祝福の風
七十六階、待ち構えていたのは巨大な氷像だった。
人の形をしているが無生物である。階下で遭遇したゴーレムとほぼ同類。素材が氷か砂かの違いしかない。ただし密着していると体温を奪われる。逆に炎があれば動きを鈍らせることができる。
「大物だ!」
「左右から挟み込むぞ!」
「足だ! 足を狙え!」
「うおおおおっ!」
「ポテトのご加護あれ!」
この手の魔物を見ると騎士団は血がたぎるらしかった。
剣士は慎重に距離をはかる。砂のゴーレムとの戦いでは、あと少しでつかまれて握りつぶされるところであった。
騎士団の展開は迅速で、すでに足を攻撃しているところであった。氷像はうるさがって彼らを殴ろうとしている。剣士は駆け寄りながらダガーを投擲。ガッと音がして、ダガーは氷像の頭部を削った。
肝心なのはここからだ。
氷像は剣士をなぎ倒そうと、持ち上げた手をぐんと振り下ろしてくる。スピードはゆっくりに見えるが、それはサイズ感の違いによる錯覚。実際はかなり速い。
剣士は逃げ出さない。むしろ全力疾走で距離をつめる。さがって間に合わないのであれば、ふところに潜り込むまでだ。
剣士がスライディングをすると、冷たい空気がごうと音を立てて頭上を通過した。剣士はそのまま股下をくぐり、背後へ回り込んだ。
騎士団の猛攻撃により、すでに氷像の足はだいぶ削られていた。おかげで足捌きは軽快になってしまったが、今度は上半身を支えきれなくなり、氷像はふらりと後退した。そうして何度か足踏みしているうちに、バキリとヒビが入り、足が折れた。仰向けになった氷像は、ついに制御を失い、宝石をぶちまけたようにバァンと砕け散った。
「意外とあっけない」
「いや、俺たちが強いのだ」
「ポテトを讃えよ!」
「ポテトを讃えよ!」
騎士団は武器を掲げ、鬨の声をあげた。
たしかに圧勝であった。ここまで残っている面々は、団の中でもとりわけ精鋭なのであろう。
剣士は氷の粒をかきわけてダガーを拾い上げ、鞘へ納めた。
大型の番人はあと五体。
魔女はすぐそこだ。
*
髑髏の兵を蹴散らしながら、八十一階へ到達。
つるりとした皮膚の、鱗のない白いワニのような生物がうずくまっていた。ワームの一種だ。そいつは剣士たちの姿を見かけるや、ぬるりとした動きで向きを変えた。
剣士は騎士団に警告を発した。
「こいつはなにをしてくるか分からないから、とにかく気をつけて」
髭面のリーダーはしかとうなずいた。
「うむ。では気をつけつつも、いつものように勝たせてもらうとしよう」
これに団員も続いた。
「左右から仕掛ける!」
「うおおおおっ!」
「ポテトのご加護あれ!」
正面に立たないのはいい判断だ。
このワームは、そのときどきで性質が異なる。口からブレスを出すのだが、それは炎であったり、冷気であったりする。側面も安全とは言えない。
団員は一気呵成に攻めかかり、まずはワームの表面を傷つけた。傷口から流れ出すのは赤い血液ではなく、ギラギラとした油のような液体。
ワームの動きは鈍い。
勝利を確信した騎士団は、さらにワームを攻め立てる。
一方的な展開に見えた。
ワームの体液は流れ続け、団員の足元へもあふれだした。何名かが滑って転倒し、気まずそうに立ち上がる。攻撃は継続。
ワームが口を開いた。
正面には誰も立っていない。だから危機感を抱くものはほとんどいなかった。
カッと閃光が爆ぜた。
帯電のブレスだ。それが油を伝わり、周囲の騎士団員を強烈に打った。近くにいた剣士も巻き添えを食らい、全身を電撃にやられた。
ほんの一瞬ではあるものの、全身をムチで打たれたような激痛が走った。
それでも剣士は軽症で済んだ。フルアーマーだから、電気が表面を走ってくれたのだろう。
