報復
塔から魔女へ呼び出しがあった。使者は用件を言わず、ただ急いで来るようにと命じた。
それで魔女は最上階へ赴いた。剣士も武装し、護衛として付き添っている。
月明り差す塔の最上階には、神の軍勢が陣取っていた。全軍ではない。あくまで海洋神を筆頭とした先遣隊だ。
魚を模した愛嬌ある兜の巨神が、この部隊を仕切る海洋神だ。筋骨隆々でがっしりとした男神である。もちろん椅子など役に立たないから、石畳の床へそのまま腰をおろしている。
海洋神の前には赤い絨毯が敷かれ、脇には重武装の兵士がずらっと整列していた。
魔女は構わず歩を進め、膝も折らずに言い放った。
「お招きに感謝するわ、海洋神。黒の魔女よ。ご用ってなんなのかしら?」
これに海洋神はニヤリと口の端をゆがめた。
「久しいな、人の子よ。勝ち気な態度もそのままと見える」
「約束もナシにレディーを呼びつけるなんてマナー違反よ。素直に来ただけ感謝して欲しいところね」
すると海洋神はガハハと豪快に笑った。
「これは失礼した、小さなお嬢さん。じつは頼みがあってな。この塔を、人間たちの住む街まで移動させて欲しいのだ」
「塔を?」
「知っての通り、俺たちは地上界と戦をするためにやって来た。しかしどうも、ここは戦場からは遠いようだからな。近くまで移動させて欲しいのだ。お前さんならできるだろう」
「……」
魔女は幼い顔に難しい表情を浮かべ、返事を渋っている。なにか思うところがあるのだろう。
一方、海洋神は、とぼけたような表情でボリボリと脇腹を掻いた。
「気が進まぬか?」
「そんな命令に従う契約をした覚えはないのだけれど」
「そうだ。命令ではない。しかしお願いでもない。お前さんは塔を動かす。俺たちは、お前さんに褒美を出す。これでひとつどうだろうか」
「褒美とは?」
「希望のものをつかわす」
「命でも?」
「いや、死者を蘇らせることはかなわぬ。それ以外で頼む」
「では地上からの撤退を希望するわ」
魔女の言葉に、海洋神は目を見開いた。怒ったわけではなく、驚いただけだ。
「面白いことを言う。それでは塔を動かす意味がないではないか」
「愚かな人間は神に罰せられればいい。そう思ったことはいくらでもあるわ。ことに、罪もない少女を殺そうと、ひっきりなしに無法者を送り込んでくる場合にはね。けれども、そんなことをしてもきっと心は満たされない」
「戦をせねば、俺たちの心が満たされぬ」
「愚かよ」
「いかに愚かであろうと、だ。俺たちの故郷たる神界は、所詮は終わりなき戦の舞台に過ぎぬ。生まれてから死ぬまでずっと戦が続く。ときおり休戦はするが、それとて戦のための準備期間でな。とにかく戦をする以外、俺たちの心は満たされぬのだ」
筋金入りの戦闘狂のようだ。
魔女も溜め息をついた。
「とにかく、契約にないことまで強制されたくないわ。私が契約したのは、力を授かる代わりに、この島に住み続けること。それだけよ」
「なるほど。意思は固いようだな。いいだろう。お前さんの意見は尊重する。話は以上だ。もう帰ってよい。だが、気が変わったらいつでも来てくれ。歓迎する」
「気が変わったら、ね」
魔女は皮肉じみた笑みを浮かべ、海洋神に背を向けた。
「行きましょう、剣士。こんなところにいたら、頭がどうにかなりそうだわ」
*
しかし浜辺へ帰ると、そこに小屋はなくなっていた。
代わりに、大亀がドシンと鎮座している。
ゴブリンたちは無事だった。慌てて逃げ出したらしく、大亀から距離をとってキャンプをしていた。
「魔女さま! 聞いてよ! 酷いんだよ! あの亀が!」
さっそくゴブリンが泣きついてきた。
なにが起きたのかは見れば分かる。
魔女もさすがにしかめっ面だ。
「家は残念だったけど、みんなが無事でなによりだわ。それにしてもあの魚頭、ここまでするなんて……」
すると庭師まで泣きついてきた。
「これも海洋神さまの仕業なのね? お花を踏み荒らすなんて最低よ。わたくしも協力しますから、一緒にあの大男を退治しましょう? ねっ?」
「あなたはどっちの味方なの?」
「わたくしはいつでも愛とお花の味方。お花を大事にしない邪悪な存在は敵よ」
「そう……」
いまいち動機が怪しいが、魔女はあまり問い詰めないことにしたらしい。
彼女は浜に散らばっている骨に魔法をかけ、髑髏の兵とし、すぐさま自分の椅子代わりにした。
「今回のやり方は、たとえ神とはいえ許容できないわね。借りは返してもらわないと」
貧しいながらも、みんなでイグサを編むなどし、少しずつ住みやすくしてきた。それが一瞬で蹂躙されてしまったのだ。魔女が塔から持ってきた薬品類などもすべてダメにされた。
剣士は焚き火の前に腰をおろし、兜のバイザーをあげ、串に刺さったキノコに齧りついた。たいして味はしないが、イラ立ちを紛らわせるには十分だった。
「魔女、あいつと戦うの?」
「さあ、どうかしら。直接戦ったところで勝てる見込みはないわ。となると、従っているフリをして、なんとか借りを返してもらうのが妥当な案かしらね」
「褒美をくれるって言ってたよ」
剣士の思いつきに、魔女はやれやれと溜め息をついた。
「その代わり、戦争に加担することになるわ。あなたの故郷もめちゃくちゃになるのよ」
