入学手続き
僕の尊敬する人は僕よりも辛い経験をしている人だ。だから、僕よりも車が嫌いでも不思議はないように思えた。それでも免許を取ったのはどうしてなのか。本人に直接訊ねる勇気もない僕はどうすればその答えを見つけ出すことができるのか考え、自分が免許を取れば答えに近付けると結論付けた。
恥を覚悟で打ち明けるのであれば、僕にとってのその人は大切な人だった。人嫌いの僕が考えを改めるきっかけをくれた人であり、長年苦しみ続けた性の悩みを克服するきっかけをくれた人でもある。しかし、僕が一方的に尊敬しているだけで、相手からは距離を感じていた。当然といえば当然だ。人嫌いのコミュ障で、半引きこもり生活を数年続けていて、当時学校にもろくに通っていなかった奴が人に良く思われる訳がない。それでも尊敬する人に、取り柄という取り柄のない自分を少しでも認めてもらいたくて、僕は免許を取ることを決めた。この時点でもう尊敬する人とは疎遠になっていたのだが。
斯くして2017年08月18日、僕は入校手続きを済ませるべく、最寄りの自動車学校を訪れた。この学校には前に母が修了検定を受けた時に来たことがあるそうだが、まだ小さかったので少しも覚えていない。校内に入って真っ先に思ったのは、なんだか陰気で病院みたい。ロビーで座って教習が始まるのを待っている教習生たちはみな退屈そうで、これから始まる車の運転を楽しみにしているようにはとても見えなかった。単に自分が車嫌いだからそう見えただけなのかもしれないが。
事の真偽はともかく、僕は居心地の悪さを感じてすぐに手続きを済ませることにした。受付で対応してくれたのは若くて綺麗なお姉さん。明るくて親切な人でとりあえずほっとする。
コミュ障の僕は高校生の頃、某レンタルビデオ店の会員カードを作るのに多大な時間を費やしたことがある。その時応対したメガネをかけた三十代くらいの男性店員はこちらが何を質問しても同じ言葉しか返してこなくて困惑したものだ(ちなみにその時レンタルしたのは海外ドラマの『プリズンブレイク』である)。
話が少し逸れてしまったが、視力検査や支払いを済ませて、普通自動車教習の申し込みを終わらせた。MTかATか訊かれた時は少し考えたがMTを選んだ。車に興味ない自分でもMTのほうが難しく、ATは馬鹿にされることは知っていた。下手にプライドの高い僕は馬鹿にされることを快く思わず、変に自分を追い込む癖があるので最初から難しいほうにすると決めていた。後にこの選択を何度か悔いることになるのだが、この時の自分はいかにして帰宅するかで頭がいっぱいだった。
自分が車の運転に不向きであることは既にタイトルにこれでもかと強調しておいたが、まだ記述していないことがある。方向音痴だ。
僕は馴染みのない場所に行けば高確率で迷う。屋内であろうと平気で迷う。そんな車嫌い人嫌いコミュ障方向音痴野郎がこの日、自宅からうんと離れた自動車学校に向かうのに利用したのは学校のスクールバス。一応行きの時、歩きでも帰れるように道を見ていたが、自宅までにどの道を通って帰れば良いのかさっぱりわからない。仕方なく帰りもスクールバスに乗り込んだのだが、コミュ障の為、出発前に中々運転手にどこで降りるのか声をかけられない。心の中でうだうだやっている間に他の教習生たちも乗せたバスは発進してしまう。
ま、まあ自分が降りるところの近くまで来たら伝えればいいだろう(人に声をかけるのが苦痛。人前で誰かに声をかけるのはもっと苦痛)。
途中、停車した最寄り駅の近くで、自分以外の全員が降りていき、教習生は一人だけに。伝えるなら今しかねぇなと、覚悟を決めると、親切なことに高齢の運転手さんが穏やかに声をかけてくれた。
『どこで降りますか?』
あ、ありがてぇ~!
運転手さんの声がまるで天から聞こえてくるようだった。
僕は運転手さんに感謝の気持と申し訳ない気持がない交ぜになった声で『◯◯までお願いします!』と返し、なんとか無事目的地で下車することができた。
当然だが、降りる時には運転手さんに挨拶をしてから降りた(挨拶は大事だと思うのでそこはしっかり)。
今日はこれで終わりか。
地に足を付き、ほっとため息を吐いて僕は空を仰いだ。
やれやれ。こんなことがこれから毎日続くのか。
自宅に着いた後、明日から毎日スクールバスに乗る必要があるのかと思うと気が滅入った。しかし、途中で逃げ出す気は微塵もなかった。支払った金が無駄になるからではない。尊敬する人に認めてもらいたかったから。その人の気持を理解したかったからだ。