感傷らしきもの
二十六階のゴーレムは、頭から布をかぶったバルバラがまた一撃で葬った。もちろん途中に配置された髑髏の兵などは足止めにもならない。
曲芸団は、いまのところ一名の死者も出さず、圧倒的な強さで行進していた。
剣士は訓練に集中した。
もう魔女に槍を用意してもらわずとも、アストラル結晶にアクセスすることができるようになっていた。あとはセーブしながら力を引き出し、実際の動きに応用する。何度も同じ動作を繰り返し、安定させるのだ。
いま魔女はゴブリンの看病をしている。
剣士は鎧を身にまとい、その重さをたしかめながら剣を振るった。みなぎる魔力のおかげで、軽快に動作できる。
これまで剣士が見てきた魔術師は、魔力を一方向に集中し、敵を攻撃することにのみ力を使っていた。そもそも肉弾戦をするつもりがないからだ。敵が攻撃してきたときは、攻撃をやめてバリアを展開すればいいから、わざわざ重たい鎧を着る必要がないのだ。
こうして鎧を着たまま魔力を使うのは、王直属の魔法剣士くらいだろう。剣術の素質と魔法の素質、双方を兼ね備えたものはそうそういない。だから彼らは高待遇のエリートだった。
剣士とて、結晶を埋め込まれなければ同じ真似はできなかった。
やがて曲芸団は、三十一階のコカトリスに遭遇。
前へ出たのは、周りから「ジャン」と呼ばれる機械の手足を持つ若者だった。
彼は無表情のまま、椀部のバレルから矢弾を射出し、またたくまにコカトリスを蜂の巣にした。やかましく喚き立てる間もなかった。
問題が起きたのは、その直後であった。
男たちが恒例のように死骸に群がり出した。互いに突き飛ばし合うのはいつものことだ。そこからケンカに発展することもある。なのだが、あわや乱闘かというとき、ひとりの男が「うっ」とうめいて口から胃のものをすべて吐き戻した。血液が混ざっていた。
コカトリスの毒袋を傷つけ、その毒ごと肉を食ってしまったのである。
そいつは目を見開き、ビクビクと痙攣しながら、いつまでものたうった。
「これで分かったろう。魔物の肉なんか食うもんじゃないよ」
老婆はうんざり顔だ。
男たちも、このときばかりは素直にうなずいた。
戦死ではないが、初めての死者が出た。残り十二名。
そして三十六階は巨大な毒ガエル。
この戦闘も一撃で決したのだが、勢いよく叩き潰したゴライアスが、飛散した毒を目に受けた。しかも学習しなかった男たちの中から、また毒を食って死ぬものが現れた。
とんでもなく強い。しかしとんでもなく警戒心がなかった。殺す、食う。それしか頭にない。
彼らはゴライアスの治療のため、しばらくその場に留まるようだった。
*
剣士が鎧を脱いでソファで休憩していると、私室から魔女が戻ってきた。
「様子はどう?」
「落ち着いてるわ。ちょっと熱のあるのが心配だけど」
まだ剣士はゴブリンの様子を見ていない。だからどんな状態なのかは、魔女から聞くしかなかった。
「また前みたいに暮らせそうなの?」
「そうできるよう最善は尽くしてる」
「不安になる言いかた」
「少なくとも手足は切り落とされてないわ。それでじゅうぶんでしょ」
「……」
そんなことを言われても、余計に不安になるだけだ。
魔女も答えるのが面倒になったらしく、話題を変えてきた。
「そっちはどうなの? 順調?」
「うん。だいぶ動けるようになった。少なくとも前よりはマシ。あなたにも勝てるかも」
「あら、それは楽しみね。私の力を使って、私を倒すって?」
この言葉に、剣士はふっと笑った。
「ただの冗談よ」
「ええ、もちろん冗談よね。あなたは私を傷つけたりしない」
「しないよ、家族だから」
「そうよ。家族よ。よく分かってるわね、従順な私の剣士」
どういうつもりか、頭をなでてきた。剣士のほうが座高が高いから、魔女はぐっと背を伸ばさねばならない。
「あなたの髪、とてもキレイね」
「そう言ってくれるのあなただけだよ。みんなこの赤い髪を見ると、顔をしかめるんだ」