「それは困る」
故郷と呼べるような場所はない。しかし世話になった農場が被害を受けるのは許しがたい。あそこに迷惑をかけたくないから外へ出たのだ。
すると庭師が身を乗り出した。
「やっぱり従うフリをするのが一番ね! これならきっとみんなで塔に住めるし、一石二鳥よ!」
「けど、その後は? どんなにゴネたところで、いずれは塔を動かすことになる。そしたら戦争が始まってしまうのよ」
「もし海洋神さまをどうにかしたいのなら、わたくしの毒を使ってを落とすという手もあるわ」
「毒?」
「お花に欲情するようになる神経毒よ。もっとも、わたくしの犯行であることはすぐにバレてしまうし、もし捕まったら口では言えないような罰を受けるでしょうけれど。ああ、ダメよ……そんなに大きなモノは入らないわ……」
なにを想像しているのかは不明だが、庭師は苦悶の表情でぷるぷると震えた。
魔女も渋い表情だ。
「神経毒ね……。それは知識があれば私でも調合できるものかしら?」
「知識だけではダメ。わたくしのお花から抽出したエキスがなければ」
「そのときになったらお願いするわ」
「わたくしが捕まったら、壊れてしまう前に助けに来てね。約束よ」
「……」
庭師は、どこかこの状況を楽しんでいるようにも見受けられる。もしかすると観光気分なのかもしれない。
剣士は串を捨て、立ち上がった。
「ちょっと食い足りないわね。もう少しなにかお腹に入れたいんだけど。たとえば亀とか」
全員がぎょっとした顔になった。
魔女も苦い笑みだ。
「おいしくないと思うけど」
「やってみなきゃ分からないじゃない」
「仕方ないわね」
乗り気ではないようだが、魔女も立ち上がった。
*
ふたりの後ろから、花々を引き連れた庭師と、棒切れで武装したゴブリンがついてきた。
大亀は、自分がなにをしでかしたかも理解していないような面付きで、ただ洋上に浮かぶ月を見つめていた。
ひたすらに巨大であり、月光を受けたそのシルエットは神々しくさえある。
伏せているにもかかわらず、甲羅の縁は腕を伸ばしてよじ登れるかどうかといったところ。のみならず、上で祭りができそうなほど広い。鳥のようなクチバシは、一撃で人体を粉砕できそうだ。
剣士はバイザーをおろし、魔女へ尋ねた。
「どう攻める?」
「前回は力の暴走に任せて八つ裂きにしたわ。けれども今回は、もっとエレガントにいきたいわね」
「あとで食べるんだから、ぐちゃぐちゃにしないでね」
「そんなものを口にするような子とはキスしたくないのだけれど」
「しなくて結構」
剣士は鞘から剣を抜き、ゆっくりと大亀へ近づいた。
亀は気づいているのかいないのか、まったく動きを見せない。
ひとまず前足へ斬りつけた。が、皮膚が強靭だ。ただ硬いわけではない。刃はいくらかめり込むのだが、深く入らないのだ。
足をかけて剣を抜き、さらに真上から振り下ろす。棒きれで洗濯物を切ろうとしているような感覚だ。
大亀がゆっくりと頭を動かした。剣士に狙いを定めつつ、大樹のような前足をのたりと浮かせた。
ふと、砂浜に草花が茂った。ツタが縦横無尽に駆け巡り、大亀に絡みつく。しかし拘束力はあまりないらしく、前足はツタを引き千切って容赦なく振り下ろされた。
ズンと地震のような振動。砂が飛沫のように巻き上がった。
剣士はなんとか踏まれずにすんだが、砂の波を受けて転倒してしまった。さらにツタが亀を縛り上げる。その隙に、剣士は慌てて立ち上がった。
「魔女! 見てないで手伝って!」
「慌てないの。いまどんな魔法を使うか考えてるんだから」
「いいから早くして!」
亀は完全に戦闘態勢に入っていた。ターゲットは剣士だ。
剣士は砂にもつれながらも、亀の正面を避けるべく、とにかく駆けた。側面に回り込むのだ。鎧を着用しているとはいえ、魔力を使いながらならなんとか行ける。
ぐんと首が伸びて、剣士のすぐ脇をクチバシがかすめた。剣士はさらに駆ける。剣を捨て、甲羅から垂れ下がった草に掴みかかる。亀が方向転換するだけで、振り子のように揺すられる。
腹の底に力を込め、なんとか足をかけて姿勢を安定させた。
しかし甲羅の上から攻撃しても意味がない。亀の頭部へ回り込むのだ。剣士はツタを利用して徐々に移動し、なんとか首の後ろへ来た。鞘からダガーを抜き、渾身の一撃。しかし浅い。というより、皮が分厚すぎる。致命傷へは至らない。何度か刺してみるが、亀は少しうるさがるだけ。
「魔女! 早く!」
すると魔力が発動し、氷の杭が飛翔した。それは一直線に亀の目へ直撃。これには亀も大きくのけぞった。剣士は転げ落ちそうになったが、なんとかツタにしがみついた。
第二、第三の杭が亀を襲った。頭部や前足に炸裂するが、しかし致命傷とはならなかった。
「こんなにタフだったかしら」
「本当に倒したことあるの?」
「失礼ね。ちょっと待ってて。いまからもっと凄いの出すから」
「なるべく早くして!」
「ええ、なるべくね」
魔女も遊んでいるわけではないのだろう。攻めあぐねているだけだ。
剣士はなおもタガーを突き立てるが、これでは倒せそうにない。調理するには得物が小さすぎる。
食事にありつけるかどうかは、魔女の思いつきにかかっていた。
(続く)