契約者
剣士は、魔女とともに水晶を覗いていた。
曲芸団はすでに十六階へと達している。
番人はリビングアーマー。
曲芸団からは、頭から布をかぶった怪しい人物が、ひとりで前へ出た。全員で戦うわけではないらしい。
配置や行動から見て、眼帯の老婆がリーダーであろう。その他のメンバーは皆団員だ。サブリーダーがいるかどうかは分からない。
「おい、バルバラ。簡単に殺すな。中身がどうなってるか見たい」
ぬぼーっとした男が、後ろからそう声をかけた。
布の人物はうなずきもしない。ただすたすたと前へ出るだけだ。
老婆が顔をしかめた。
「ロブ! またバカなことを言って。あいつは魔法で動いてるんだ。中身なんて空っぽに決まってるだろ」
「でもママ、おいら、どうしても見たいんだ」
「本当に頭の悪い子だね……。お前はどうしてそんなにバカなんだい」
「えへへ」
自分が殺したくてうずうずしているのだろう。長い指をわらわらと動かしている。
バルバラと呼ばれた人物は、布の合間からすっと腕を伸ばした。皮膚のつぎはぎされたような、縫い跡だらけの腕だ。
突き出された手にエネルギーが蓄積し始め、やがてごうと衝撃波が出た。
次の瞬間、並の男より頭ふたつ分は大きなリビングアーマーが、いともたやすく弾き飛ばされ、そのまま空中分解した。バラバラに崩れ去った鎧は、床や壁にぶつかってガラーンと中身の無い金属音を立てた。
「わ、空っぽだ……」
ロブは目を丸くした。
老婆はもうなにも言わない。溜め息をつくだけだ。
バルバラが振り返ると、仲間たちはぞろぞろと先へ進んだ。
老婆もやれやれとばかりに杖をつきながら歩き出した。魔法の杖ではない。ただの棒だ。足腰がよくない。しかし部下を足代わりにせず、なんとか背を伸ばしながらひとりで歩いているところを見るに、かなり気丈であることが分かる。
水晶を覗いていた剣士は、息を呑んだ。
まぎれもなく魔法だ。
もちろん魔女以外にも魔術師はいるし、過去の討伐隊にもいた。素養さえあれば誰でも魔法は使える。そう多くはないが。
今回だって、ひとりふたりなら脅威ではあるまい。しかし特殊な能力を持ったものが複数人いると、さすがの魔女も追い詰められることになる。
あえて一対一で、番人との戦いを楽しんでいるような連中だ。必ず大人数で最上階へ来るだろう。
寝室でうめき声がしたので、魔女は水晶の映像を消して看病に行ってしまった。剣士はひとりでソファに座っていることもできず、剣を拾って素振りを始めた。
気を抜けば死ぬ。
胸がドキドキしてきた。
剣士はひとりじゃないから、まだいいだろう。しかし魔女は、これまでずっとひとりでこの襲撃に立ち向かってきたのだ。なにも悪いことなどしていないのに。守らなくちゃいけない。
しかして、死神はしらけたような顔を向けてきた。
「やめなよ。いまになってそんなことしたって、疲れるだけだよ」
「けど、なにかしないと」
「なにもできやしないさ。あいつら、曲芸団でしょ? 死神の間でも有名だよ。いっぱい人を殺してくれるからねぇ。魂も収穫し放題さ」
「じゃあ手伝って」
「お断りよ」
またこの話になる。
剣士はうんざりして素振りを再開した。とにかく速く剣を振り、敵を傷つけねばならない。魔女に近づかせてはならない。痛みには慣れている。自分が囮になって傷ついてでも、戦闘に勝利するのだ。もとより無傷で勝とうとは思っていない。
死神は溜め息をついた。
「頭キャベツなの? それともポテトなの? あんたってかなり頑固ね」
「うるさい」
「そんな口きいていいの? ちょっとしたヒントをあげようと思ったのに」
「教えて」
剣士はピタリと素振りをやめた。
いま損得で動くことを躊躇していては、生き延びることができない。
死神もさすがに半笑いだ。
「シャクだけど、タダで教えてあげる。その代わり、きちんとあたしに感謝するのよ? そして魔女に、この素晴らしい死神さまを檻から出すよう説得するのよ? いい?」
「うん」
「ホントに? ちゃんとやるのよ?」
「やる。だから教えて」
剣士としては、一回くらいならその話をしてもいいと思っている。ただし本気ではない。ちょっと話してダメだったら二秒で引き下がるつもりだ。
死神もそこは諦めているのであろう、半信半疑ながらもこう続けた。
「じゃあ特別に教えてあげる。あの婆さんも魔女よ。どこかの神と契約してる。だから直接対決になれば、この塔が崩れるくらいの大激戦になる」
