第19話 出張~後編~
デネブ伯爵のカントリーハウスを出発したオレたちは、夕陽の中を自動車でホテルへと向かっていた。
カントリーハウスを出発した頃から、だいぶ夕陽は傾いていたが、ホテルに向かっている途中でどんどん夕陽は傾いていった。
西の空に沈んでいく太陽は、美しいトワイライトを残して消えていこうとしている。
「きれいですね、ご主人様!」
「あぁ、こんなにきれいなトワイライトを見たのは久しぶりだ」
オレはハンドルを握りながら、ホテルへと車を走らせた。
ホテルに戻ってきたオレたちは、部屋に腰を下ろした。
「さて、そろそろ一息つくかな」
「ご主人様、お茶を準備いたしましょうか? それともお風呂になさいますか?」
「お茶を頼むよ」
マリアからの問いに答えると、マリアはすぐに部屋に備え付けの紅茶を準備し始めた。
それにしても、久しぶりに大量の書類を書いた。おかげで、右手が痛くてしょうがない。
少し、揉んでマッサージしておいたほうがいいな。
オレはゆっくりと、左手で右手をマッサージし始めた。
「ご主人様……手、痛みますか?」
マリアが、淹れたての紅茶をオレの前に置いて、訊いてくる。
「あぁ、大したことないよ」
オレはそう云うが、本当は痛みが強かった。
だが、それをマリアに悟られたくない。
すると、マリアがオレの右手に自分の手を重ねてきた。
オレが戸惑っていると、マリアはオレの手を優しくマッサージしていく。
「ご主人様、手は大切なものです。お仕事ももちろん大切ですが、ご自分のお体も大切にしてください。疲れた手は、わたしがマッサージいたします」
「マリア……」
「ご主人様、不便ではあると思いますが、空いている左手で紅茶を召し上がってください」
「マリア……ありがとう」
オレは左手でマリアが淹れてくれた紅茶を飲む。
マリアだって、オレと同じくらいに書類に記入していたはずだ。疲れているのは、マリアも変わらないだろう。
それなのに、マリアはオレのために……。
マリアには、何かお礼をしないといけないな。
やがて、マリアのマッサージでオレの手の痛みは完全に取り除かれた。
オレとマリアは、ホテルの1階にあるレストランへと入った。
「ご主人様、今夜は何になされますか?」
「今日は、マリアのもオレが決めていいか?」
「えっ? ……は、はいっ。もちろんいいですが……?」
「ありがとう。すいませーん」
オレがウェイターを呼び、注文を告げる。注文を受けたウェイターは、一礼をして去っていく。
「ご主人様、何を注文されたのですか?」
「来てからのお楽しみだ」
先に運ばれてきたのは、1本のワインボトルと2個のワイングラスだった。
ウェイターが去っていくと、マリアがワインボトルを手にしようとした。
しかし、それよりも先にワインボトルを手にしたのは、オレだった。
そしてオレは、マリアのワイングラスにワインを注いでいく。
その一連の流れを見ていたマリアは、信じられないという表情でオレを見ていた。
「ごっ、ごごごっ、ご主人様!?」
「マリア、乾杯しよう」
「はっ……はいっ!」
オレは自分のワイングラスにワインを注ぐと、ワイングラスを手にした。
「マリア、今日はお疲れ様。乾杯!」
「ありがとうございますっ!」
不慣れな様子で、オレが差し出したワイングラスに、マリアはワイングラスをそっとぶつけた。
それから少しして、オレが注文した料理が運ばれてきた。
「お待たせいたしました。サーロインステーキです」
「ふえっ!?」
マリアが変な声を出し、目の前に置かれたサーロインステーキを見て目を見張る。
サーロインステーキは大きく、付け合わせの温野菜もある。
これは非常に良い肉を使っているみたいだ。ここのホテルを選んで、大正解だった。
ウェイターが去っていくと、オレはフォークとナイフを手にする。
「さぁ、マリア、冷めないうちに食べ……」
オレはそこまで云いかけて、マリアを見た。
マリアはフォークとナイフを交互に見て、目を丸くしている。
「もしかして……ステーキを食べるのは初めて?」
「は……はい。申し訳ございません、ご主人様」
「いや、気にしなくていい。オレが食べ方を教えるから、それを真似して食べればいい」
オレはそう云って、ステーキの食べ方を実際にマリアの目の前でやってみせる。
一度見せただけで、マリアはすぐにステーキを食べれるようになった。マナーとしても大丈夫だ。
「どう? ステーキの味は?」
「……とっても、美味しいです!」
マリアはフォークとナイフを置き、ワインを一口飲んだ。
「ワインとも、とてもよく合います。こんなに美味しい料理を食べたのは、初めてです……」
「うん。美味しいな」
「ご主人様、ありがとうございます!」
マリアがオレに、笑顔でお礼を伝えてくれた。
その時、オレはマリアの笑顔を真正面から目にした。
オレと同じくらいの年齢の少女であるマリア。
そんなマリアの幸せそうな笑顔に、オレは見とれてしまう。
マリアはこんなにも、可愛かったのか。
「よ……喜んでくれて、良かった」
オレはワイングラスのワインを飲み干す。
そしてステーキを食べ進めていった。
オレとマリアは夕食を終えると、ホテルの部屋へと戻った。
シャワーを浴びようとして、オレは失敗したことに気づいた。
ホテルの部屋にシャワールームはあったが、更衣室は無かった。
マリアに先に入ってもらおうと思っていたが、そうなるとオレの目の前で服を脱いでもらわないといけなくなる。
マリアも、そんなのは嫌だろう。
