とあるOLのケース
あたし、入る会社を間違えたかなぁぁぁ?
エアコンの効いたオフィスで、あたしは書類のデータをパソコンに打ち込んでいる。
入社して2年目のあたしが一生懸命働いているのに、同じ部署の先輩達は雑談に花を咲かせている。
「の~、ノ?」
最近出現した謎の生物ちゃんが、机に鎮座して、パソコン画面を見つめている。
はぁ~~、かわいいぃ。
どんぐり眼の可愛い妖精っぽいアノちゃんを見ていると、廃れた心が癒やされる。
そんな安らぎのひとときは、すぐに終わりを告げた。
「京子さん、この書類、今日中にお願い」
狐顔の先輩が、書類の束を抱えてやってきた。
あたしの返事を待たずに、ただでさえ書類だらけの机に、書類を積み重ねていく。
先輩が来たせいで、アノちゃんの黒髪が真っ赤に染まり、つぶらな黒い瞳が怪しい金色に変わってしまった。アノちゃんの警告モードだ。
「あの……、他の人からも頼まれていて、今日中は……」
あたしにばかり、仕事を押しつけるなぁぁ。あんたも仕事しなさいよ!
「終わったら、私に送っておいて」
あたしの言い分を聞く耳を持ち合わせていないようで、自分の要件だけを押しつけて、談笑の輪に戻っていった。
仕事を命じるだけで、お給料貰えるなんて、うらやましい……。
あたしも、あんな風に楽をできる身分に……いやいや、働かないのにお金を貰うっていうのは、人として、どうなんだ??
心の声を顔に出さないように気をつけながら、作業を続行。
先輩が遠ざかり、アノちゃんは可愛い姿に戻った。
新しく積まれた書類に目をやる。
確か、この案件は急ぎの要件では無かったはず……。
よし、後回しにしちゃおう。
先輩たちのバカ笑いが耳を突く。
……がまんがまん。
がまんがまん。
この仕事の押しつけられっぷりは、さながら、現代版のシンデレラ。
でも、童話のようなハッピーエンドは起きなさそうだ。
「ここ、間違っているノ」
アノちゃんが、パソコン画面を軽く叩く。
あー、数字打ち間違えてる。さっそく修正しておく。
「ありがとね」
褒められて、両腕をパタパタと動かして喜ぶアノちゃん。
か、かわいい。
それに役立つ!
「ぶっちゃけ、先輩より……」
おおっと、危ない危ない!
慌てて、口にチャックをかける。
【ぶっちゃけ、先輩よりも役立つ】って、本音が漏れそうになってしまった。
アノちゃんが飽きてしまったのか、立ち上がった。
まずい。
あたしの心のオアシスが!
慌てて、机の引き出しから飴玉を取り出して、アノちゃんの口に放り込む。
「もぐもぐ。
もう少し、付き合ってあげるノ」
パソコン画面の横に戻ってくれた。
◇◇◇◇◇
パソコン画面の隅に表示されている時計を見る。
リア充が爆死すると予告された時間まで、あと5分。
とても気になる。
仕事に手がつかないほどに。
「おまえは、大丈夫なノ」
あたしの気持ちを察したのか、アノちゃんが話しかけてくれた。
「でも、このフロアで、おまえ以外の人は爆死するノ~~!!」
とてつもなく大きなボリュームで、余計なことも叫んでくれた!
周りのおしゃべりが、ピタリと止まった。
あたしはパソコン画面から視線を1ミリもそらさず、耐える。
ああぁ、視線が痛い。痛すぎる。
あたしの背中には、鋭い視線の矢が突き刺さっている。
コホンと、わざとらしく咳払いをして作業を再開する……フリをした。
爆死予告の時間までは、とてもじゃないけど集中できない。
この1週間の情報を、頭の中で呼び起こす。
【リア充度について】
あたしのリア充度は、5!
