第一章7 『謎の男女』
「畜生、なんて持久力だよ……!」
コナツを刺した犯人を追いかけ始めたナツは、その背中を見失うまいと必死に食らいついてはいるのだがいまいち距離は縮まらない。
それどころか、少しずつ離されているような気さえし始めた。
加えてこの暑さだ。ナツの大好きな蒸し暑さだが、今の瞬間だけは内心忌々しいと思っていた。
ナツの運動不足か犯人の持久力か、どちらが理由でナツばかりがこんなに疲れているのかはわからないが、もうとにかく追うしかなかった。
追いかけ始めたのは駅から少し行ったあたりだったというのに、気づけばナツの家のほうが駅よりも近いというところまで来た。
このあたりになってくるともう都会な感じは薄れていて、もう少し行けば住宅街にさしかかる。ナツの部屋から見える山もすぐ近くにそびえていた。
どうにか見失ってはいないものの犯人の速度は走り出したときと同じくらいで、対するナツは気力だけで走っている感じになっている。
ここまで走り続けているということは追われていることに気づいているはずなのだが、犯人は全く後ろを振り返る素振りを見せなかった。
それゆえにナツには犯人の性別や年齢は全く見当がつかない。強いて言うならパーカーのフードから長い黒髪が飛び出しているというくらいにしか情報が無かった。
走り続け、どんどん住宅街へと侵入していく。ナツもすかさずそれを追いかけた。
山沿いの道を走っていた犯人は突然ぴょんと軽く飛び山に侵入したかと思うと、上り坂だと言うのに恐ろしい速度で山を駆け上がっていく。
「うっそだろおい……」
思わず声を漏らしたナツは晴れ続きで乾かされた土を踏み、後を追っていく。
どのくらい経っただろうか。
疲れでほとんど頭が回らなくなったナツは山を登り始めてからどの位したのかという時間感覚をもなくなってしまった。
林の中を抜けたと思うと、そこには廃れた西洋の城のような豪邸があり、その前には威圧感のある門がそびえていた。
犯人が二メートルはあろうかというその門を軽く飛び越えたかと思うと、迷い無く中に入っていってしまった。
西洋風のデザインをした豪邸は、城と言うには少し小さすぎるが、それにしても十分な大きさをしていた。建物の外壁は白、門の中には噴水のある大きめの庭があり、そこを越えるとやっと中に入れるという感じだ。
よく見ると門には頑丈そうな南京錠かかかっており、錆びてはいるもののがっちりと門をロックしていた。
ずっと前から建っていたのだろう、その壁にはツタがはっていてとことろどころ黒く変色している。
こんなところが家の近くにあったなんて知らなかった。こんな山奥にある廃墟を知っているほうがおかしいとは思うが。
そう、おかしいのだ。
さっき迷わず中に入っていった犯人はコナツを刺してから全く迷い無くここまで走ってきた。
まるでこの場所に来るためと言わんばかりの走り方だったのだ。
……なんだか、奴に誘い込まれているような気がしてきたぞ。
このまま中に入ってしまっていいのだろうか。もしかしたら人が住んでいなさそうなのは見た目だけで、中にはコナツを刺したやつの仲間がたくさん隠れているのかもしれない。
やっぱり、危険……だよな。
犯人のほうはこの建物の内装を熟知しているかもしれないが、俺は全くの初めてだ。
犯人を捕まえるつもりが、逆にこちらがやられてしまう可能性も十分にある。
ナツは呼吸を整えながらゆっくりと歩みを進め、門に近づいていく。
やられるかもしれないが、ここまで来たら引き下がれるわけねぇよな。
俺は「コナツを守る」と約束したのだ。しかもコナツから確認をされるたびにそう断言した。
だが俺はコナツの危機を察知できず、結果コナツは刺されてしまった。
俺はきっと「コナツを守る」なんて言いながら「そんなことにはならないだろう」と心のどこかで思っていたのだ。
だからこそコナツに注目していなかった。
コナツの身に何が起こるかと先を考えることも、たったの一瞬ですらしなかったのだ。
約束をしておきながら約束を果たそうという努力をしなかった。
……妹に嘘吐くなんて、本当にどうしようもない兄ちゃんだぜ。
コナツ、無事だよな?