さて、いったいどうしたものか……。
ここは、オレがホテルのロビーで待つしかないな。
オレがそんなことを考えていると、オレの背後に人の気配を感じる。
振り返ると、そこにはマリアがいた。
「ご主人様、シャワーを浴びるのは……」
「マリア。これからオレは1時間ほどロビーに行ってくるから。その間に……」
「ご主人様、お気になさらないでください」
マリアは少し顔を赤らめながら、オレにそう告げた。
「わたしは、ここで着替えます。ご主人様にでしたら、見られても――」
「いや、いい!!」
オレは心臓がバクバクと動くのを感じながら、マリアの言葉を遮った。
「ロビーでくつろいでいる! 1時間したら戻ってくるから!!」
オレは部屋のキーだけを手にして、逃げるようにホテルの部屋を出てロビーに向かった。
ロビーに到着したオレは、新聞を手にソファーに腰掛けた。
そこで新聞を読みながら、オレは1時間ほど時間が過ぎていくのを待ち続けた。
1時間後、部屋に戻ってくると、そこにはホテルのローブに着替えたマリアがいた。
「ご主人様、お手数をおかけしてしまい申し訳ございませんでした」
マリアは湯上りだからか、少しだけ顔が紅いような気がした。
「じゃあ、オレもシャワーを浴びてくるよ」
「あっ、それではわたしもロビーに――」
「その必要はない」
オレはローブとタオルを手にする。
「シャワールームで着替えるよ。明日、帰ったら洗濯すればいい。それにマリア、ホテルの廊下はローブで歩くのはマナー違反なんだ」
オレがそう云うと、マリアは手にしていた部屋のキーを置いた。
それを見たオレはゆっくりと頷くと、シャワールームへの扉を開けて中に入った。
オレがシャワールームから出てくると、マリアはあくびをしていた。
それが移ったのか、オレも大きなあくびをする。
どうやら、疲れたみたいだ。
やることもないし、今日はそろそろ寝よう。
「マリア、そろそろ寝ようか」
「はい、ご主人様」
マリアは素直に頷き、ベッドに入った。
部屋の中には2つのベッドが並んでいて、オレとマリアはそれぞれのベッドに入り、布団をかぶる。
室内の照明は、枕元にあるボタンで操作できるようになっている。全く持って、便利な機能だ。
「そろそろ消すぞ。おやすみ、マリア」
「はい。おやすみなさいませ、ご主人様」
マリアがそう云うと、オレは枕元のボタンを押した。
部屋の中の照明が全て消え、闇に包まれる。
しばらくしてオレとマリアは、寝息を立て始めた。
オレとマリアが目を覚ましたのは、いつもより遅めの時間だった。
たっぷりと眠ったからか、スッキリした目覚めだ。
ローブから、いつもの服に着替えたオレたちは、昨夜ステーキを食べたレストランへと足を運んだ。
ちょうど今の時間帯は、ブレックファーストメニューが並ぶ時間だ。
そこでの朝食まで、宿泊料金に含まれている。
これを利用しない手はない。
「ご主人様、とっても美味しいです!」
マリアは生まれて初めて食べたホテルの朝食に、驚いている様子だ。
「それに、食べたい分だけ自分で取ってきて食べるなんて、すごいですね!」
「バイキング形式っていうんだ。どれだけ食べても、料金は宿泊料金に含まれているから、好きなだけ食べてもいいぞ」
「はい。なんだかもったいないので、いっぱい食べたくなっちゃいます」
「ただし、残すと追加料金を取られるから、ほどほどにね」
オレがそう云うと、マリアはオレンジジュースを飲み干した。
「……はい! でも、自分で朝食を準備しなくていいなんて、なんだかホテルの人に悪い気がしますね」
「そんなこと気にしなくていい」
オレはそう云って、ベーコンを口に運ぶ。
「ここではマリアは使用人じゃない。お客さんだ。ちゃんとチェックアウトの時に、料金は支払うから大丈夫。それでも気が治まらないなら、チップでも置いていくといい」
「……はい! そうします!」
マリアは笑顔になって、食べかけのパンをつまんでは食べていった。
そして9時過ぎに、オレとマリアはホテルをチェックアウトした。
料金を精算し、領収書を受け取ったオレたちは、自動車で事務所兼自宅へと向かっていった。
事務所兼自宅へと戻ってくると、オレとマリアは自動車から荷物を下した。
洗濯するものはマリアが回収していく。
オレは書類カバンやスーツケースを手にして、事務所のカギを開けた。
書類カバンを事務所の机に置き、オレはゆっくりとイスに腰掛ける。
やっぱり、ここにいると落ち着く。
仕事をするなら、自分の事務所が一番だな。
そんなことを考えていると、マリアが戻ってきた。
「ご主人様、お疲れ様でした」
笑顔で告げるマリアに、オレも思わず笑顔でこう返した。
「マリアも、お疲れ様」
「ありがとうございます!」
オレの言葉に、マリアは一層笑顔になった。
オレは自然と、気持ちが穏やかになっていくのを感じた。
今日も、楽しく仕事ができそうだ。
そんな気がしたオレは、さっそくデネブ伯爵へ送る請求書を作り始めた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
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次回更新は、8月22日の21時を予定しております。
大変長らくお待たせいたしまして、申し訳ございませんでした。
本日よりまた連載を再開いたします。
お盆と仕事が一気に重なり、多忙になっていました。
再開が遅くなってしまったこと、深くお詫び申し上げます。