低い。低すぎる。
リア充度に関して、ネット上でやりとりが盛んで、いまのところの結論は、次のようなものだ。
《広い意味で、リアルでの生活が充実している度合い》ではない。
《リアルでの異性との愛が充実している度合い》や《家庭を持っている人の幸福度》といった度合い。
ただし、異性との愛といっても、兄妹や姉弟であれば低い。
《対象年齢がある》
15歳以下や高年齢の人は、リア充度が0となっている。
《国や地域によって変わる?》
あたしは、恋人が居ないのにリア充度が5。
けれど、国によっては同条件でリア充度が0という地域が多いらしい。
つまり、大半の国では「リアルで恋愛していない = リア充度が0」なのに、日本では「リアルで恋愛していない = リア充度が5」の人が非常に多い。
一方、リア充度を下げる情報も広がっている。
誰もが思い付く方法だ。
・恋人がいる人であれば、別れればいい。
・夫婦であれば、離婚しておけばいい。
けれど、日本では《わざわざ離婚するなんて、とんでもない》という考え方が主流。
爆死する可能性があるからと、離婚した人の数は少ないようだ。
他にも都市伝説な噂として、リア充度が明らかに高い家族なのに、アノちゃんが警告モードにならない人たちも居るとか……居ないとか。
ネット上の情報なので、どこまで信じていいのか分からないけれど……。
まだまだ、リア充度には謎が多すぎる。
気さくにおしゃべりしてくれるアノちゃんは、リア充度の算出方法に関しては教えてくれない。
世界中の人達が、【誘導尋問】や【土下座レベルのお願い】をしてもダメだった。
◇◇◇◇◇
11時まで、あと2分。
アノちゃんの爆死発言で静かだったオフィスには、また賑やかさが戻ってきている。
あたしは、パソコン画面から視線を外し、オフィスを見渡す。
うちの部署の人は、子煩悩な人ばかり。
自分の席に、家族の写真がずらりと飾っている。
パソコン画面の背景画像も、家族写真という人も少なくない。
あたしも、この会社に就職した頃は、
【社内に、かっこいい人がいて、社内結婚!】
と妄想したりもした。
でも、かっこいい人は、みんな、既婚者だった。
平日は、遅い時間まで残業。自分のための時間がとれない。
その反動で、休日はテレビ(主にアニメ)やゲーム・マンガといった娯楽で、終わってしまう。
このままではいけないと思っているけれど、なかなか変えられない。
勇気をだして、この会社を辞めれば、変わるのかもしれない。
うーん……。
でも、また就職活動をしなくちゃいけないし。
この会社も、いちおう残業代は支払ってくれるので、完全なブラック企業じゃない……ような気もするし。
あたしが変わるか、それとも、世界が変わるか。
どちらかが変わらないと、あたしの日常は変わらない。
あと、10秒。
9、8。
アノちゃんが警告モードになった。
「京子さん、これも……」
また、先輩が書類を持ってきたせいだ。
はぁ……先輩、爆死しちゃえばいいのに……。
そう、心で呟いたとたん、
あちこちで、カメラのフラッシュをさらに強烈にした光が生まれた。
光の嵐。光の洪水。
視界は真っ白。
慌てて両手で瞳を覆った。
バサササと、書類が床に落ちる音が届く。
眩しいだけで、あたしの体に怪我は無い。
おかしい。
誰かが悲鳴をあげそうな状況なのに、妙に静か。
ゆっくりと、目を覆っていた両手を下ろした。
あれ?
居るはずの人たちが見えない。
フロアを見回しても、誰もいない。
逃げる足音は聞こえなかったけど、あんな短時間で逃げたの?
