散華
魔女の小さな背には、無残にも老婆の手が突き込まれていた。その手刀が、ズブズブと音を立てながら背骨に沿って下へおりてゆく。
魔女は血走った目を見開き、もはや声を絞り出すことさえできない様子で口を開いていた。あきらかに演技ではない。実際に、身体が傷ついている。
老婆はぐっと手を奥へ差し込み、ぐちゃぐちゃとかき回した。
「お前の石はどこだい? ここか? それともここか?」
「あう……あうあ……」
口から体液を垂れ流し、魔女はまさぐられるたびに身をひくつかせた。
老婆はイライラした様子で赤くなった腕を引き抜いた。
「まったく! 内臓が邪魔でちっとも探せないよ。引き抜いちまおうかね」
剣士の投げつけた剣は、老婆のシールドで防がれた。
「まだ動けたのかい?」
「魔女に触るな!」
「バルバラ、ジャン、とっとそいつを始末しな」
「触るな!」
もちろん聞き入れるわけがない。
剣士は力を振り絞って立ち上がり、老婆へ駆け寄った。が、衝撃波で大きく弾き飛ばされた。バルバラのものとは桁違いの威力だ。全身がバラバラになったかと錯覚するほど強烈に壁へ叩きつけられた。
だが、それでも立ち上がれた。
痛いとか痛くないとか、そういう感情を上回るものがあった。いま動かなかったら、大切なものを失ってしまう。体なんて壊れたっていい。とにかく動くのだ。
「バルバラ! ジャン! 寝てるんじゃないよ!」
ズドンと音がして砲弾が発射されたが、まるで見当違いの方向へ飛んでいった。これでジャンの攻撃は終わり。
一方のバルバラは、自分の腕をくっつけようと必死になっている。
剣士は駆けた。いや、駆けるにしてはあまりに不格好であったが。それでも可能な限りの全速力を出した。
老婆は衝撃波を放ち、すぐさま顔をしかめた。直撃しなかった。
剣士はその腕を掴んだ。
「魔女に触るな」
「しつこいガキだね……」
衝撃波で、今度こそ剣士は突き飛ばされた。
が、至近距離からの直撃だったにも関わらず、剣士はあまり転がされなかった。老婆は苦しそうにつばを飲み込んでいる。もう力が尽きそうなのだ。
剣士は這いながら、なんとか老婆にすがりついた。
「魔女から離れて……」
「……」
老婆は剣士の兜に手をかけ、押し返そうとはするものの、もはや魔力を使おうとはしなかった。
力比べなら剣士に分がある。
乱暴に引きずり倒し、組み敷いた。
「あぐあっ」
鎧を着た状態で上に乗れば、それだけで相手を苦しめることになる。
「あなた、魔女になにしたの?」
「なんだい、お前は? ここへは殺しに来たんだ。殺す以外になにがあるんだ」
「背中を傷つけた」
「ふん。あいつの結晶を奪おうと思ったのさ。あたしのは古くなっちまったからね」
「そんな理由で背中を?」
「いいから殺しな。お前なんかと話したくないよ」
こうしていると、ただの老人だ。体も細くて弱い。魔力もほとんど感じられなくなっている。死が近いのであろう。
許すという選択肢もあったかもしれない。
しかし剣士は、椅子の上でぐったりと血を流している魔女を見ると、もはや殺意を抑えることができなくなっていた。
*
老婆は死んだ。
もはや原型を留めてはいない。
剣士は汚れたガントレットを投げ捨て、兜も脱ぎ捨て、血まみれの魔女を抱きしめた。かすかにひゅうひゅうと呼吸をしてはいるが、目はどこも見ていない。自慢の黒髪まで血液でべっとりと汚れてしまっている。
「ねえ、魔女。終わったよ?」
「……」
「なにか返事……して……」
「……」
唇を動かそうという気配さえない。
もともと雪のように白かった肌は、いまや血色さえ失い、青白くなっていた。静脈が浮き出して痛々しい。
「魔女……」
絶対に受け入れられない。あの勝ち気な魔女が、こんなに静かになってしまうなんて。
足音が近づいてきた。
剣士はしかし振り向かない。それがたとえ自分を殺しにきたものであろうが、関係ない。魔女が死んでしまった世界では、生きている意味がない。
「ずいぶん派手にやったわね」
死神だった。
戦いが終わってから、のこのこ顔を出したらしい。ずいぶん面の皮が厚い。
「おかげで大収穫よ。独占契約のおかげでね。あたし、嬉しいわ。今回はその喜びを伝えに来たの」
「帰って」
「なにしんみりしてんの? 魔女なら死んでないから安心しなさい」
「えっ?」
どう見ても瀕死だ。まだ死んではいないが、数秒後に死ぬという死神のジョークだろうか。もしそうなら死神も同じ目に遭わせないといけない。