「なにそれ、危ないじゃない」
「ええ、危ないわね。だから、先手を打つの。契約がなくなれば、魔力の供給は止まる。つまりあの婆さんは、ただの婆さんになるってわけ」
「どうすればいいの?」
「誰かが神界に行って、直接交渉すればいいのよ。あの婆さんとの契約を打ち切ってくれってね。代償は必要になるけど」
このとき死神がニヤリと笑ったのを、剣士も見逃さなかった。
「代償って?」
「魂よ。それも大量のね。アストラル結晶でもいいと思うけど、あんたらほとんど使い切ってるんでしょ? なら、やっぱり魂しかないわ。あたしと独占契約を結んでくれたら、その中から支払ってやってもいいんだけど?」
「……」
完全に誘導されている。そこまでは剣士にも分かる。が、それが解決策のひとつなのだとしたら、断る理由もないように思われた。
死神はふっと笑った。
「ちょっとあの子と相談してみてよ? 悪い話じゃないと思うわ。あたしに魂を独占させたところで、あんたらが困るわけじゃないでしょ? あんたらだっていつかは死ぬんだし、死神と仲良くしておいて損はないと思うわ」
やがて魔女が出てきたところで、剣士はこの話を相談してみた。機嫌を損ねるかもしれないと思ったので、おそるおそるであったが。
魔女はしかし怒るどころか頭を抱えた。
「そうね。あの下品な女の言い分にも一理あるわね」
幼い顔立ちに難しい表情を浮かべている。
彼女も曲芸団の存在は不安を抱いているのかもしれない。
「じゃあ契約するの?」
「待って。もう少し考えさせて。死神と契約するって、簡単なことじゃないから。なにかよくないことを考えてるのかも」
「そんなに頭よさそうに見えないけど」
「見た目で判断しちゃダメよ。どんなにかわいくて見えても、とっても強い魔女だっているんだから」
「う、うん……」
魔女は浮かせた足をバタつかせている。かなりの勢いで思案を巡らせているのであろう。ずっとひとりでうーうー言っている。
ふと、魔女の足が止まった。かと思うと、剣士へ向きを変え、つぶらな瞳でまっすぐに見つめてきた。
「ね、剣士。ちょっとぎゅっとしてみて」
「ぎゅ? どこを?」
「ぜんぶよ」
「うん」
ちっちゃくて柔らかい体だ。抱きしめると、ほのかに消毒液のにおいがした。ゴブリンの治療に使ったのかもしれない。
震えてはいなかった。代わりに、胸の鼓動が伝わってくる。かなりドキドキしている。
「頭もなでて」
「うん」
つやつやの黒髪。こうして甘えてくると、魔女というよりはただの子供だ。頭をなでてやると、鼻の奥から子犬のような声を出す。
「正直に言うわ。私、とっても不安なの」
「うん」
「負ける気はしないの。私だけなら。でも、みんなを守れないかもしれないって思ったら、なんだか、とても暗い気持ちになってきちゃって……」
「分かるよ」
魔女にとって、仲間を守りながらの戦いはこれが初めてとなろう。剣士も同じ気持ちだ。絶対に傷ついて欲しくないと思う。自分ひとりでなんとかしたいとも。
魔女が黙ってしまったので、剣士は話題を変えた。
「あのゴブリン、あまりよくないの?」
「……」
「死なないんだよね?」
「死なない。でも、本当に酷くて……。生きてる子を相手に、あんなふうにできちゃう悪人がいるんだって思ったら、とっても恐ろしい気持ちになって……」
「そんなに酷いの?」
すると魔女は、さらに剣士にしがみついて、溜め息混じりにこう応じた。
「あの子、お金で体売ってたでしょ? だから今回もそうしたみたいなの。それで寄ってたかって傷つけられて、死ぬ寸前のところで捨てられて……。お金の代わりに置かれた麻袋にも、鉄くずしか入ってなくて……」
「……」
こういうことが起こるのは時間の問題だった。この島には秩序など存在しない。誰もが魔女を殺しに乗り込んでくる。魔女もそいつらを殺す。それだけの場所だ。
しかし、だからといって剣士には許せる話ではなかった。「守りたい」という消極的な気持ちは、明確に敵意へ変わった。いくら賞金稼ぎとはいえ、最低限の矜持があろう。もしその矜持さえ捨てているのだとしたら、もはや獣と変わりがない。
剣士は魔女の体を強く抱きしめた。
「私にできることがあったらなんでも言って。この命を使ってもいい」
「ありがとう。でも命は使わない。力を合わせて生き延びましょう」
「うん」
「あと、ちょっと痛いわ。馬鹿力ね」
「ごめん」
力を込めすぎた。
(続く)