しかし顔や手足を露出していた騎士団員は、思いのほかダメージを受けていた。
さいわい、ワームはじっとしたまま動かなかった。強烈なエネルギーを放出したせいだろう。そいつが力を取り戻し、行動を再開したところで、剣士もなんとか立ち上がった。
足に力を込め、横へ横へと回り込む。ワームも四本足でドタドタ向きを変える。剣士はいちど油で転倒したものの、すぐに立ち上がって距離をつめた。ワームが口を開く、二度目の閃光。直撃していないはずなのに、鎧が電気を引き寄せてしまう。身を焼かれながらも、剣士は前のめりで剣を突き込んだ。
手応えはあった。
つい剣を手放してしまったが、ワームのどこかには刺さったはずだ。しかし起き上がれず、確認もできなかった。意識が朦朧とし、音もくぐもって聞こえた。
強烈なエネルギーを放ったワームは、またしばらくは動けまい。再始動する前に、なんとか立ち上がらねばならない。このままではまた焼かれる。全員だ。
呼吸を整えながら、剣士はふと違和感に襲われた。
やけに静かである。
ワームは力を溜めている最中かと思われる。あるいは死んでいるかもしれない。その判断はつかない。
しかし騎士団員がおとなしいのはどういうことであろう。まったく動いている気配がない。あるいは耳をやられたせいで、聞き取れなくなっているだけであろうか。
なんとか顔の向きを変え、フルフェイスの隙間から戦況を確認した。
首筋に剣の刺さったワームは、短い前足でそれをはたき落とそうと必死になっている。周囲には倒れ込んだ騎士団の面々。生死は不明。
剣士は獣のように唸りながら、重たい体を起こした。
ワームはパニックを起こしている。攻めるならいまだ。失った剣の代わりに見覚えのあるメイスを拾い、敵へ迫る。ワームはカッと口が開いてブレスを吐こうとするが、放たれる直前、上から叩き伏せた。口内で小さな爆発が起こり、目玉を飛び出さんばかりになった。
その頭部を、剣士はさらにメイスで殴りつける。信じられないほど重たい。振り上げるのがいちいち大変だ。
振り上げてはおろし、振り上げてはおろし、ワームの頭部が原型を留めなくなるまで殴り続けた。
剣士はメイスを捨て、その場にへたり込み、血と油にまみれた床に突っ伏した。
みんな死んでいる。
一撃目はおそらく耐えた。致命傷となったのは二撃目。倒れていたから、床から来た電撃をもろに食らってしまったのだ。
剣士もしばらく動けそうにない。
やむをえず、そのまま気を失うことにした。
*
どれだけ寝ていたのかは分からない。
剣士は自分が生きていることを確認すると、ふたたび上階を目指して歩を進めた。
彼女はいま、団長から拝借した前掛けをつけている。かなり焦げてしまっているがポテトの刺繍は健在だ。
髑髏の兵を乱暴に叩き切りながら、ふらふらと八十六階へ到達。
部屋に入る直前で、剣士は糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
戦う力が湧いてこない。
胃の中に入れたワームの肉は、ぶよぶよと油っこく、どうしようもなく受け付けなかった。途中でいちど吐いた。
部屋にいるのは巨大サソリ。
足が速いから逃げ切れない。外骨格も固い。隙間を狙って刃を差し込む必要がある。集中しなければ勝てない相手だ。
ぼうっと呼吸を続けていると、団員たちの顔が浮かんできた。笑い声も、あのひどい歌声も。
すでに涙は枯れている。しかしそれだけに、喪失感を慰撫する手段もなかった。時間の経過を待たねばならない。
この塔では誰もが死ぬ。
それは分かりきっていたことだ。
今後も続く。
魔女が死ぬまで。
(続く)