「あなたのお兄さんは茶色だったのに」
「種が違うのかも」
「気にしてるの?」
「私も兄と同じがよかった」
「個性よ。誇りなさい」
「うん」
魔女がなおもなでて来たので、剣士はおとなしくしていることにした。
ややすると、魔女も飽きたのか、なでるのをやめて寄りかかってきた。
「曲芸団も休憩中みたい。いまのうち仮眠をとりましょ?」
「どこで寝るの?」
ふたりのベッドはいまゴブリンが占拠している。あとはソファか、例の手術台くらいしかない。
魔女はさらに体重をかけてのしかかった。
「ここで」
「こんな狭いソファで? ふたりで?」
「そうよ。ふたりで。落ちないようぎゅっとしててね。私を落としたら怒るから」
「寝てる間のことは保証できないよ」
「だから、うんと近づいて落ちないようにするの」
「分かった」
押し倒されるまま、剣士は仰向けになった。そこへ魔女が楽しそうにひっついてくる。
「一緒に寝るの、これが最後になるかも」
「弱気になってるの?」
「だって相手も魔女なのよ? 私もついに殺されてしまうかも」
その割には、魔女は愉快そうだ。
剣士にはよく分からなかったから、黙って頭をなでてやった。
「もっとなでて」
「わがまま」
頬を指でつつくと、魔女は幼さの残る顔をぷっと膨らませた。
「子供扱いしないで。私のほうがお姉さんなんだから」
「子供だよ。言ってることも全部、子供」
「ご飯作ってあげてるでしょ?」
「あなたが?」
「髑髏の兵は私の魔力で動いてるんだから、つまり私が作ってるってことなの。分かったら私のことを姉だと思って慕いなさい」
「ちっちゃなお姉さんね」
「あんまり言うとお仕置きよ」
「うん」
いつになく子供っぽい。もしかすると魔女は、本当にこれが最後になると思って甘えているのかもしれない。
実際、会話が途切れると、魔女は剣士にしがみつき、胸元に顔をうずめてきた。人より豊かな胸というわけではないが、魔女はそれでも落ち着くらしい。たとえ二百年生きていようと、体は子供のままなのだ。そのことが情緒にも影響しているのであろう。
「ねえ、剣士。死んでもまた一緒にいてくれる?」
「もちろん。けど、そうはならないと思う」
「えっ?」
「あなたのことは死なせない。私も死なない。だからずっとここでこうしていられるよ」
「そうね。きっとあなたが正しいわ」
*
よくない夢を見た。
最上階に曲芸団が乗り込んできて、剣士がまっさきに倒されてしまうという夢だ。なぜか魔力が湧き出さなかった。そうして動けなくなった剣士の目の前で、魔女が一方的にいたぶられてしまう。思いつく限りの残酷な方法で。助けたいのに動けない。
ハッと目を覚まし、剣士はなぜ自分が動けなかったのか、すぐさま理解した。魔女が上で寝ていたせいだ。無垢な表情で熟睡している。憎たらしいような愛しいような気持ちになって、剣士は深呼吸をした。
床に転がされた水晶へ目を凝らすと、ぼんやりと階下の様子がうかがえた。曲芸団は、いま五十階の休憩室でパンを食い散らかしていた。正確な人数までは分からない。ゴライアスは片目を負傷したらしく、包帯で顔の半分を覆っていた。老婆はうるさそうに顔をしかめながらも、じっと座している。
ひたすら石段をあがるという行為は、それだけで老身にこたえるのであろう。魔力で身体をサポートしているはずだが、それでも疲労の色を隠しきれていないところを見ると、彼女の能力も万全ではないのかもしれない。
互いに命を奪い合うことになる。老人であろうと容赦はできない。少しでも隙があるのなら、容赦なくつくべきだ。
ロブが革袋に水を入れ、老婆へ差し出した。老婆は断ることなく一口やると、無愛想にロブへ突き返した。
ロブは、それでも満足そうだ。
もしこのロブが老婆の弱点となるようなら、それを使うという手もある。結果がどうなるかはともかく。
剣士は魔女の髪をなで、ふたたび呼吸をして目を閉じた。
戦いのときまでは、まだしばらく時間がありそうだ。
(続く)