オペレーション
翌日、剣士は儀式を受け入れることにした。
魔女と肩を並べて戦うためには、強くなる必要があると思ったからだ。
フロアの中央に儀式用のベッドが用意され、剣士はそこへ寝かされた。
魔女はクチバシの突き出た鳥のようなマスクをつけ、薬瓶やナイフ、ハサミなどを点検している。
「なにその格好……」
腹をさばかれるというだけでも恐怖なのに、異様な仮装なんぞされては不安が増すだけだ。
魔女はしかしふっと笑った。
「傷口から悪いものが入らないための措置よ。怖がらなくていいわ」
「鏡は見た?」
「異様なのは分かってる。苦情なら魔術書に言って。ていうか、お願いだからじっとしてて」
「うん……」
実際、体はほとんど動かない。麻酔が効き始めているのだ。魔女の調理したパンを食べてだいぶ経つ。麻痺毒が混ぜ込まれているという話だ。
槍に閉ざされたままの死神は、そんなふたりの様子を苦い表情で眺めていた。
「いいのかねぇ、勝手にそんなことして。どこかの誰かに知られたら、また脅迫の材料にされちゃうんじゃない?」
この皮肉を、魔女はいちど無視した。
しかし彼女が道具の再点検に集中していると、死神は揚々と言葉を続けた。
「きっと上は許可しないだろうさ。いや、黙ってろって言うならあたしは黙ってるよ? けどなにかのはずみに口が滑っちゃうかも。契約してくれたら、そんなことにはならないと思うんだけどなぁ」
言いたい放題だ。
ナイフを握る魔女の手に、ぐっと力がこもった。
「忘れたの? その檻に電撃の魔法をかけることもできるのよ。それとも寄生植物の養分になりたい? これだけ下品な餌なんだから、きっとグロテスクな花が咲くわね」
死神もさすがに眉をひそめた。
「分かった。黙るから。寄生植物だけはやめて。考えるだけで寒気がする」
「もしこの儀式が失敗したら、次はあなたを練習台にするわ」
「あー、えーと……。どうぞ儀式に集中して。ここで成功を祈ってる。お行儀よくね」
死神は両手を合わせ、祈るような格好になった。
このやり取りの間も、剣士の意識は確実に遠のいていた。しかし気絶するほどではない。うっすらと意識がある。
魔女はそんな剣士の頬を優しくなでた。
「いったいあの死神は、誰に祈りを捧げるつもりなのかしら。どうせろくなものじゃないと思うけど」
「……」
剣士はすでに、返事の言葉さえ発することができない。
ぼんやりした映像が、ただ視界に入ってくるだけという状態だ。
魔女は手を動かし、首筋をなで、そして腹をまさぐった。
「いまからここへナイフを入れるわ。けれど安心して。私は失敗しない。これまでだって何度もそうしてきたもの。あなたの体のことは、なんでも知ってる。なんでもよ? きっと世界中の誰より詳しいの。優しくするわ。愛する私の剣士。もし死んでしまっても、また生き返らせてあげるから」
ナイフを手に取り、先端をそっと剣士の下腹部へ差し込んだ。
*
同刻、王都――。
宮殿の会議室では、貴族たちが難しい顔で「非公式な雑談」をしていた。
重要な決定はすでに済んでいるから、王は退席している。教会の代表も、平民の代表も、すでに帰った。だからこれは国を動かすような会談ではない。表向きは。
「それで、なにか報告はないのか? 例の……キャベツ騎士団だったか?」
「大臣、神聖ポテト騎士団です。海の荒れ具合にもよりますが、まだ到着したばかりではないかと」
「どうせまた帰って来んのだろう。金ばかりかかりおって」
もじゃもじゃの髭をはやした恰幅のいい大臣は、疲れ切った顔をさらにゆがませた。
財政は厳しい。治安もよくはない。
教会がなにやら怪しい商売を始め、平民がこれに反発し、たびたび衝突を起こすようになっていた。
争いが起こると、どこで聞きつけたのか傭兵団も舞い込んできた。ただの戦士たちではない。ほとんどが「鎧を着た詐欺師」と揶揄される悪徳商人だ。
大きな戦争が終結したこともあり、傭兵団は食い詰めていた。だから小さな火種を見つけてはそれを煽り、大きな争いを起こさせ、なに食わぬ顔で戦いに加担するようになった。それも、両陣営へだ。どちらの陣営にも参加し、「戦いは我々にお任せを」などと調子のいいことを言って、仲間内で戦っているフリをする。
この「まやかし」の戦闘では、死者が落馬による一名のみという記録さえあった。
しかし、だからといって国は傭兵団を無下にはできなかった。またどこかで戦争が始まれば、彼らを雇う必要がある。他国が攻めてきたときにも使えるし、暴動を起こした平民の鎮圧にも有用だ。
ある貴族が溜め息をついた。
「しばらくは、魔女の討伐を休止にしては? 船の維持、運営だけでもかなりの費用です。いまは教会の問題に集中すべきかと」
