人
曲芸団が到着する前に、少しでも魔力を使いこなせるようにならねば。
そんな思いから、剣士と魔女の特訓が始まった。
さいわい、曲芸団は二十五階の休憩室でダラダラし始めた。あきらかに気を抜いている。最上階へ来るまで、しばらく時間があるだろう。
剣士は体内のアストラル結晶を強く意識し、そこから湧き上がるエネルギーを汲み取らねばならない。いま剣士は剣を構えて立ち、後ろから魔女に抱きつかれている格好であった。
「ここよ。ここに集中して」
「うん……」
麻の服の上からではあるが、小さな手に下腹部をまさぐられている。
むずむずするだけで、まるで集中できない。
「ねえ、剣士。ちっとも魔力が感じられないわ。ちゃんと集中してる?」
「してるよ……」
「ウソは怒るよ? 私は真剣にやってるの。あなたも真剣にやりなさい」
「うん」
体は熱くなるのだが、ひとつも力が湧き出してこなかった。むしろ力が抜ける。なのに魔女は小さな体をぐいぐい押し付けてくる。
「結晶が入ってるのは分かるでしょ? そこを自分の体の一部だと思って、意識を向けてみて」
「やってるよ」
「ダメ。ぜんぜんできてない」
「結晶の位置って、もっと上のほうじゃなかった?」
「そうだったかしら? 縫い目の位置より少し下に落ちてるはずだから、この辺だと思うんだけど」
「なんでそんな下に入れたの?」
「なに? 文句でもあるの? ここが一番効率がいいのよ。なんていうか、生命力に直結する場所っていうか……」
言いながら、無遠慮にまるくなで回してくる。
剣士は姿勢を保つのがやっとだ。
「そこはあんまり触っちゃダメなところじゃ……」
「ダメなのはもっと下でしょ? ここは平気よ」
「あなたは子供だから」
「また見た目で判断して。あなたよりは大人よ。知識だけならそこらの学者よりあるんだから。ここは平気。自分ができないのを人のせいにしないで」
「じゃあ間違ってないのは認めるから、あんまりまさぐらないで」
「なによ面倒ね。せっかく手伝ってあげてるのに」
魔女はやれやれとばかりにようやく体を離した。
剣士は呼吸を整える。体中がぞわぞわしている。いまはどこを触られても困る。
間もなく強敵が来るというのに、こんなことをしている場合ではない。
すると魔女は、武器棚から槍を引き寄せ、剣士の正面に浮かべた。
「これでどう? 少しは危険を感じたほうが集中できるんじゃない?」
「最初からこうしてればよかった」
「気を抜いてたら刺しちゃうから」
「いいよ」
鋭い先端を向けられると、否応にも気持ちがヒリつく。窓外から差し込む月明かりを反射して、刃は薄闇の中に鈍い光を放っている。かつてこの金属に幾度も体を貫かれた。熱さと冷たさを同時に体内へ差し込まれる感覚が蘇る。
死を意識すると、内臓が駆動しはじめた。それがアストラル結晶を反応させているのも分かる。微量ではあるが、魔力が湧き出そうとしている。それがどこにあるのか感覚的に分かると、今度は意識してアクセスすることができた。力が全身を駆け巡る。
すっと魔女が槍を引いた。
「いいわ。いまかなりの魔力を感じた」
「なんでやめたの?」
「無闇に力を引き出すのは危険だからよ。ゆっくりよ。あせっちゃダメ。これはあるだけの魔力を引き出す訓練じゃない。少しずつコントロールするための訓練よ」
「分かった」
「止める力を知らなければ、動かす力を使うべきじゃない。魔力とはそういうものよ」
「うん」
魔女はその道の達人である。だから剣士も、言われたことはすべて受け入れるつもりでいる。年長者の言うことは聞くものだ。少なくとも技術の話に関しては。
魔女はふたたび槍を近づけた。
「それじゃあ続けるわ。集中して。徐々に力を引き出すの。なおかつ暴走しないように。あなた、結構素質あるみたいだから」
「……」
もはや返事をしている余裕もない。
剣士は、自分に向けられた刃を見つめ、下腹部から湧き上がってくる力の駆け巡るのを感じた。力を引き出そうと思えば、おそらくかなり引き出せる。しかし魔女に言われた通り、少しずつやった。
「いいわ。その調子よ。慎重に」
「……」
魔力が身体に活力を与えている。これは筋肉が強くなっているのとは違う。外側からサポートされているような感覚だ。
「魔力が身体を流れると、周囲の空間が反応を始めるわ。それが魔法。熱に変換したり、冷気に変換したりするには知識が必要だけれど、力をただ力として使うだけならちょっとしたコツが分かれば十分よ。剣を振ってみて」
