消耗戦
五十一階のヒドラには、さすがの曲芸団もたじろいだようであった。
なにせ頭が九つもある。一対一でやり込められるほどたやすい敵ではない。巨躯のゴライアスが正面から仕掛け、布をかぶったバルバラと、機械の手足を持つジャンが遠距離からサポートした。開始からまもなく、ヒドラの頭が三つほど弾け飛んだ。が、残りの頭部が他の団員を食い散らかした。
すると男のひとりが逃走を始め、それを見た別の男も戦闘を放棄して逃げ出した。さっきから戦ってるフリだけのロブも、逃げようかどうか迷ってキョロキョロしている。
老婆は彼らの背を追わないし、叱り飛ばしたりもしない。
ふんと鼻を鳴らし、彼女はこう告げた。
「ゴライアス、どきな。あたしがやる」
迫りくる牙を怖がって半狂乱でハンマーを振り回していたゴライアスは、素直に道をあけた。
ヒドラは鎌首をもたげ、シャーと威嚇。鋭い牙からは毒液が滴っている。
しかしヒドラのほうも、いきなり頭部を潰されたものだから、あまり積極的に前へ出られないようだった。
老婆はひとりで前へ出た。伸ばした手をヒドラへ向け、エネルギーを集中させる。
「こんなヘビに手間取って。使えない連中だね」
風が吹いた。
ただのそよ風のようである。が、次の瞬間、真上から見おろしていたヘビの頭部が、スパッと切断されて次々と床へ落ちた。やや遅れて、頭部を失った首が血液を吹きながらダウン。ヒドラは絶命した。
すると、逃げていた男たちが大はしゃぎで戻ってきた。
「さすが俺たちの団長だ!」
「やってくれると思ってましたよ!」
老婆はしかし顔をしかめたままにこりともしない。なんとか平静を装っている。力を使った反動で生命力を消耗してしまったことを、手下に悟られまいと必死なのだ。
気づいているのは、愉快そうに身を揺すっているバルバラのみ。
ともあれ、死者が出た。老婆、ゴライアス、バルバラ、ジャン、ロブのほかは、三名の男しか残っていない。計八名。だいぶ数を減らした。
*
五十六階、部屋の中央に樹木がそびえている。
ドライアドだ。
好奇心に駆られて近づいた男のひとりが、不用意に根を踏んで絡め取られた。
「ひゃあっ! た、助けてっ!」
バルバラが手から魔法を放ち、根を断ち切った。すると男は助かったものの、攻撃を受けたドライアドが、床一面に張り巡らせた根を総動員して反撃に出た。
さっき助かったばかりの男や、バルバラなど、その付近にいたものは次々と絡め取られた。ゴライアスさえ動きを封じられた。
無事だったのは、距離をとっていた老婆とジャンのみ。
「なんだいこのザマは! お前たちは、いつになったら慎重になるってことを覚えるんだい? えぇ?」
無視して通り過ぎれば戦う必要のない番人である。
老婆は腹の底から溜め息をついた。
が、団員たちは助けてくれの大合唱だ。とりわけロブの命乞いはみっともなかった。
「ママ! 助けて! ママァ! これどんどん締まってくる! おいら、このままじゃ死んじまうよ!」
「ピーピー泣くんじゃないよ。死ぬ前に助けてやるから。ホントに手のかかる連中だね……」
老婆はしかしすぐに手を出そうとはしなかった。魔力がもたないからではない。不用意に攻めれば、ドライアドはさらに反応する。もっとも簡単な対処は火をつけて焼き払うことだが、そうすると部下たちも死ぬ。
「ママァ! 見捨てないでくれよぅ!」
「ロブ! 黙りな! お前はまったく! あたしがお前を見捨てたことが一度でもあったかい?」
「ない……」
「じゃあ黙って見てるんだよ。次になにか喚いたら、もう助けないからね」
「……」
するとロブは返事さえしなくなった。
いっさい言葉を発してはいけないと受け止めたのだ。
