すずねさんが悲しくなったこと2
今回も、本当は違うものを載せようとおもっていたけど、悲しいと思う出来事があったので書くことにする。
事の発端は、最早どれだかわからないのだが、あえて発端と位置付けるなら、夕ご飯を作った時のことだった。その日はたまたま母が仕事で遅くなる日で、実家暮らしのすずねさんはお手伝いからメイン料理人へと一日だけ進化を遂げていた。そこですずねさんは、苦難に出くわすこととなった。それは、食材をどのくらいの大きさに切ればいいかということだった。
すずねさんは食べ物に関心があまりない。味や食感の好みは人一倍激しいのに、料理を細部にわたって思い出すことが出来ない。例えば、鍋を作ろうとしたとき、豆腐は縦に何回、横に何回切ればいつも食べているくらいの大きさになるのかわからない。味見をしても前回より薄いとか濃いとかわからない。その場でおいしいと思うことはもちろんあるけど、それが何だったのかを自分で把握できない。食べることは好きだけど、舌で味を楽しむこととおなかを満たすこと以外をあまり考えずに食べているからだ。
そんなわけで、その日は北海道出身の母が直伝しているはずのジンギスカンを作ったのだが、こんにゃくのいい具合の大きさがわからなかった。すずねさんの実家は北海道ではないところなので本場の味というのはしらないのだが(すずねさんの父もすずねさんと同じように味の好みが激しいので、うちのオリジナルは大概父の好みに沿っている。ちなみに父は芋という芋が嫌いなのでこんにゃくは食わない)、うちではこんにゃくは丸くて薄いようなイメージがあった。しかしそれを思い出すのはいつも料理が一通り完成して出来たものを見たときに違和感を感じた時であり、それは時すでに遅しという奴なのである。端的に言えば、こんにゃくは大きかった。口いっぱいに広がるレベルで大きかった。
前置きが長くなったが、まあ本題と言ってもこんにゃくが大きかったからショックを受けた話なのだが、言い訳をさせてもらうと大きいショックを受けるに当たって一つバックグラウンドがあるのだ。ちょっと詳細を書こうとしたらわりかし凹んできたのでざっくり話すと、以前も食材の切り方で他人に指摘を受けて、それがすずねさんをバカにしている感じだったのが未だに根強く心に残っているのだ。だから、その指摘を受けた時の悲しさや悔しさが大きすぎるこんにゃくを見て思い起こされ、とても悲しい気分になったというわけなのだ。自分でも思うけど、すずねさんは基本しょうもないところで躓く人間なのだ。なかなかに情けない。
なんだかものすごくかなしくなってきてしまったので、今回はこれで終わる。どうでもいいけどこんにゃくって打つのがすんなりいかないし、すんなりもすんなりいかないし、食材もすんなりいかない。しょくざいいってなっちゃうのはどうして。次回こそ、忘れることについて書きたい。