大臣もうなずいた。
「卿の意見ももっともだ。魔女の討伐なぞ、そもそもが平民の気晴らしでしかない。その平民どもにしたって、いまは教会の批判に熱心なようだ」
「宗教改革などと大袈裟に言い立てるものまでおります。やはり識者を火刑にしたのはやりすぎでしたな」
「教会の決定だ。やむをえんだろう。それに、先日、国王陛下も追認したばかりではないか。言葉には気をつけられよ」
「これは失礼」
戦争が落ち着いて平和になると、神にすがろうとするものも減った。すると教会は客足が遠のかぬよう、「世界に災厄が降りかかる」などと言い募り、救済のための護符を売り始めた。値段によって効力が異なるものだ。
命に値段がついた。
これに平民が反発しただけでなく、識者からも「神はそのようなことを言っていない。言ったというのなら証拠を出せ」という声が出た。
すると教会は、その識者を「異端」として火刑にしてしまった。
結果、世論は真っ二つに割れた。ときには流血をともなう衝突が起こるようになり、ますます傭兵団を呼び込むこととなった。
いまや、たいした驚異でもない魔女にかまっている余裕もないのである。驚異は人間そのものだ。国内で争っていれば国力も弱まるし、他国からも目をつけられる。
ある貴族が顔をしかめた。
「しかし例の曲芸団だけはなんとかしませんと。ヤツらの悪行と来たら、口にするのもはばかられるようなものばかりですぞ。いっそ魔女の討伐に当ててしまうというのは?」
曲芸団を名乗る傭兵の噂は大臣の耳へも届いている。雇われてもいないのに戦場に現れ、必要のない虐殺まで楽しむという連中だ。「まやかし」で金品を巻き上げている詐欺師のほうがいくらか可愛い。
「分かった。では最後の討伐隊として、曲芸団を送り込むとしよう。大事な納税者を殺されてはかなわんからな。例のキャベツが魔女を殺していないことを祈るとしよう」
*
儀式が済むと、剣士は魔女のベッドに寝かされた。
結局、最後まで意識は残ったままであった。かなりぼんやりしていたとはいえ、自分の腹が切り裂かれ、縫い合わされるところを見るハメになった。
いま剣士の腹の中には、拳サイズのアストラル結晶が埋め込まれている。しかし異物感はない。腹をなでてみるが、包帯で巻かれていてなにも分からない。
「触っちゃダメよ。傷口がふさがるまでは」
すかさず魔女の小言が飛んできた。
剣士は顔をしかめる。
「あなた、楽しそうだった」
「見てたの? けど気のせいよ。楽しんでないわ。こっちはマスクしてたんだから、顔なんて見えてないはずでしょう?」
「鼻歌が聞こえたんだけど」
「それも気のせいよ」
鼻歌だけではない。剣士の腹を開いた直後、魔女は嬉しそうに打ち震え、そして「こんにちは」などと言いながらくすくす笑っていた。
とても丁寧に仕事をしてくれたことは分かる。しかし剣士には理解のできない趣味だ。
「これで私も魔女になれたの?」
「理屈の上ではそうね。魔法が使いたければ勉強の必要があるけど」
「その前に文字おぼえなきゃ」
「私が教えてあげる」
魔女は指先で、剣士の赤い髪をなでた。か細い指だ。数々の殺戮を繰り返した女の手には見えない。ままごとしか知らず、包丁さえ握ったことのないような少女の手である。
剣士はその手をつかまえ、そっと握った。
「私、強くなったんだよね? これからは、あなたと一緒に戦えるよね?」
「またその話? 本気でこの世界と戦うつもりなの?」
「うん、本気だよ」
すると魔女は、あきれたように手を振り払った。
「気持ちだけ受け取っておくわ。けれども私、あなたとふたりでいられればそれで満足なの。無茶なことしたら許さないから」
「うん」
魔女はしばらく怪訝そうに顔を覗き込んでいたが、やがて観念してうなずいた。
「分かった。信じる。いい子にはご褒美をあげないとね。もうすぐキノコのスープが仕上がるわ」
「ポテトも入れて」
「お断りよ。だいたい、あんなに潰れてしまって。きっともう食べられないわ」
「埋めたら新しいのが出るかも」
「イヤよ。捨てなさい」
塔の屋上には花壇がある。剣士はそこを借りてポテトを育てようと計画していたのだが、この調子では許可もおりないだろう。
そんな剣士の消沈をよそに、魔女はぽんぽんと彼女の肩を叩いた。
「余計なことは考えないで、いまは体をいたわって」
この会話のさなか、奥では髑髏の兵が黙々と料理をしていた。彼は命じられたまま、ずっと鍋をかき回していたのだ。魔女いわく「人が作るよりずっと清潔」なのだという。
気持ちはどうあれ、剣士はなにも言わず、しいて受け入れることにした。ここの主は魔女なのだ。彼女の方針に従うしかない。
(続く)