第一章2 『妹との約束』
目を覚ますと、真っ先に目に映ったのはリビングの丸い形をした照明だった。
ナツは昨日の昼と同じようにリビングのソファに横たわっていたのだ。
朝の優しい日差しが窓から差し込み、ナツの体全体を照らしていた。
はて、俺はどうしてリビングで寝てるんだっけ。
ああそうか、昨日はコナツを俺のベッドで寝かせたせいで俺の寝床がなくなったんだった。
ナツは体を起こし、時間を確認する。
玄関への扉の上にある壁時計を見ると、時刻は八時。コナツに叩き起こされてから三時間が経過していた。
自分の部屋を出たときに比べて、眠気はほとんど吹き飛んでいた。
あれ、そういえば部屋を出てからどうしたんだっけ。真っ暗で何も見えなかったから電気のスイッチのところまで探り探り行って、それから……。
「なんだっけ?」
何かを感じたはずなのだが、それがどんなものだったかよく思い出せない。
「まぁ、それだけ眠かったってことか」
そんなことを考えていても仕方がないと思い、コナツを起こすべくソファを立った。
コナツを起こさぬよう、物音を立てないよう静かにドアを開けていく。
ナツが忍び足でゆっくりと部屋に入っていくが、そこで異常に気付いた。
いつもナツが寝ているベッド、今はコナツが寝ているはずのベッドにコナツの姿は無かった。
もう起きたんだろうか。もし起きたとしたならば、リビングにいないということは風呂か。
洗面台では顔を洗えて歯も磨けるし、寝汗をかいてもシャワーで洗い流せる。
居場所がわかったとなればそこに赴くのみ!
ナツは部屋のドアを閉めることなく風呂へ駆け出す。
階段を下りて階段横の通路にあるドアの前まで小走りで行き、ドアを開くと、
「んん?」
そこには誰もいない。
鏡の横についている照明の消えた洗面台に、全く音のしない風呂場。
人の気配を感じないどころか時間が止まっているようにすら感じる。
コナツのやつ、もしや隠れてるのか?
こんな朝っぱらから中学一年生になったばかりの女子が行くとこなんてないもんな。
そう思ったナツは自分の部屋まで戻ると、大きめの声でハッタリをかまし始める。
「コナツー、いるんだろー。お前がそこに隠れてるのはわかってるんだ」
すると「がたん」とクローゼットの中から不自然な音がした。
本当は反応を見せるまで部屋を一つ一つしらみつぶしに回るつもりだったのだが、どうやら一発目からビンゴらしい。
クローゼットの前まで行き、ゆっくりとクローゼットを開けていく。
少しずつ中が見え始め、扉が半分ほど開いたところで突然クローゼットの中から足が伸び、ナツの顔面を蹴り飛ばす。
「んがっ!」
全く身構えていなかったナツはそのまま訳もわからず後ろに飛ばされ、背後にあったベッドに落ちた。
ナツはそのままベッドのスプリングの力ではね続ける。
――まずい、今追撃にこられたら、
「ナツ?」
涙ぐむような声が聞こえ、スプリングの勢いが収まったので慌てて痛む鼻を手で押さえながら体を起こすと、ベッドの前で目を赤くしたコナツが立っていた。
コナツの話を要約するとこうなる。
コナツが何らかの物音で目を覚ますと、部屋の前で俺の悲鳴が聞こえた。
その後男女のなんらかの会話があった後、俺の「コナツ、逃げろ」という声が聞こえたらしいのだ。
そしてコナツは怖くなり、逃げようと思ったがドアの向こうには誰かがいるうえ、俺の部屋は二階なので飛び降りることもできない。
そこでコナツはクローゼットの中に隠れ、息を殺し嗚咽を押さえ込みながら今までいたらしい。
俺のハッタリはパニックだったせいか「誰かの声がした」という認識しかできず、侵入者だと思ったから勇気をだして蹴り飛ばしたんだそうだ。