「そう簡単に死ぬわけないでしょ。そいつ、半ば結晶化してるんだから。あんたもだけど。そっちの婆さんみたいに石ごとぶっ壊さない限りは死なないの」
「それ本当? 魔女は死なないの?」
「残念ながら本当ね。そのうち勝手に治るから放っておきなよ。それより、あっちのふたりは殺さないの? 特にあの女、腕がとれて痛そうだよ? 可哀相だし、殺しちゃおうよ」
「うるさい」
人にやらせようとするところを見ると、自分で殺めた人間の魂は収穫できないのかもしれない。
死神はやれやれとばかりに溜め息をついた。
「あのゴブリンだってほっときゃよかったのにさ。なに? あたしに対する嫌がらせ?」
「さっきから勝手なことばかり言って。自分はどうなの? 契約は?」
剣士の言葉に、死神は呆れ顔で肩をすくめた。
「婆さんの契約の話? ちゃんと動いてたよ。ただ、その婆さん、もう限界だったでしょ? 契約打ち切ったら死んじゃうらしくてさ。あたしの要求は飲めないってさ。人間思いのいい神さまだよね」
これが事実なのかどうかは確認のしようがない。しかし老婆の命が長くなかったことは、剣士にも分かった。
「ねえ、死神。魔女、死なないよね?」
「しつこい。死なないって言ってるでしょ。力を共有してるんだから、魔力が消えてないことくらい分かるでしょ?」
「うん……」
「まあ傷口が開いたままだと回復が遅くなるから、そうやって抑え込んでやるのはいいと思うけど」
「縫ったほうがいいのかな」
「やめなよ。勝手にそんなことしたら、間違いなくあとで怒られるよ」
「うん」
体に傷跡をつけたら、魔女はかつてないほどうるさく怒るだろう。剣士はぎゅっと魔女を抱きしめ、体を温めた。ずいぶん冷たくなってしまっている。
ふと、魔女の身体がびくりと震え、口からごぼっと血液が溢れ出した。一瞬、本当に死んだのかと思った。
「あらごめんなさい。汚しちゃったわね。ていうか痛いわ。もう少し優しく抱きしめて」
第一声がそれだった。
「ウソ……生きてる……」
「そうよ。生きてるの。嬉しい? 黒の魔女はそう簡単には死なないの。ちょっと危なかったけど。まさかあそこで仲間を囮に使うとは思わなかったわ。おかげでお気に入りの服が台無し」
「よかった!」
強く抱きしめると、魔女は小さく悲鳴をあげた。
「ちょっと痛いってば。まだ背中もふさがってないのに。私を壊す気?」
「ごめんなさい」
「それより、向こうのふたりをなんとかしましょう。特に彼女、腕がとれてお困りのようだから」
*
まだ自分の背中も完治していないのに、魔女はバルバラの腕を縫合してやった。本当にくっつくかどうかは分からないが、死霊術を応用して最善を尽くしたらしい。
しかしこれを眺めていた死神は不満顔だ。
「殺さないの? つまんないね」
彼女にしてみれば、魂を収穫しそこねたことになる。
魔女は魔女は無視して血液まみれの手を洗った。死神の利益に貢献する義務はない。
ジャンも当惑気味である。
「なぜ傷の手当を?」
「私に歯向かわない人間には、優しく接することにしたの」
魔女は溜め息混じりにそう応じた。
剣士と接したことで、心境に変化があったのかもしれない。
腕の治療を受けたバルバラは、大歓喜して縫合されたばかりの腕をぶんぶん振り回し、その直後に激痛にのたうった。あまり頭がよくないらしい。両目も縫い合わされていたので、魔女が手術で見えるようにしてやった。それでも言葉は発せないままだが。
魔女は呆れたような表情ながらも、どこか優しい目を見せた。
「彼女、ずいぶんあちこちいじられてるのね」
「うちに来る前は、どこかで人体実験の材料にされていたようです。それで安く売られていたのを、団長が買ってきて……」
魔法の素質があることを見抜いたのであろう。それで安く買って魔法を仕込んだのだ。
ジャンは頭だけで辞儀をした。
「感謝します。まさか黒の魔女がこれほど寛大とは」
「そうよ。讃えなさい。残念ながら、あなたの手足までは直せないけど」
「ムリもありません。あれはドワーフの技師が作った特注品ですから」
この会話の最中も、魔女の背中の傷口からは血が垂れ続けていた。勝手に治るとはいえ、そう簡単なものではないらしい。さすがに痛むらしく、ときおり鎮痛剤を摂取していた。
魔女はいま四つん這いになった髑髏の兵に腰をおろしている。椅子の数が足りないため、やむをえずの措置だ。
「治療した代わりに、あっちがどうなってるか教えてもらえないかしら。こんな立て続けに討伐隊が来るなんて、いままでなかったから」
「はい、もちろん」
かくしてジャンは今回の討伐隊について語り始めた。
(続く)




