魔女の憤怒
朝は来ない。
それでも目はさめる。
剣士が寝返りを打つと、魔女と目が合った。彼女はどういうつもりか、つぶらな瞳で寝顔を覗き込んでいた。
「なにやってるの?」
「看病よ」
「大袈裟」
「おはようのキスはいかが?」
「いらない」
手で追っ払いつつ、剣士は身を起こした。
薬が効いているのか、体の調子はだいぶよくなっている。
「ポテトを焼きたいんだけど」
「私の話、聞いてた? その要求には応じられないわ」
「魔法で焼けないの?」
「焼けるけど、しないの。なぜだか分かる? したくないからよ」
「分かった。じゃあいいよ」
魔女はあまりにかたくなだ。
ポテトからはすでに芽が出ている。このままではいずれ食べられなくなってしまうだろう。
しかし魔女が頬を膨らませて顔を背けてしまったので、剣士はあきらめることにした。
その代わり、こう尋ねた。
「次の討伐隊が来るのはいつ?」
「だいたい、ふた月にいちどってところね。しばらくはゆっくりしていられるわよ。私は忙しくなるけど」
「なんで?」
この問いに、魔女は深い溜め息をついた。
「まずは死体を片付けないと」
「埋葬するの?」
「まさか。秘術でアストラル結晶に変えて再利用するのよ」
「アストラル結晶?」
「魂の抜け殻を魔法で再構成したものよ。これをいっぱい集めると、魔物を召喚できるの」
死体を下取りに出して、新しい命を買うということだ。
剣士は顔をしかめた。
「騎士団の死体も使うの?」
「誰の死体でも使うわ。けど悪く思わないでね。私も自分の命を守らないといけないから。だってそうでしょう? なにも悪いことしてないのに、武器を持った野蛮人が大勢で殺しに来るのよ?」
「うん……」
剣士もその野蛮人のひとりだ。悪い魔女を殺せば報酬がもらえるという話を信じてやってきた。魔女はむしろ被害者であろう。
それでも、できれば騎士団の遺体は大地に埋葬してやりたかった。
魔女は不審そうに目を細める。
「あきらめてね? 決して彼らの死を侮辱したいわけではないの。たとえ自分の親兄弟であっても、ここではそうするしかないの」
「分かってる」
*
やがて作業のため、魔女は髑髏の兵をともなって部屋を出ていった。
だから剣士は、いま塔の最上階にひとりでいる。
風が吹き付けてくるだけの寂しい場所だ。
円形のフロアを構成する冷たい石の壁と床には、月光の織りなす硬質な影が投射されていた。剣士もその影の一部だ。
窓から遠方を眺めれば、月に照らされた黒い海が不気味に表面をうねらせている。
いつも魔女が使っている木製の椅子が、ぽつんと寂しい。壁際にはソファとサイドテーブル。スタンドには各種武器が展示されている。剣士はこれに何度も殺された。
ドアを挟んで魔女の私室がある。
私室には本棚とデスク、そしてベッド。
奥には小さな洗面所。
剣士はうろついてみて、魔女の世界の狭さを痛感した。
彼女は二百年もの間、ひとりでこの部屋にいるという。契約で島に縛り付けられ、たびたびやってくる討伐隊を殺しながら、隙を見つけては魔法を勉強し、ただ生きてきた。
孤独だ。
剣士がフロアへ戻ると、椅子に女が腰をおろしていた。
例の死神だった。
「魔女は?」
「下で作業してる」
「じゃあ入れ違いだね。少し待たせてもらうよ」
いまはフードをとり、後ろで束ねた青黒い髪をさらしている。目つきが悪く、口元にもニヤニヤと笑みを浮かべている。あの少女よりも、こちらのほうがよほど魔女に見える。
「そこに座ってると怒られるよ」
「そうなの? じゃあそっちに移るわ」
魔女は素直に立ち上がり、鎌を手に壁際のソファへ来た。
「ねえ、あの魔女なんて言ってた?」
「なに? なんの話?」
「契約の話だよ。あたしの脅しにビビって、どうしよどうしよって不安がってたんじゃないのかい?」
いったい彼女の中ではどんな状況が想定されているのだろうか。
剣士はこう応じた。
「あなたの話は特にしてないよ」
「しなさいよ。重要な話でしょ?」
「ちっとも気にしてなかったけど」
「完全にナメられてるわね。まあたしかに、もし違反を報告して魔女が罰せられるようなことになれば、この塔だって機能しなくなる。そしたら死者の魂も手に入らなくなるわけだから、どっちにしろこっちが不利なんだけど」
これでは魔女も余裕のわけである。
死神は馴れ馴れしく身を乗り出してきた。