意味が解らない。でも可愛い妹が泣いてるしすごく真面目な顔してるから言うに言えない。
「そうか。よくがんばったな。もう大丈夫だぞ」
ナツはコナツを抱えるように抱きしめ、頭を撫ででやる。
ナツの部屋にあるベッドの上で二人は向き合い、密着していた。
相当怖かったのだろう、いつも触れるだけで顔を真っ赤にして怒るコナツが、今はナツに抱きついて泣いている。
ナツには三時間前に何かがあった記憶は無いのだが、本当に何があったというのだろう。
ナツはついさっき蹴られた鼻が痛むので、押さえながらそう考えていた。
だが、勇気を振り絞って犯人に立ち向かったのは褒めてやるべきだろう。例えそれが勘違いであったとしてもな。
もし本当にヤバイ奴が相手だったらクローゼットの中にいたコナツは何もしなければ完全に詰みだ。
「でも俺はなんとも無いし、さっきだって何も起こってないよ。きっと寝ぼけてたんだ、ほら、コナツは昨日から寝てなかっただろ?」
「本当に物音がしたし、ナツの声も確かに聞いたよ。間違いなんかじゃないもん」
「夢の中の話かもしれないな」
「すごく怖かった。ナツが死んじゃうかもって思った。でも、怖くて出て行けなかったの……ごめんなさい」
コナツは本当に申し訳なさそうに顔を伏せた。
「いいよ、俺だって本当にピンチになったらコナツだけでも生きていて欲しいからな。逃げるのが正解だったんだよ、お前は正しい」
「……ナツだったら、自分が死ぬかもしれないけど誰かのことを助けられるって状態だったらどうする?」
「助けられるっていうのが誰かによるな」
「じゃあ、それが私だったら?」
ナツは少し考えたが、すぐに返答した。
「迷い無く助けるさ。いままで二人で頑張ってきたんだ、コナツのいない生活なんて考えられないからな」
「ナツは私のことを助けてくれるのに、私はナツを助けに行かなかった。クローゼットの中でずっと震えるばっかりで……何もできなかった。」
コナツの声に嗚咽が混ざり始めた。
ナツはそれをさえぎるように話す。
「いいってば。コナツは俺の『コナツ、逃げろ』って言葉に従って逃げたんだろ? 言うこときいただけじゃないか。お前は一人で頑張ったよ」
ナツはコナツの頭を撫で続けた。
「寝ぼけてたとはいえ、怖かったよな」
自分の言葉を信じてくれないナツに、コナツは駄々をこねるように言う。
「でも、女の子みたいな声を聞いたもん……本当だもん………」
少し治まり始めたのに、コナツはまた泣き出しそうな顔をする。
「もやし(裏声)」
突然のナツの行動にコナツはキョトンとした顔をしている。見なくてもわかる。
「ほらな、俺だって高い声くらい出る。きっと何かで裏声を出した俺の声を聞いたんだ」
「じゃあ、ナツの悲鳴はどう説明するの?」
「そりゃきっとお前の可愛さに悶絶した俺の声を聞いたんだな」
「説明になってないよ、もう」
ナツは自分の胸の中のコナツに笑いながら肩を叩かれる。
「やっと笑顔が見れたな」
コナツはまたしてもキョトンとする。
「お兄ちゃんはな、お前の笑顔を見てないと毎日元気が出ないのさ」
コナツはナツのシャツの胸の辺りをギュッと握った。
「大丈夫だ。そんなに泣かなくても俺がちゃんと守ってやる。愛する妹を守るのはお兄ちゃんの義務だからさ」
ナツが微笑みながらそう言うと、コナツは腕の中からから脱出し、人差し指で涙を拭いつつ笑いながら言った。
「ばーか」
コナツの、窓から差し込む日の光よりも輝く笑顔。
「手、握ってもいい?」
「ああ、もちろん」
コナツはナツの手を取り、両手でギュッと握った。
「……もう少しこうしてていい?」
「……ああ、もちろん」