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夢の手触り

作者: 白木 明希



  さっきまで泣いていたはずなのに、気が付くと涙は消えていた。布団の中で体が汗ばみ蒸れて気持ちが悪い。小さな頃のおねしょの悲惨な感触。耳や喉にはまださっきの自分の泣き声がわだかまっている。全ての神経に号泣の感触がのしかかっている。

  夢だったのか。時計の針の動く音。額の汗を拭く。しかし、あれは何だったのだ。いや考えるのはよそう。時計を見る。まだ朝まで時間がある。寝てしまわなくては。

  …しかし、変な夢だった。あんな子供のように泣いたのはいつ以来だろうか。それこそ、子供のころ以来ではないか。子供の頃はよく泣いたものだ、あんなふうに……





 公園にはカラメルのような西日が差し込んでいる。何に削がれたのか、尖った形になったオレンジ色の日向が砂場に座るぼくの前を横切っている。まもなくこの公園は子供の嫌う暗闇の中に沈み込んで、遊び場としての今日の役割を終えるだろう。

 僕は横切る日向を線路に見立てて砂場に駅を作り始めた。ここがプラットホーム。三番乗り場、電車が参ります。一日の疲れと重い鞄を持って人々とともに電車に乗り込む。ガタンゴトンと日向に指で電車が走る線を引く。ああ。疲れた疲れた。何とか上手く席に座れた。おなかが減った。今日の夕ご飯は何かな。お母さん何て言ってたっけ。もう帰ろうかなあ。と、その時である。突然のコール音。いつもそうである様に、携帯電話が音を立てて無神経に僕の心に踏み入る。

「…はいもしもし。ちょっと君、こんな時に電話してもらっちゃ困るよ。」

「あら、どうしてですか。何か悪いことでもあるの? もう家ですか?」

「いや……。」

「分かりました。後でかけなおします。」

「いや、いいよ。今でいいから。」

「ふーん。」

「何か用があるの?」

「別に…。」

「…まあ、別に、用なんていらないよ。声が聞けてうれしいしさ…」

 もう、家に帰り、親の顔を見る気分ではなくなった。母の微笑みや家庭の暖かみと彼女の股の熱は離したい。赤い唇。ゆびさき。手のひらで俺を持とうとする女、自分が母親になることをさせなかった女。手術室。蓮の実のような照明。分娩台。

 いつの間にか俺は途中の駅で降りて次の電車を待っている。  

 とりつくろう様な気分である。彼女にだけでなく、この夢にも…。


 夢!


 そうだ! これは夢だ! 俺はさっき悪夢にうなされて起きて、さっきまた確かに寝た。俺は、死ぬ夢を見たんだ。その夢の中での死に際、だんだん息苦しくなってきて、ああ死ぬ、と俺は分かった。その時が来ると死ぬことは、恐ろしかった。俺は死にたくなかった。死ぬことが分かって、俺はパニックになった。自分の大切な肉体が巨大な恐怖に奪われていくのを、肉を剥かれて裸の血だらけの内臓のような心の中で、ひたすら焦りながらどうすることもできずに俺は見た。ああ意識が無くなってしまう。苦しい死にたくない死にたくない、死にたくない、と心の中で叫びながら自分は目を覚ました。

 恐怖と不安と焦りが重たい蜜のようなものになって、その中で自分は溺れて死んだ。そして、目が覚め、もう一度眠った。その記憶が確かにある。これも夢だ。しかしまだ覚めない。と、駅のホームに放送が入る。

 電車が駅に入ります、危ないですので黄色い線の内側に…






 不快感より、安堵感の方が大きかった。ああ解放された、なんて重く苦しい夢なのだろう、でも夢だったんだ。夢の中で芽生えた不安が消えてく。もう朝が来る。携帯を手に取る。午前7時。もう起きなければ。と、電話が鳴った。


「はいもしもし、」

「もしもし、兄さん? いやね、急にね、いま病院にいるんだけど、さっきお母さんが急に苦しみだしてね。それで、救急車呼んだんだけどね、…」


 死の恐ろしさとリアリティが疾走する列車のように迫るのが分かった。


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