すずねさんが悲しくなったこと。
本当は違うことを書くつもりだったけど、どうしても今日あった悲しい出来事を書きたいから書く。
多分この出来事くらいで悲しいとか何言ってんの、そういう人が出てくると思うような話。
今日、バレンタインに人に配るガトーショコラを作ろうと思ったら、無塩バターがなかった、それだけ。
どうしてそれがこんなに悲しいかを書くけど、普通の人ならこんなにへこまないんだろうな、そう思う。
すずねさんはバレンタインデーにいつもチョコレートを使ったお菓子を作る。前は生チョコとかトリュフとか、手作りというには簡単すぎるものを作っていたけど、ここ何年かはガトーショコラを作っていて、今年も作ろうと思った。思ったのはほんの三時間前で、材料を確認したのは二時間前。うちには大抵無塩バターや生クリームがあって、母が気まぐれにお菓子を作るためのもので、母もバレンタインのチョコレートケーキを明日作ると言っていたからあると思ってしまったのが間違いだった。勘違いして欲しくないのは、すずねさんは母が買い置きしてくれなかったことが悲しいのではない、そこはあらかじめすずねさんが準備しておくべきだったと反省している。なぜ悲しいのか、それは、無塩バターが無いのにも関わらず、気づかずに卵を割って卵黄と黄身を分けて、砂糖の分量を量って、チョコを刻んで、湯せん用のお湯を沸かすまでいったのに、ケーキを焼けなかった。準備をできたのに最後まで完成させることができず、今あるやる気がどこに向かったらいいのかわからず、涙ばかり出るのが悔しいから。明日のための準備だと思えれば楽なのに、すずねさんの心は簡単に切り替えができない。それがなんとも悔しい。だから悲しいの。
冷静に分析をしてみると、要するに自分の努力が無駄になった感が否めないからという理由になってしまう。きっと世間からみたらすずねさんの今の状況はただの駄々っ子なんだろうと思う。けれど、自分が描いていたものが途中で壊れてしまうことは、こんなにも悲しい。それが成功のイメージしかなかったのが最大の敗因だけど、それすらも冷静にならないと出てこないくらいショックだった、今日の出来事。
まとめると、臨機応変に対応することは、まだすずねさんには難しい。こんな駄文、読んでしまった人、ごめんなさい。