なにも考えてない
剣士は背筋を伸ばし、城を守るナイトのような気持ちで剣を握った。
が、後ろから飛んできたのは溜め息だった。
「ねえ、剣士。あなたなにをしてるの?」
「戦いに備えてる」
「誰と戦うの?」
「悪いやつなら誰とでも」
魔女は肩をすくめ、それきりなにも言ってこなくなった。
放っておかれると、剣士もだんだん冷静になってきた。いったい自分はなにと戦うつもりなのだろうか。悪いやつとは誰のことなのだろうか。もし仮に神々が襲撃してくるとして、そいつらは人間みたいに階段をあがってくるだろうか。
振り返ると、魔女は壁際のソファに身をあずけ、マグカップ片手に読書を楽しんでいた。宙に浮いた分厚い本は、触れてもいないのに自動でページがめくれてゆく。
「自分だけズルい」
「あなたも休憩していいわよ」
「敵が来たらどうするの?」
「安心なさい。来る前に分かるから」
さすがは魔女だ。
剣士は武器を納め、ソファへ近づいた。
「隣、いい?」
「ええ、どうぞ。けどその前に、その重たい鎧をとったら? せっかくのソファがボロボロになっちゃう」
「じゃあ床でいい」
返事も待たず、剣士はその場に腰をおろした。
魔女は苦い笑みだ。
「あなたってホント、マイペースね」
「なに飲んでるの?」
「ハーブを煎じたものよ。あなたも飲む?」
「おいしいの?」
「リラックスできる」
魔女がカップを突き出してきたので、剣士も遠慮なく口をつけた。やや苦く、むせ返るような生薬のにおいのする、ぬるい茶だった。
「マズいわ……」
「失礼よ。自信作なのに」
「ねえ、火があるの? ポテトを焼きたいんだけど」
剣士がふところから潰れかけのポテトを出すと、魔女は顔をしかめた。
「ダメよ。火はあるけど、そんなことのためには貸せない」
「ケチね。親友になったんじゃないの?」
「親友でもダメ。適切な距離があるの。それを守って」
「分かった」
まったく分からないが、反論するとうるさそうなので剣士は会話を終わらせた。
しばらく風の音を聞いた。
この心細い塔には、潮風が容赦なく吹き付けてくる。
剣士は兜をとり、魔女のスカートをつまんだ。
「私はなにをすればいいの?」
魔女の返事はこうだ。
「暇なの? 一緒に寝る?」
「なんで魔女と」
「親友でしょ」
「適切な距離は?」
「ベッドがひとつしかないんだもの。一緒に寝るしかないでしょ」
「裸になるの?」
剣士が尋ねると、魔女は複雑そうな表情を見せた。
「あなた、それ本気で言ってるの? なるわけないでしょ。まあなりたければ勝手になってもいいけど。あ、でも鎧は脱いでね。ベッドが傷むから」
「鎧は脱ぐ」
そしてガントレットを外し、肩当てや胴鎧も取ることにした。
魔女は眉をひそめて覗き込んでくる。
「ひどい怪我ね。やっぱり薬を塗ったほうがいいわ」
「銀貨一枚で足りる?」
「タダでいいわ。親友だもの」
「ありがと。薬って染みるやつ?」
「染みるけど我慢しなさい」
「分かった」
かくして剣士は椅子に座らされ、魔女に薬を塗りたくられた。
ほとんどが火傷だ。あとは数箇所の打撲。鎧のおかげで切り傷はない。
「いつ見てもしなかやな筋肉ね……」
治療を終えた魔女は、満足そうに剣士の体を眺めた。
鎧を着て動き回るだけでも重労働だ。いつの間にか筋肉がついてしまった。しかし男のように屈強なだけではない。柔軟性がある。
「いつ見ても? いつ見たの?」
「誤解よ。心臓を取り出す際に、やむをえず見ただけだから」
「えっ?」
「死霊術に必要なの。蘇生のために死者の心臓を捧げるのよ。普通は他人のを使うんだけど」
「悪趣味ね」
「苦情なら魔術書に言って。私は書かれてる通りにやってるだけなんだから」
「……」
それはたしかに魔術書のせいだ。
剣士は服を着て、ひとつずつボタンを留めた。
体中がヒリヒリするが、我慢したおかげでそのうち治るだろう。
「ねえ、黒の魔女。あなたを救うにはどうしたらいいの?」
いろいろ考えても答えが出ない。敵が誰なのかも分からない。なにも分からないままだ。
この問いに、魔女はややうんざりと目を細めた。