老婆はまた溜め息。
ジャンが金属の足を動かして老婆に近づいてきた。
「団長、どうすれば……」
「こいつは厄介だよ。ヘタに仕掛ければ、あたしらまで同じ目にあっちまう」
真空波を使えば根を断ち切れる。だから老婆自身は、絡め取られてもすぐに脱出できる。しかしそうすればさらに別の根が来る。消耗戦だ。バルバラがじっとしているのも同じ理由からだった。
老婆は舌打ちし、やれやれとしわだらけの首をかいた。
「ジャン、あんた下に行ってヘビの毒をとってきな。そいつでこの木を腐らせる。くれぐれも触らないようにね」
「ご安心を。この手は人の手じゃありませんから」
「ふん、そうだったね」
ジャンが金属の手をわらわらと動かしたのを、老婆は忌々しげな顔で見た。
この作戦は成功した。ジャンの持ち帰った毒を浴びせかけると、ドライアドは根を引っ込めたのだ。全員助かった。十分に距離をとったところで、老婆はこの木を魔法で焼き払った。
*
七十一階の石像は、ゴライアスが一撃で粉砕した。
かくして曲芸団は七十五階の休憩室へ。
八名いる。しかしゴライアスがそろそろ限界のようであった。ただでさえ大きな体を動かすのだから、エネルギーの消耗が尋常ではない。のみならず、目に入った毒が徐々に全身に周り、臓器を蝕んでいるらしかった。呼吸が苦しそうだ。
老婆はソファへ腰をおろし、誰にともなく言った。
「番人ってのはあと何匹だい? ええと、七十六階から九十六階までで五匹だろう。そのあとの百一階で、ようやく魔女のおでましか。それまでもつかね。どうなんだい、お前たち」
身をゆすったまま最初から答える気のないバルバラはともかく、しかし他の面々はなんと応じてよいか分からず沈黙してしまった。
実際、判断の難しいところであろう。
ずっと曲芸団の盾役だったゴライアスがダウン寸前なのだ。バルバラやジャンはともかく、残りの下っ端は魔物に対処できるほど強くない。
老婆は、隣で眠りこけているロブの頭をひっぱたいた。
「気を抜いてると死ぬよ。しっかりやんな」
「ごめんなさい、ママ」
「魔女を殺せば金が手に入るんだ。また贅沢三昧したいだろ? もう少しだよ。ここが踏ん張りどころさ」
「えへへ」
なにを想像しているのか、ロブは不気味な笑みを浮かべた。
*
七十六階に待ち構えていたのは、氷のゴーレムだ。
前に出たゴライアスは、少しふらふらしていた。ハンマーを振り下ろしてゴーレムの頭を粉砕したのと同時、拳を側面から腹部に受けて、勢いよく横薙ぎにされた。
ゴーレムは氷塊となって崩れ去った。
そしてそのままゴライアスも動かなくなった。内臓が破裂したらしい。目を見開いて口から血を流し、ピクピクと痙攣している。
「ウ、ウソだろ……ゴライアスが死んじまったぞ……」
「これマズいんじゃねーか……」
男たちが動揺している。
肉弾戦をメインでやってきたゴライアスが死んだのだ。もう後ろで戦ってるフリはできない。
老婆はしかしあえて笑みを見せた。
「お前たち、なに弱気なこと言ってんだい。このあたしがいることを忘れちゃいないだろうね。先を急ぐよ」
だったら全部あんたがやってくれ。
そういう意見があることは、老婆も承知している。しかし魔女との戦いのために力を温存していることは、事前に説明してある。それ以上のことを言うつもりはないし、対話にも応じない。戦いを始めてしまった以上、ただ進むだけだ。
もし逃げたいならそうすればいい。最初からアテにしていない。
老婆が歩を進めると、バルバラが追随し、ジャンも後続した。キョロキョロしていたロブも、数につられて歩き出した。みんなついてきた。計七名。
(続く)