ナツは門の前まで行くと、この蒸し暑さに反して冷たくなっている鉄でできた門に手をかけた。
「行くしかねぇよな、これは」
ナツは覚悟を決めて鍵のかかった門を登っていく。
高さ的に上るのが大変だということは察していたが、いざ登り始めると大変という一言では済まないことに気づかされた。
門は鉄格子のようになっているためその一本にしがみついて登っていくのだが、これがとんでもなく辛いのだ。
よくもまぁこの高さを飛び越えたよなアイツ、とナツは思った。
やっとのことで上まで上れたので後は飛び降りるだけと思ったのだが、さすがは二メートルだ。
上からの景色も恐ろしく、とても飛び降りるような気にはなれなかった。
結局登りと同じように鉄の棒一本にしがみつきゆっくりと下まで降りることが出来た。
門を越えるだけでとても疲れてしまったが、本題はここからだ。
ナツは噴水の左を抜け、豪邸の入り口まで来た。
中に何があっても、誰がいてもおかしくはない。
だがナツは少しも怖がったりはしなかった。妹を守れなかったことを強く悔いていたからだ。
自分のせいで妹が命の危機にさらされているというのなら、自分の手で罪を償わなければならないのだ。
あいつに、罪を償わせなければいけないのだ。
ナツはゆっくりと木でできた玄関扉を右手で押し開くと、顔だけを出し中の状況を確認していく。
目の前に、上から見下ろすと丁の字になるように途中から二つに分かれている階段。左には長い廊下。右はドアが邪魔して確認できないが、建物が左右対称の形をしているのでおそらく右も廊下だろう。
そして音を立てないよう忍び足で中へと入って行き周りを見渡すと、階段の先に影を見た。
もしや、犯人の仲間だろうか。
ナツは気づかない振りをしながらも階段を登っていったのだが、登った先には誰もいない。
二階も一階と同じように長い廊下とたくさんの部屋があるようだ。
ナツが二階の廊下を見ていると、
――ガチャ
音がナツの背中の方向から一度だけした。
音に反応して後ろを振り向くと、さっき見たときには全ての扉が閉まっていたというのに今は一つだけ開きっぱなしになっている。
明らかに罠だろうが、行くしかないとナツは思った。
開いているドアまで小走りで行き、またしても顔だけを出し部屋の様子を伺う。
「あ! お願い助けて!」
中には手足を椅子に縛り付けられ、身動きの取れない少年がいたのだった。
ナツが顔を出した瞬間に助けを求められ、面倒に巻き込まれたくないナツはすぐに顔を引っ込めてしまった。
「あぁ! 行かないで! せめて縄を解いてからに!」
「ちょ、静かにしろ!」
この建物の中に犯人がいるというのに、なんでこいつは騒ぐんだ。
ナツは慌てて部屋の中に入り扉を閉める。
少年はそれを見て静かになったが、ナツは一応人差し指を口元に当てて静かにするように促した。
「この建物に犯人がいる。どこかはわからんが多分今ので場所がばれたぞ」
ナツが小声で言うと、少年は少し脅えたような表情をした。
コナツよりは年上だと思うが、まだ幼さが残る顔立ちをしており、ナツよりは年下だろうか。
割と整った顔立ちに短めの髪の長さだ。
「とにかく、縄を解いてやるから騒ぐなよ」
犯人のことも気になるのだが、こいつを縛られたままで放っておくわけにもいかない。
手足が縛られていてはもし犯人が突撃してきたら即やられてしまうため、まずは縄を解くことからはじめた。
ナツは少年の後ろに回り、後ろ手を縛っている縄に手をかける。
縄と一緒に、少年の傷一つ無い綺麗な手が視界に飛び込んできた。
縄を解きながら、ナツは少年を見て真っ先に思ったことを質問する。
「お前、なんでこんなことになってんの?」
縄は麻でできており、きちんと蝋でなめてあるようだ。
「えーっと……実は昨日、探検のつもりでこの廃墟に忍び込んだんだ。人がいるかもしれないから夜中に」
「そしたらこうなっちまったわけか」
「まだですよ!? この話の肝はもう少し先だって! 今ので何がわかるの!」
「はいはい、続けて」
「もう。それでね、門をよじ登って上手く建物に入ることができたんだよ」
少年は、高めの中性的な声で話し始めた。
ナツもそれを聞きながら固く縛られた縄を解くために縄の端をいじくっていた。
「ここは明かりもないし何も見えないから、懐中電灯で照らしながら屋敷を探索してたんだ」
「で? 収穫は?」
「ううん、何も。本当にただの廃墟って感じだったから僕も帰ろうと思ったんだ。だから帰るために門をもう一回よじ登ろうとしたんだけど、その時、誰かに足を引っ張られて地面に落とされちゃってさ。君はどうやってここに入ったか知らないけど、君も見たでしょ?あの高さ。幸い一番上まで登ってたわけじゃないから骨は折らなくて済んだけど、それでも背中を打った痛みで一時的に身動きがとれなくてね。のた打ち回ってたら誰かに引きずられて縛られちゃったってわけ」
「なんだかおかしな話だな。誰もいないはずなのに門の上から引っ張り落とされるなんて……おっ、やっと解けそうだ」
少年の話を聞いているうちに縄が緩み、やっと解けそうなところまできた。
「じゃあ、お前は昨日の夜からずっとしばられてたんだな?」
「そうだよ」
別に深い意味などない確認だったが、その答えはナツの縄を解こうとする動きを止めた。
縄が緩み、縄の下から露になった手の一部はとても綺麗だった。
「どうかしたの?」
何も喋らず固まったナツに少年は心配そうな声をかけるが、ナツはそれをことごとく無視した。
「お前、本当に昨日から縛られっぱなしだったのか?」
ナツはしつこいとわかっていながらもう一度念を押すように確認をした。
「だからそうだって言ってるじゃない」
その言葉に、ナツは縄から手を離し立ち上がる。
おかしいぞ、これは。
縛られていた箇所があまりにも綺麗過ぎる。普通縄で手を縛ったら、いかに蝋でなめてあるとはいえ跡が付くものだ。こんなに硬く縛られていればなおのことそうだろう。でもこいつの手はよく見ても跡が殆ど付いていない。一晩中縛られっぱなしの手には見えないぞ。ここまで跡が付いていないと言うことは縛られたのは……一、二時間ほど前だろうか。縄に詳しいわけではないからあまり自信はないが。
ナツはそれに気づいた途端に解けかけていた縄を再びきつく結んだ。
「え、なに、何でまた結ぶの?」
何らかの理由があって俺に嘘を吐いているんだ。ならその理由はなんだ?
