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記憶

 車なんか嫌いだ。子どもの時にそう思わせる出来事があった。

 小学校低学年の頃、近所に野良猫が棲みつくようになった。僕の家では親がペット禁止にしていたので、初めて野良猫を見た時、野鳥でも犬でもない『猫』という動物が物珍しく見えたのを今でも覚えている。

 当時、近所に棲みついていた野良猫の数は僕が知る限り6匹。その内の2匹の茶トラ兄弟と1匹のサビ子猫が餌付けした訳でもないのに何故か僕に懐いていた。僕は元々動物が好きだったので、学校から帰った後、時折牛乳をあげたり撫でたりしてその3匹を可愛がった。

 茶トラ兄弟はおとなしくて人懐っこく、サビ子猫は活発でいてドジで周りをいつも笑顔にしていた。

 猫と過ごす日々は幸せだった。このまま3匹と楽しい時間がずっと続いていくものだと思っていた。しかし、当然というべきか、そうはならなかった。

 ある日の夕方、学校から帰って自室で宿題に取り掛かっていると、母が血相を変えて部屋に入ってきた。何事かと訊ねると、母はサビ子猫が車に轢かれたことを僕に伝えた。

 意味が分からなかった。悪い冗談だと思った。しかし、動かないサビ子猫の死骸を見て、僕は母の言葉が嘘でないことを知った。もう二度と一緒に遊べないことを悟った。

 不幸中の幸いだったのはサビ子猫が即死だったこと。苦しむことがなかったという事実だけが唯一の救いだった。

 その後、サビ子猫は自宅の庭に埋めて、僕は同じような事故が起きないよう心の底から祈った。それからは茶トラ兄弟とも遊ぶことがなくなった。彼らを見ているとどうしてもサビ子猫のことを思い出して辛い気持になってしまうから。茶トラ兄弟は僕の気持を察したのか、あまり甘えてこなくなった。兄弟もサビ子猫がいなくなって寂しいのか、或いは人間を敵視するようになったのかもしれない。

 茶トラ兄弟と距離を置くようになってから数ヶ月、頻繁に見かけていた兄弟を見かけなくなったことに気付く。不思議に思って母に訊ねると、2匹は少し前に車に轢かれていたことを告げられた。サビ子猫がいなくなった時は涙が止まらなかったが、この時は涙が出てこなかった。薄々勘付いていたのかもしれない。

 月日は流れ、近所の野良猫が子猫を3匹生んだ。その子猫の中に1匹サビ子猫がいた。その子猫は前に一緒に遊んだサビ子猫と見た目も性格もそっくりで、人懐っこい猫だった。僕は過去の悲しい記憶を頭の隅に押しやり、茶トラ兄弟たちと過ごした楽しい時間のことを思い出しながら時折その子猫と遊んだ。いつしか前に起きた厭な出来事は思い出さなくなっていた。しかし、またしても事故は起こった。

 車に轢かれたのはサビ子猫だけだった。不幸なことに直後のサビ子猫には息があった。サビ子猫の悲痛な声を聞いて、親猫や兄弟たちが様子を見に来たが、助からないと踏んだのか、すぐにどこかに行ってしまった。

 その日、たまたまサビ子猫の近くにいた僕は何もできずに立ち尽くすばかりだった。その時のことで忘れられないのは家族に見捨てられ、確実に死に向かっている中、必死に生きようとする子猫の姿。そして、轢いたことに気付いているのかいないのか、平然と去っていく車の影。

 前にいなくなってしまった猫たちの時もそうだった。まるで害虫でも踏みつぶしたかのように気にも止めず去っていく。憎むべきは車ではなく運転者。そんなことは分かっているが、そもそも車がなければこんなことにもならなかった。

 日々の生活を送る中、車から多大な恩恵を受けていることは理解している。それでも『こんなものなくなればいいのに』とよく思う。

 僕はあの時から車が嫌いだ。正確に云うのであれば、僕は車が怖い。あの一件があってから車が恐ろしくて仕方ない。それでも自動車学校に通うことを決意したのは、自分が憧れていて、尊敬している人が免許を持っているからだった。

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