「ね、あんたからも言ってやってよ。死者の魂を、このあたしに独占させて欲しいって」
「興味ない」
「可愛くないこと言わないの。あんたの代わりに魔物を倒してやったじゃない」
「あれくらい私ひとりでも倒せた」
「もし協力してくれたら、あのポテトおじさんたちを優遇してやってもいいんだよ。中には人使いの荒い神もいるからねぇ。そういうヤツのところじゃなく、もっと優しい神のところに売り飛ばしてやるよ」
剣士にとっては興味深い提案だ。
しかし事実かどうか判断できない。勝手なウソを言っている可能性もある。
「続きは魔女が帰ってきたら聞くよ。私、難しいこと分からないから」
「いいよ。あんたはきっとあたしに協力したくなるさ。あたしには分かる」
自信満々だ。
*
そのまま魔女の帰りを待った。
が、あまりに暇だったため、剣士と死神は転がっている骨でゲームをして時間を潰すことにした。床を滑らせ、輪の中に入ったら勝ちというシンプルなゲームだ。勝ったほうは負けた相手を好きなだけくすぐれる。
かくして剣士が死神を責め立てているところへ、魔女は帰ってきた。
魔女は部屋へ入るなり不機嫌そうな顔になり、溜め息と同時に椅子へ腰をおろした。
「また来たのね。なんの用なの?」
死神はまだ状況を理解していない。
「えっ? いやー、腋はダメだって。あと少しで漏らすところだったわ。えーと、なんだっけな。あ、そうそう。契約の話だよ。結論が出たかと思って」
くすぐられたテンションで、ニヤニヤしながら魔女へ近づいていった。
その直後、槍が降り注ぎ、ザンと床に刺さった。四本。死神を囲んでいる。
「えっ? ちょっとちょっと! 待ってよ! あたしがなにをしたって言うんだい?」
「汚らしい魔物が神聖な場所に入り込んできたから閉じ込めただけよ」
「横暴だよ! 話をしに来ただけじゃないか!」
この抗議に、魔女はギロリと睨み返した。
「話をしに来ただけ? なら土足であがり込んでこないで、下で待ちなさい。ここは私と剣士だけの部屋なの」
「はぁ? そんなこと、どこに書いてあるワケ?」
「口答えしないほうがいいわ。その魔法の檻に電撃を通すこともできる。もしそうなれば、あなたは死ぬこともできず、永遠に身を焼かれることになるのよ」
「えっ? いやぁ……そのぅ……次からは気をつけるよ。けど、どうしても話がしたくってさ」
ただでさえ血色のよくない死神の顔が、さらに蒼白になった。蝋人形のようだ。
魔女は怒りを鎮めるように、じっと目を閉じた。
「話なら断ったはずよ」
すると死神は、我関せずとばかりに横を向いていた剣士を巻き込んだ。
「ちょっとあんた! あんたからも言ってやんなよ! ポテトおじさんを救いたいんでしょ?」
こんなことなら、魔女が死神を八つ裂きにでもしてくれたほうが話は簡単だった。
魔女から向けられる不審そうな視線に耐えきれず、剣士はやむをえず口を開いた。
「契約してくれたら、騎士団のみんなを優しい神さまのところに売り飛ばしてくれるって」
「そうそう! そうよ! こっちは善意で言ってるの! あんたにも人を愛する心はあるでしょ? 契約しなよ!」
死神はここぞとばかりに便乗してくる。
魔女はしかし冷淡だ。
「断るわ。あのポテト教団がどこでどう扱われようと知ったことじゃないもの。それに、あの人たち、戦いが大好きでしょ? ちょうどいいじゃない」
一理ある、と、剣士も思った。
彼らは勇敢で、決して臆することがなかった。神々の戦いで思う存分暴れることができるのなら、むしろ本望なのではなかろうか。なんなら剣士もそこに参加したいくらいだ。
死神はキョロキョロしている。
「えっ? ウソでしょ? 契約しないの? じゃああたし、どうなっちゃうの?」
魔女はすると幼い顔に似つかわしくない、サディスティックな笑みを浮かべた。
「さて、どうしましょう。そういえば、死神からアストラル結晶を生成したことはなかったわね。どうなってしまうのかしら。ふふ。考えるだけで気持ちが高ぶってしまうわ」
「いやいやいや……。冥府の神だってそんなことしないでしょ……」
「しないかもしれないわね、冥府の神は。けれども、私は私。黒の魔女よ。なにをするかは私の気分次第。そしていまの気分は、とても残酷な気分」
「……」
さしもの死神も絶句してしまった。
剣士は巻き込まれないよう、そっと骨を片付け始めた。
(続く)