待てよ、こいつが犯人だと言うことは考えられないだろうか。髪の長さは全く違うが、そんなものはカツラか何かでどうにでもなるだろう。
問題は縄の結びの固さだ。どう考えても後ろ手にこの固さで縄を結ぶのはまず不可能だろう。どうやったって一人じゃ無理だ。
一人じゃ……そうだ、二人いれば、
そこまで考えたところで、ナツは背中が凍りつくような悪寒を感じた。
「お前、さっきの奴とグルだったのか!」
怒鳴るような声で少年に言ったが、ナツは返答など求めていなかった。
言い終わるとすぐ入ってきたドアに駆け寄り、ドアノブを何度も捻った。
だがドアはどうしても開いてくれない。
焦りながらドアに付いている鍵を何度も縦に横にと捻るが、ドアが開くような気配は無い。
「くっ……うふふふ、あははははははは! やっぱり君は期待通りの人間だね、昨日といい今日といい! どうやって気づいたのかな!? ねぇ! ねぇ!」
それを見た少年は笑い出し、綺麗な眼を見開いてナツを見つめた。
かなり意味深な発言だが、こいつはきっとサイコ野郎で頭がイカれてるんだとナツは思い、少年を無視する。
「くっそ!」
ナツは試しにドアへ体当たりするが、壊れる気配も全く無かった。
それでもこれ以上ここにいたくないナツは諦めず何度もドアに体当たりをかまし続ける。
少年はそれを嘲るように延々笑い続けた。
木でできたドアは古くはなっているものの、まだ脆くはないらしい。
どうしようも無くなったナツが体当たりをやめ、少年の後ろにある窓に視線を移すと、
「はははははははは! ……あぁ、面白い。けどちょっとおちょくりすぎたね」
少年は笑うのをやめ、人畜無害な笑顔をナツに向ける。
「何言ってんだ」
ナツは恐怖と焦りからぶっきらぼうにそう聞いた。
「そろそろ開けてあげなよ」
少年はナツの方向を見ながらそう言ったが、それは明らかにナツに向けての言葉ではなかった。
ナツが後ろを振り向くと、さっきまでびくともしなかったドアがゆっくりと開いていく。
「お前は……!」
ナツの胸に湧き上がる気持ちが恐怖なのか怒りなのか、それはナツ自身にも判別はつかなかった。
ドアが開いた先の廊下、そこに立っていたのは間違いなくコナツを刺した犯人だった。
俯いていて顔までは見ることができないが、灰色のパーカーに長い黒髪が垂れて出ていた。
近くに寄って見てわかったことは、胸に膨らみがあることから少女だということくらいだった。
ナツは咄嗟に右手を振り上げ少女に殴りかかるが、少女は最初からわかっていたような反応速度でそれをかわす。
少女はよろけたナツの手を掴み、ひねりながらその手をナツの腰まで持っていった。
「ぐっ……!」
ナツよりも体が一回り小さいというのに、力は見た目に反して物凄かった。
ナツが動きを封じられ、痛みに耐えながら打開策を考えていると、少女は右手でパーカーのポケットからナイフを取り出しながらナツの耳元で囁いた。
「妹さんのこと、済まなかった。お前が彼女を大切に思っているのは知っていた。その上で彼女を刺したんだ。本当に申し訳なく思っている」
初めて聞く少女の声。ナツは素直な気持ちで「綺麗な声だ」と思った。
それと同時に、突然の懺悔にナツはかなり意表を衝かれていた。なぜ謝ったりするのか全く検討がつかなかったからだ。
次の瞬間ナツは壁へと叩きつけられ、痛みで筋肉が収縮する。
「―――次に会うのは、他の世界でだろうな」
どういう意味だ。
その言葉を発するまもなく、少女は立った状態で壁に押さえつけたナツの腹部を思いっきりナイフで刺した。
「―――っ!」
突然の激痛にナツは意識を失い、少女が手を離すと壁に寄りかかりながらずるずると崩れ落ちる。
「やはり人を刺すのはいい気分ではないな」
少女はそう言いながらフードを外して、長い髪を服の背中のほうから出した。
長い髪を揺らす少女は、コナツと全く同じ顔をしていたのだった。