何か、嫌な予感がする。
とんでもないことが起きてしまったような……。
生唾を飲み込む。
床に散らばった書類を拾おうとして、体が凍りつく。
……何なの? これ。
書類だけでなく、ビーズのような結晶がたくさん散らばっていた。拾い上げてみると、触った感触もビーズと似ている。違うところは穴が無いことくらい。
さらに異様なものを見つけた。
服や靴やスマホ等が落ちていた。
見覚えがある。あの先輩のものだ。
逃げるにしたって、服やスマホを捨てるなんてことは……。
恐怖のあまり動くのを拒絶する両足を、強く叩いて叱咤する。
立ち上がり、注意深くフロアを歩く。
他にも、結晶や衣類、靴だけが残されている。
「「さてと、お仕事するノ」」
静まりかえっていた空間に、アノちゃんの声が響いた。
顔を向けると、10人ほどのアノちゃんが居た。
いつのまに……。
「ね、ねぇ。アノちゃん。
もしかして、これって……」
答えが恐いけれど、確かめずにはいられない。
「あたしの会社の人たち?」
たくさんのアノちゃん達が手を止めて、あたしをまじまじと見つめた。
ちょっと前まではアノちゃんに見つめられると癒やされていたのに、今は恐怖を覚えつつある。
「そんなわけ~~」
あるはずが無いか……。
「「あるノ~~!!」」
楽しげに叫ぶなり、何かを始めるアノちゃんたち。
……信じたくなかったけれど、この結晶は爆死した人達らしい。
思考が現実逃避しそうになっているのに、目前には信じがたい光景が始まっていた。
アノちゃんたちの頭上に、大きなシャボン玉のような物が出現した。
そして、シャボン玉に結晶や服・靴といったものが吸い込まれていく。
ざっとシャボン玉の数を数えると、たぶん、このフロアに居た人数分。
あちこちに飾られていた写真も吸い込まれ、
机の引き出しも勝手に開いて、思い出の品と思われる物も吸い込まれていく。
まるで魔法のよう。
吸い込みが終わった。
各座席には、会社から支給されたノートパソコンだけが置かれている。
誰かが、その席に居たという痕跡が消滅している。
あたしには悪い意味で賑やかだったオフィスが、きれいさっぱり消え去っていた。
遺品を吸い込んだシャボン玉は、静かに上昇していき、天井にぶつかる寸前に消えてしまった。
「外を見るノ~」
言われるがまま、窓際に近寄って、外を注視する。
たくさんの巨大なシャボン玉が上がっていく。
10個……100個……数え切れない。
このフロアは、高層ビルの7階だ。窓から見下ろすと、駐車場に避難している人たちもいた。
ドタドタと階段を駆け下りていく音も聞こえ始めていた。
空中には、あちこちに大魔法使いの姿が出現した。
◇◇◇◇◇
……大魔法使いのメッセージが終わった。
まだ信じられない。
この周辺を巻き込んだ、大がかりなドッキリかもしれない。
若者の行動を試す的な……そんな試練かもしれない。
99%違うと分かっていながらも、1%の希望を信じようとしてしまう。
部署の人が全員居なくなった。
同僚が死んだという事実を受け入れられない。
ついさっきまでは雑音でしかなかった先輩達の談笑が、妙に懐かしい。
これから、どうすれば……。
私の机には、たくさんの書類が積み上がったままだ。あの書類も吸い込んでくれれば良かったのに……。
仕事を続ける……?
他の部署の人は、生き残っているかもしれない。
「おまえの会社、社員の7割くらい死んじゃったから、潰れると思うノ」
……。
……よし、帰ろう。
まだ、うちの会社が潰れると確定したわけじゃない。
社会人の義務として、部署宛てに勤怠メールを送信した。
【頭痛のため、早退します】
でも、受信してくれる人は、もう居ない。
◇◇◇◇◇
会社のビルを出て、駅へと向かう。
じわりじわりと、大魔法使いの言葉が真実だったと思い知らされる。
周りには、あたしと同じように感情が抜け落ちている人もいた。
知り合いが死んでしまったのか、肩を落としている人もいた。
震える手で電話をかけまくっている人もいた。
通い慣れた通勤路なのに、そこには《日常》が消し飛んでいた。
世界は壊れてしまった。
あたしは自由の身となった。