?」
ご主人様の強い力に引っ張られて、わたしは外に連れ出されてしまいました。
暖かい室内から、一気に雪が降る街中への移動。わずか数メートルほどの距離しかないのに、わたしには大移動にも思えてしまいました。
「ごっ、ご主人様!?」
寒さの中に連れ出されたせいか、わたしの声は震えていました。
メイド服は厚めに作られてはいますが、この寒さを防ぐには少し心もとないです。
すると、ただでさえ寒いのに、ご主人様がコートを脱いでしまいました。
脱いだコートから、ご主人様は雪を払い落とします。
ご主人様が何を考えているのか、わたしにはさっぱり分かりませんでした。
「ご主人様、わたし、雪は――」
「寒いからな、ほいっ!」
わたしの言葉を遮って、ご主人様は脱いだコートをわたしの肩に掛けてくれました。
コートにはご主人様の温もりが残っていました。
寒い中に、コートを通して伝わってくるご主人様の温もり。
不思議とわたしは、寒さを感じなくなってしまいました。
「マリア、これをご覧よ!」
ご主人様が、なぜか事務所の窓を指さしていました。
事務所の窓に、何があるのでしょうか?
ご主人様から云われた通り、わたしは指さす先へと視線を向けました。
「あっ……!」
そこにあったものを見たわたしは、思わず声を漏らしました。
そこには小さな雪ダルマが2つ、並んでいました。
ただの雪ダルマかと思いましたが、そうではありませんでした。
小さな木の実や小さな木の枝を使って、雪ダルマに顔が書かれていました。それによく見ますと、雪ダルマの片方は獣耳のようなものがついていました。
「マリアをイメージして、作ってみたんだ。似てる?」
ご主人様はまるで子供のように、雪ダルマの出来栄えをわたしに訊いてきます。
雪ダルマなんて、誰が作っても同じのはずです。
ですが、ご主人様が作った雪ダルマは、どこかわたしにそっくりに見えました。
「……似ていますね」
わたしは気がつきますと、雪ダルマをじっと見つめていました。
そうしているうちに、記憶の奥底にしまい込んでいた、救貧院での出来事を思い出してきました。
雪が降った冬の日に、わたしは職員の目を盗んで友達と遊んだことがありました。
そこでわたしは、雪ダルマを友達と一緒に作りました。わたしはその雪ダルマに愛着が湧いてしまい、暖炉がある部屋に持ち込んで溶かしてしまったことがありました。
雪を食べてみたこともあります。
そんなことを、思い出してしまいました。
辛い救貧院での日々、少しの間でしたが、辛い出来事を忘れられた時でした。
雪の日は辛い思い出しかないと思っていましたが、そうではありませんでした。
わたしはご主人様と一緒に、しばらくの間、雪ダルマを見ていました。
「……ご主人様、寒くはありませんか?」
少し時間が経った頃、わたしは雪ダルマを見ながらご主人様に訊きました。
「うん……確かに、少し寒いな」
ご主人様がそう云い、わたしはポケットから懐中時計を取り出しました。
外に出てから、もう5分も経過していました。
わたしの手も、氷のように冷たくなっているでしょう。
「では、そろそろ中に入りましょうか」
「そうするか」
いつの間にか、わたしは笑顔になっていました。
ご主人様も笑顔で、寒くてもその笑顔は暖かかったです。
わたしとご主人様は事務所に戻りますと、まずは暖炉の前で冷えた身体を温めました。
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次回更新は、9月5日の21時を予定しております。





