表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/34

交渉

 魔女は魔法に集中しているのか、ただじっと虚空を見つめている。

 だから仕方なく剣士はダガーを突き込み続けた。いくら魔力で身体能力を強化しているとはいえ、鎧を着用した体でずっとツタにしがみつくのは困難だった。いずれ力が尽きる。

 庭師も、大亀を拘束し続けるのが大変らしく、かなり消耗しているようだった。


 いちおう戦う気はあるらしいゴブリンが、へっぴり腰で棒を振り回した。ただし大亀からはずいぶん遠いが。

「魔女さま! 早くしないと剣士さんが死んじゃう!」

 しかし魔女はうるさそうな顔だ。

「大丈夫よ。そう簡単に死なないから。それより集中させて」

「けど……」


 必死にしがみついている剣士としては、勝手に「大丈夫」などと判断され、いい気分ではなかった。自分が捨て身で挑んでいるというのに、魔女は離れた位置からやる気のない魔法を撃ち込むばかり。そんなに亀の肉が食べたくないのかと不審に思うほどだ。


 ふと、野次馬がひとりやってきた。

 神の御使いのアルファだ。美しい金髪をなびかせながら、ゆっくり徒歩でやってきて、魔女の横に立った。

「問題ですよ、黒の魔女」

「なんのことかしら?」

「あれは海洋神さまが連れてきた魔物。それを攻撃することは、海洋神さまへの攻撃に等しい」

「あらそうなの? だったらあの亀に壊された家財、飼い主の海洋神さまに弁償して欲しいところね」

 魔女の皮肉に、アルファはやや呆れ気味に肩をすくめた。

「賢明な判断とは思えませんが」

「お互いさまよ。いきなり家を壊されて、黙っていられると思うの?」

「家? あのボロ小屋が?」

「そうよ。あのボロ小屋が家だったの。このひなびた漁村では、それでじゅうぶんなんだから」

 島の住民は、雨風を凌げるだけの小屋に住み、魚をとって暮らしてきた。便利ではない。しかしそれで生きていけた。あの大亀にめちゃくちゃにされるまでは。

 アルファは去らない。

「頑固ですね。ではお手並み拝見といきましょう」

「少し離れなさい。巻き込むかも」

「怖いことを言う」


 魔女が本気になったのは、剣士にも分かった。これまでと魔力の集中が違う。

 戦う前は「エレガントにいく」とか言っていたが、そんなことはもう忘れていることだろう。

 剣士は亀の首を蹴り、大きく後退した。魔法が来る。


 ズドンと砂が隆起し、亀の下顎をかちあげた。予想外の方向からの攻撃だったのであろう、亀はのけぞるような格好のまま、動かなくなってしまった。

 さらにズドンと轟音とともに、まばゆい閃光が起きた。

 稲妻だ。

 大亀の頭部は木っ端微塵となり、辺り一面へと降り注いだ。

 魔女はその肉片をバリアで防いだが、アルファもゴブリンも直撃を受けていた。


 大亀は絶命した。苦しげに手足をバタつかせているが、間違いなく死んでいる。

 アルファはさすがに眉をひそめ、顔に付着した緑っぽい肉を拭った。

「なるほど。海洋神さまと直々に契約しただけのことはあるようです」

「言ったはずよ、巻き込むかもって」

「このことは上へ報告させていただきます。お覚悟を」

「好きになさいな。けれども、その前に水浴びすることをオススメするわ。いまのあなた、とても生臭いもの」

「くっ……」

 アルファは忌々しそうな表情のまま、足早に立ち去ってしまった。


 地面ではゴブリンがのたうっている。

「くしゃいーっ!」

「ほら、ゴブリン。あなたも水浴びなさい」

「魔女さまのバカ! いじわる! 自分だけズルい!」

「腹の立つ子ね。洗えば落ちるんだからいいじゃないの」

 だが同じく亀の肉片を防げなかった剣士も、庭師も、渋い表情で戻ってきた。

「これがあなたの言うエレガントなの?」

「苦情なら神の御使いへどうぞ。寄らないでね。臭いわ」

「あなたって本当に……」

 剣士は溜め息をともに海へ向かった。砂浜でジタバタするゴブリンを引きずりながら。


 *


 水浴びといっても海で洗い流すしかない。

 井戸水もあるにはあるのだが、それほど豊富ではないため、できる限り節約しているのだ。


 一行はいま、火を囲み、鍋で亀の肉を煮込んでいる。

 もちろんあの大亀を食い尽くすことはできないから、大部分は魚の餌とした。

 鍋からは、沼のような臭気がただよっている。虫とも獣ともつかないにおいだ。見つめている誰もが、本当にこれを食べるのかといった顔になっている。言い出しっぺの剣士でさえも。

