視線
六階に待ち受けていたのはガーゴイル。動く石像だ。
強い衝撃を与えて魔力を叩き出せば動きが止まる。可能ならば破壊するのでもいい。しかし表面が硬いから少女の腕力ではどうにもならないし、剣だってダメにしてしまう。
剣士はもっと賢い解決方法を知っている。
素通りして上階を目指すことだ。
ガーゴイルの体は重たい石でできているから、ドスン、ドスンと、のたのたしたテンポでしか動けない。だから剣士は距離を詰められないよう、部屋の外周を使ってやり過ごす。
彼らは担当するフロアを出てこないから、逃げる相手を追い続けることはない。足の遅いヤツは無視して通り過ぎるに限る。
*
かくしてまた髑髏の兵を片付けながら、剣士は十階へ到達した。
そこで小休止だ。
道のりは長い。焦ることはない。
フルフェイスの兜をとり、汗をぬぐう。
まっすぐな赤い髪だ。あまり短くなり過ぎないよう気をつけているから、肩まで伸びている。しかし自分で切っているせいで、前髪は斜めになってしまっている。
ガーゴイルやゴーレムなど、足の鈍いやつは無視していい。
しかしキメラは別だ。あまりに俊敏だから、人間の足で逃げ切ることはできない。ただし斬りつければ皮膚は裂けるから、戦いようはある。
*
十一階、キメラに遭遇。
剣士が足を踏み込んだ瞬間、即座に発見された。
ヤギの胴にライオンの頭を生やしており、尻尾には毒蛇までくっついている。生命を玩弄したとしか思えないツギハギの魔法生物。
ライオンの口から火炎のよだれを垂らしつつ、キメラは側面へ回り込まんと右へ左へとせわしなくうろついている。
剣士は武器を構えて牽制。
危険なのはライオンの牙と、尻尾の毒だけだ。ほかはヤギだから爪でひっかかれる心配はない。
攻略法はある。ライオンに装甲を噛ませ、その隙に尾を刎ねる。次に脇腹を刺し、あとは好き放題に切り刻めばいい。
低い唸り声が石壁に響く。
とんでもない威圧感だ。空気がピリピリする。
実際、ほとんどの挑戦者がここで命を落とす。おそらく、もっとも被害の多いフロアだろう。
そういえば、ゴブリンから買ったキノコをここで使った挑戦者もいた。
物陰に身を潜めて紐をつけたキノコを投げ込み、ネコでも操るようにキメラに食わせたのだ。やがてキメラはそれを吐き出そうと前足でもがき始めた。が、自力ではどうにもならない様子で、奇妙なダンスを踊った。しかし放っておいても死にそうになかったので、苦しんでいる隙をついて倒した。
彼女は、たしか魔法生物の研究者だとか言っていた。キメラを倒した直後、満足して塔から出て行ってしまった。
キメラは唸りながら鋭い目つきで睨みつけてくる。
剣士は切っ先を揺すり、キメラの行動を誘う。
が、警戒して襲ってこない。
過去に幾度も同じ手を使ったから、学習されたのだろうか。いや、そのたび殺しているから、同じ相手ではないはずだ。
剣士がじりじり距離を詰めると、キメラも同じだけ後退。
慎重な相手だ。
剣士はガッと床を踏み、音を立てて威圧した。
キメラは不快げに意識を向けたが、それも一瞬だけだった。すぐに剣士の行動を注視する。
ガーゴイルやゴーレムと違い、もとが生物だからであろうか。キメラには個体差があるようだ。いま目の前にいるのは用心深くて厄介なタイプ。
自分から仕掛けるしかない。
ふっと息を吐き、強めに踏み込んで剣を突きこんだ。キメラは横へかわし、軽快なステップで頭から飛びかかってきた。ライオンが熱を帯びた口を開き、左腕のガントレットに喰らいつく。そこまでは計算通り。しかし突進が強く、剣士は押し倒されてしまった。
牙は刺さっていない。しかしライオンの口内の灼熱が、じわじわと腕を焦がしはじめた。応戦したいのだが、倒れているからうまく剣を操れない。こうして攻めあぐねている間にも、ヤギの蹄がドカドカと胴鎧を蹴りつけきて、呼吸が苦しくなってくる。尻尾のヘビもどこを噛んでやろうかと睨みをきかせている。
とんでもない体重がのしかかり、いまにも押しつぶされてしまいそうだ。
剣士は剣を捨て、腰のダガーを抜いた。
そいつをキメラの胴体に突き立てる。がっと獣が咆哮し、噛んでいた腕を離す。剣士は華麗に身を捌き、転がりながら剣を拾って立ち上がった。
キメラは脇腹に刺さったままのダガーにパニックを起こし、後ろ足で叩き落とそうと必死にステップを踏んだ。が、足が届かない。
そこへ剣士は切り込んだ。まずは千切れんばかりに暴れ狂う尻尾を切り落とし、返す刀で足を切断した。キメラは斜めに転げ、無防備な脇腹を晒した。そこへ深く剣を突き込む。
おそらくは勝負あった。
だが、まだキメラが絶命せぬうちから剣士は武器を手放し、よたよた後退して壁に背をあずけた。必死になってガントレットを外し、焼けただれた左腕の痛みに耐える。
こんなことなら、ゴブリンから傷薬でも買っておくのだった。たいした薬ではないが、気休め程度にはなったはずである。
剣士は激痛を恨めしく思いながら、血まみれで床をのたうつキメラの命が潰えるのを待った。
*
同刻、塔の最上階――。
黒の魔女は、剣士とキメラとの戦いを水晶で眺めていた。
そこに表情はなく、目も冥い。
剣士を苦しめるのは本意ではないのだ。
しかし、彼女が幾多の苦難を乗り越え、塔を駆け上がる姿を見るのは心地よい。それはつまり、彼女が痛みに耐えながらも自分に会いに来るということだ。最終的には人間性を失ってまでも。これが愛でなくてなんであろう。
先日、魔女は街へゴブリンの少女を使いに出し、服を取り寄せた。フリルのたくさんついた可愛らしい服だ。人々から「黒の魔女」などと呼ばれている手前、イメージを守って黒い服を選んだ。
きっと剣士は新調した服に気づいてくれる。
言葉にはしないが。
リボンをつけたり、髪飾りをつけたりすると、いつもそこに注目してくれるのだ。眼鏡をかけたときは、さすがに不審そうに思われたが。
誕生日に、仲の良い友達が祝いに来るのを待つような心持ちだ。
こんなにワクワクすることを、やめられるわけがない。
なのに、自分が死んだら終わってしまう。
だからいつも剣士に死んでもらうことになる。彼女が死んでも、死霊術で蘇生させればいい。魔法で使役をするのはつまらない。
彼女は会いに来る。
殺しても、殺しても、絶対にいなくなったりしない。
「早く会いに来てね、待ってるから」
剣士は服のどこを見るだろうか。花のような襟元だろうか、ふわふわと膨らんだ肩口だろうか、それとも幾重にも重なったスカートだろうか。焦げたコッペパンのような靴であるかもしれない。あるいは足首で折り返した靴下か。
どこであってもいい。とにかく見て欲しいのだ。
髑髏に囲まれてのファッションショーは、寂しすぎてもううんざりだった。
見せる相手は、やはり意志を持った人間でなければ。
(続く)