魔女に言われるまま、剣士はヒュンと剣を振り下ろした。軽い。のみならず、振り終えたあともピタリと止まる。急に槍が飛んできたので、剣士はとっさに身をかわした。
「よく見てたわね。怒らないで。これも訓練よ」
「ちょっとびっくりした」
「もちろん当てないわ。私の大事な家族だもの」
「ありがとう」
ちょっと前に親友になったばかりなのに、すでに家族にされている。ともあれ、魔力の供給源を共有しているいま、もはや家族以上の存在であろう。
*
同刻、二十五階、休憩室――。
「いだだっ」
パンを齧ったまま眠りこけていたロブの頭に、老婆の杖が容赦なく炸裂した。
キョロキョロしているところへ、さらに一撃。
「痛いよ、ママ」
「お前がグズグズしてるからだ。ほら、出発だよ。立ちな」
「うん」
「パンを噛りながら寝るなんて、ガキと一緒じゃないか。少しはシャキっとしな」
「えへへ」
ぬぼーっとした顔に不気味な笑みを浮かべ、ロブは重たい腰をあげた。
他の団員はすでに上階へ向かっている。老婆としては、置き去りにしなかっただけ寛大な処置をとった。
実の親子ではない。
老婆にはふたりの娘がいたが、すでに亡くなっている。このロブという男は、戦場で死体をあさっていた浮浪児だった。人買いに売り飛ばすつもりで拾ったのだが、買い手がつかなかったため手元においていたら、なにもできないまま体だけが大きくなってしまった。もう中年といっていい歳だが、いつまでも老婆をママなどと呼ぶ。
ママと呼ばれるたび、娘を思い出す。もちろん感傷的な気分になどならない。むしろ腹が立つ。特に長女は、老婆の赤い鎧を勝手に持ち出し、賞金欲しさに魔女討伐へ行ってしまった。以来、音沙汰がない。
そして今回、王の使いが魔女討伐の話を持ってきたとき、老婆は断ろうとした。もし魔女と戦えば、自分は生き延びるかもしれないが、団員たちが死ぬ。そうして手駒が減ることを考えると、得られる報酬もたいしたことがないように思われたからだ。
しかし噂を聞いたのだ。
魔女のいる島に、赤い鎧の女がうろついていると。
まさか、と思った。
自分の鎧を盗んだ長女が、帰るに帰れず島で暮らしているのではないかと。
老婆は、はじめからこの稼業をしていたわけではない。貧しい農村の娘であった。
まだ若い頃、山賊に誘拐された。あちこちで戦争があり、そのどさくさに紛れて賊が跋扈していたころだ。
しかし頭領に気に入られ、従順に振る舞ったおかげで、ある程度の権限を得ることができた。その後、頭領が死に、離合集散を繰り返し、いまへと至る。身寄りのない戦災孤児や、あぶれものなどを集めてメシを食わせ、自分の手駒としてきた。
戦場で稼ぐばかりでは死んでしまうから、曲芸を叩き込み、平時でもメシを食えるようした。しかし結局のところ、戦災が続いている状況下では、曲芸に客などつかなかった。だからその技は、もっぱら戦場で披露されることとなった。
やがて彼女たちは、曲芸団と呼ばれるようになった。
ほとんどがまともな傭兵団にさえ入れない連中の集まりだから、あまり冷静ではない。しかも経験上、人殺しとメシが直結しているから、すぐに殺したがる。力がなければ統率できない。
悪魔と契約をしたのは、頭領が死んだ翌日だった。いや、悪魔ではなく神だったかもしれない。老婆にしてみれば似たようなものだが。代償として、次女の命を捧げた。その後も敵の命を捧げ続けることで、この力を維持している。
もし長女に会ったところで、なにかをしたいとも思わない。ただ、生きているのか、別人なのか、それともただの噂なのか、確認したいだけだった。
「ママ、パン食べる?」
ロブが食いかけのパンを突き出してきたので、老婆はいっそう顔をしかめた。
「いらないよ。食べきれないなら捨てな」
「じゃあ捨てる」
魔女が客人のために用意したパンは、あっけなく床へ投げ捨てられた。空腹時は死体にさえ手を付けるのに、腹がいっぱいになるとすぐこれだった。しかし老婆はいまさらモラルなど気にしない。気にしていたら、そもそもこの稼業はできない。
モラルを守って生きるためには、まずは世界が豊かでなければならない。彼女たちは、その豊かさの外で生きてきた。
曲芸団のモットーはこうだ。
「世界は我らを愛さない、我らも世界を愛さない」
殺せば殺しただけ贅沢できる。
彼女たちにとって、この世はそれ以上のものではない。
(続く)