「煮えたよ……」

 ゴブリンが空気も読まずにそんなことを言った。

 煮えてしまえば、食べなければならない。

 しかし見て見ぬフリもまたできない。

 一同の視線が剣士へ集中した。まずは言い出した自分が食えということだ。

 剣士は意を決し、自分の椀によそった。茹だって白く変色した亀肉が、白濁した汁に浮いている。これなら生のまま貪ったほうがまだマシだったかもしれない。などと思いつつ、剣士は匙を入れた。戦闘で疲弊した体がどうしようもなく食事を欲している。

 汁をすすると、コクと旨味が思いのほか強い。調理中に警戒していたほどの臭みもない。味もうるさくない。塩気もちょうどいい。これはじゅうぶんご馳走と呼べる。


 剣士がひとりでガツガツ食っていると、興味を抱いたらしいゴブリンもあとに続いた。バルバラも、自分にもよこせとばかりに震える手で椀を突き出してきた。

 手を付けなかったのは、顔をしかめている魔女だけだ。

 ジャンも顔をしかめてはいたのだが、バルバラの献身的な介護によって強制的に口内へ流し込まれた。


「ぷはーっ! うまいっ!」

 剣士は大の字になった。

 なにも心配はいらなかった。なんなら海へ行って肉片を回収し、もう一杯作りたいくらいだ。きっといまごろ魚たちも大喜びであろう。

「ちょっと剣士。はしたないわ」

「なによ、魔女。あなたも食べたらよかったのに」

「お断りよ。あとでお腹こわしても知らないんだから」

 魔女はそう言うが、剣士としては「火を通せばだいたい大丈夫」という経験則があった。今回、だいぶ火にかけた。毒さえなければ死ぬこともあるまい。


 *


 問題は、しかし腹の具合ではなかった。

 さして時間を置かずに伝令がやってきて、魔女は塔へ呼び出された。


 月明り差す石の広間。

 魚の兜の巨体を前に、魔女はふてくされた顔で立っていた。

「こちらは家を壊されたの。亀の一匹で済んだことを感謝して欲しいくらいだわ」

「あれをこっちに連れてくるのに、どれだけアストラル結晶がいるのか、お前さんも分からんワケではあるまい」

「では海洋神さま、家を建てるのがどれだけ大変かご存知? それだけじゃないわ。イグサを編んで家具を作り、飾り付けもしていたの。貧しいながらもみんなで住みやすくしていった。そういう思い出まで踏みにじったのよ」

 これに海洋神はうるさそうな表情だ。そんな思い出など知ったことではないといった態度も露骨だ。

「作業がムダになったことには同情する。だが生活に必要なものがあるなら、言ってくれればこちらで手配する」

「ご自身がなにをなさったのか、ひとつも反省なさらないおつもり?」

「だから弁償すると言っているだろう」

「では白くてキレイなおうちを建てて頂戴な。かまどがあって、みんなのお部屋があって、窓があって、お庭にはブランコも欲しいわね。用意できるの?」

「ブランコはいるまい」

「いるの! けど花壇はいらないわ。うちには歩く花壇がいるから」

 魔女の言葉に、海洋神は頭を抱えた。

「あの庭師か。ふらふら出歩いていたと思ったが、まさか魔女に調略されていたとはな」

「調略したつもりはないけれど、なぜだか居座っているわね」

「あれの甘言には乗るな。毒婦だぞ。まんまと乗せられて、壊滅した部隊もある」

「そんな危ない女をなぜ連れてきたの?」

「毒と薬は表裏一体だ。それに、ほかに適材もなかったしな。あれに頼るほかない」

 普段から戦士ばかりを優遇しているせいで、それ以外の人材が育たないのであろう。神界の存在は、だいたい魔力だけは強いのに、まるで魔法が得意ではない。理論を学ばないから、膨大なエネルギーを筋肉の代わりにしか使えないのだ。

 魔女は溜め息をついた。

「まあいいわ。それで、おうちはいつ建てていただけるの?」

「残念だが、その時間はない。代わりと言ってはなんだが、お前さんたちがこの塔に住むことを許す。前に使っていた私室を使え。なにせ狭すぎて、俺では入ることさえできぬからな」

「……」

 ひとりで爆笑しなかったところを見ると、ジョークではないのであろう。声を殺して笑っていた剣士は、魔女から睨まれてしまった。

 魔女は軽く膝を曲げ、辞儀をした。

「では遠慮なく」

 しかしこうなると、なにかにつけて塔を動かせという要求が出てくるはずだ。魔女の私室は、海洋神の居座る広間のすぐ脇にある。


(続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