「言ったでしょ。ムリよ。現実的じゃない。世界を敵に回すことになるんだから」
「世界の誰? ぜんぶ?」
「ぜんぶじゃない。少なくとも、ここへ討伐隊を送ってくる礼儀知らずと、私を縛り付けてる傲慢な神々をなんとかする必要があるわ」
「あなたでも勝てないの?」
「無茶言わないで。神には誰も勝てないわ。だって会うことさえできないんだもの。契約を解除できればなんとかなりそうだけど、そうなったらたぶん、私も死んでしまう」
そんな説明を受けても、剣士の頭にはハテナしか湧いてこない。
「なんで死んでしまうの?」
「私、二百年も生きてるのよ? なんでだと思う? それはね、契約によって神界から魔力が供給されてるからよ。私はここで塔を守る代わりに、神々から力をもらってるの。契約がなくなったら死ぬに決まってるでしょ」
「じゃあずっとここに住むの?」
「そうなるわね。あなたも一緒にいてくれる?」
「えっ? たまには帰りたい……」
この呪われた島はずっと夜のまま太陽さえのぼらないのだ。たまには明るい街の景色が見たい。
魔女はしかしぷるぷる震えている。
「そこはウソでも一緒にいるって言うところでしょ」
「うん。いるよ。可哀相だから。でも私、二百年も生きないよ」
すると魔女もうなずいた。
「問題はそこよね」
「ここにいたら、私だけお婆ちゃんになっちゃう」
「もしあなたが望むなら、歳を取らないようにしてあげることもできるけど」
「本当に? 銀貨一枚で足りる?」
「タダでいいわ。親友だもの。その代わり、あなたも魔女になるの」
「……」
仮にそのようなことになれば、彼女は赤の剣士ではなく、赤の魔女になってしまう。
剣士は「うーん」と天井を見上げた。
「私も魔法が使えるようになるの?」
「それは勉強しないとムリよ。あくまで力が満ちるだけ」
「面倒ね」
「あとは……。私の力の一部を供給することになるから、私から離れられなくなるけど。もう親友だしいいわよね」
「ケンカして仲が悪くなったらどうするの?」
「ケンカしなければいいのよ」
「なるほど。でももしケンカしたら……」
「しないの。それで解決」
「分かった」
すでにしているような気もするが、剣士はあえて考えないことにした。
魔女はソファへ向かい、どっと腰をおろした。
「今日はもう疲れたわ。儀式はあなたの傷が治ってからにしましょう」
「どんな儀式なの?」
「安心して。ちょっと体を切って中に石を埋め込むだけだから。あなたの体を切るのは慣れてる。それに、もし失敗してもちゃんと蘇生するから」
「痛そう」
「ちゃんと麻酔するわよ。魔物から抽出した麻痺毒があるの。野ウサギで試したけど、ピクリともしなかったわ」
「ちょっと考えさせて……」
おそらく魔女に悪意はない。
もし彼女が悪人ならば、剣士の許可など取らず勝手に儀式をやっただろう。強制しないということは、剣士の意見を尊重しているということだ。少なくともこの件に関しては。
魔女はおもむろに靴を脱ぎ、靴下も脱ぎ、服さえ脱ぎ捨て、白い一枚布の下着姿になった。かと思うと、魔法を使って毛布を引き寄せた。
「今日はここで寝るわ。あなたは私のベッドを使って」
「一緒に寝ないの?」
「それはあなたの怪我が治ってからにしましょう」
「意外といい子ね」
「子供扱いしないで。言っておくけど私のほうがお姉さんよ」
「どちらかというとお婆ちゃんでしょ」
「私が怒る前に寝なさい」
いや、もう怒っている。魔女は大袈裟に毛布を頭からかぶり、一方的に会話を切り上げてしまった。
剣士は小声で「ありがと」と告げ、ベッドへ向かった。
しかし気分は晴れない。
なにせ彼女を本当に救うためには、国王と神々を倒す必要があるのだ。あるいは儀式を受けて、魔女にならねばならない。その後は魔女とケンカをすることさえ許されないのだという。
どれも同じくらい難しい。
計画を立てたところで、それは実現しないだろう。なにせ魔女を殺しに来たはずなのに、完全に懐柔されてしまっている。
その場その場をやり過ごすだけで精一杯だった。
(続く)