8 馬
クレイグとニコラを含め、数人は騎乗するが、それ以外の数十名は徒歩で移動するらしい。
荷車に荷を積み終え、出発する段になって、足を骨折している関島をどうするのか、という話になった。
「私の馬に一緒に乗る? 手綱は私が握るから、後ろに乗ってもらう事になるけど」
「さすがにそれは」
ニコラの言葉に、関島は戸惑った表情をする。
「一緒に乗るのが嫌なら、私が歩いてもいいけど。一応それなりに、鍛えているのよ。体力には自信があるの」
そう言って袖をまくり、力こぶを見せる。白く細い腕が目に眩しい。
「ニコラ様。そうする位であれば、他の者に馬を譲らせます」
クレイグが手で合図をすると、白く褪せた金髪の男が素早く、馬を引き連れて傍に来る。
この人に歩けと言う事になるのか。気の毒だ。
やはり、ニコラはこの中では一番身分が高いらしい。
近くで会話することすら警戒するような人間を、ニコラの後ろに乗せるのは絶対に止めるだろうし、また歩かせるなど、もっての外なのだろう。
関島は思案顔をしている。
「そもそも関島さんて、乗馬できるんですか」
「……出来ない」
それはそうだ。日本人で乗馬が出来る人間など、ほんの一握りだ。
「あははは、折角助かった命なのに、残念です」
私は言った。勿論、関島から十分に距離を取ってから。
私の準備の良さに関島は歯がみして悔しがるに違いない、と思っていたが、呆れた視線を向けられて、詰まらない気持ちになる。
「では、私の馬に乗るか。私なら視界を遮られるという事もないし、前に乗ってもらって構わないが」
クレイグの善意に満ちた笑顔は、ニコラの細腕ほどに眩しい。
関島はクレイグと2人で馬に乗る図を想像したのか、少し顔が歪んだ。それでも、嫌そうな表情が顔に出るのをどうにか堪えたようだった。
「馬の負担になるのではないですか。……出来れば、あの荷車に乗せて頂きたいのですが」
関島が指差す先に荷車がある。荷は布で覆われていて、何が載っているのか分からない。
それが前触れもなく、がたんと揺れた。
………………。
私達の間に、短い沈黙が落ちる。
「そうだな、それがいいだろう。乗り心地は良くないだろうが、すまないな」
クレイグが強引に沈黙を破った。眼前に生じた問題点が無視される。
荷車に乗るという選択は決して覆らない、そんな圧力を感じた。
「……何が、載っているんですか?」
「天幕や食糧などだ」
関島の意を決した質問は、クレイグの朗らかな声に叩き伏せられる。
天幕や食糧は、自発的に動いたりはしない。それも異世界だから仕方ないのか。
結局、関島は荷車に乗る事になるようだ。
最初からクレイグには、着地点が見えていたのではないかと思う。
ニコラも出来れば、関島と同乗したかったのかもしれないが、最後はこうなると分かっていたように思う。
遊ばれて終わったような会話に、関島を同情する。
「良かったですね。関島さん」
まぁ、私には関係ないことだが。
「雪、君は……」
「歩きます」
クレイグが言葉を発した瞬間に、私は返答した。
そろそろ私の方に攻撃の手が向けられると、予想をしていたのだ。
的中したようだったが、嬉しくない。
「私の、」
「歩きます」
ニコラではないが、体力には自信がある。全速力で長時間、走り続けろというのでもない限り大丈夫だ。
恐らく、ここに居る人間の中では、2番目くらいに体力はある。
クレイグよりとは言えないので、体力面を話題に出す事はしない。返り討ちにされる可能性があるからだ。
言葉で言いくるめられる訳にはいかない。力押しでいく。付け入る隙を与えてはいけない。
これは、戦争だ。
クレイグと同乗するくらいならニコラと、と思わないでもないが、それを言えば隙になる。
あるかどうかも分からない、ニコラの援護を期待してはいけない。
数分の無言の攻防の果てに、私は勝利を手にした。
「分かった。疲れたら言いなさい」
私はほっと胸を撫で下ろした。
勝利の喜びでなく、安堵だった。
それは、私が守り手で、クレイグが攻め手だからだろう。
その形に固定されつつあるのが、問題だった。
そうして、私達は野営地を後にした。引いてはあの森を。
平野をしばらく歩く。
私は、関島の乗っている荷車の傍に位置取り、目が合って手を振っては無視されるという事を繰り返していた。
傍にある荷が、時々不自然に揺れて、関島がびくりと震えるのが見えた。
決して、ざまぁみろなどとは思っていない。
ニコラは隊列の中央辺り、私達の少し前方を馬に乗って歩いている。クレイグはそのすぐ傍に居た。
関島に飽きれば、誰と話す事もなく、黙々と歩き続ける。
自然と、景色を眺めていた。
遮るにものの少ない平地というのは、あまり見る機会がなかった。
空が広く見えるというのは、こういう事かと思う。
濃い青色の空は高く、澄み渡っていた。
薄く細い雲が浮かんでいる。
それは日本の空を、思い起こさせた。
何となく、関島も同じ心境なのではないかと思って荷車の方を見ると、関島はどこか一方に視線を向けている。
その先には、街があった。
朝方にも見かけた街だ。
遠く、景色の一部として見えていた街が、近付いてくる。
距離が縮まるにつれて、それは普通の街ではない事に気付いた。
街であれば人が集まる。
聞こえる筈の音、漂う匂い、人の気配。
それらを何一つ拾う事が出来ない。
随分近くに来ても、人の姿が見えない。
ただ、建物が並んでいるだけだった。
「……これは」
「サシオン領ダイナスカ」
頭上から声が降って来て、見上げた。
いつの間にかクレイグが隣にやって来ていた。
クレイグに気配がないのは彼の技術だとしても、乗っている馬にまで気付けないのはいくら何でもおかしいのではないだろうか。
「傍で見てみるか?」
クレイグは、私と、それから関島を見て、言った。
私達の進路からして、このままだとこの街を横目に通り過ぎるだけとなるのだろう。
近くで見るのなら、少し道を逸れなければならない。
私は関島の方を見た。
関島は頷く。
「そうですね。見られるのなら」
「分かった。少し待っていてくれ」
クレイグはそう言って、ニコラの元へ馬を駆ける。
何やらニコラと、その傍にいる馬に乗った男に話しかけている。
声を絞っているが、私の耳には断片的に会話が聞き取れた。
街を見てくる事、後から追い付くので少し速度を落として先に行って欲しい事など。
馬に乗った男は、どうやらクレイグの次に偉い立場らしい。
ニコラの許可は下りたが、ニコラ自身もついて行きたがった。すぐに、クレイグともう一人の男に止められて、諦めたようだった。
「待たせたな」
クレイグが戻って来ると、荷車を止めるよう指示した。
他の人間に手伝ってもらいながら、関島はクレイグの馬に乗る。
クレイグの後ろに乗った関島は複雑そうな表情をしている。
背中に目でもあるのか、クレイグは可笑しそうに笑った。
「どうしても気になるようなら、私は降りても構わないが」
「いえ、大丈夫です。手綱を握って頂いた方が安心ですから」
「そうか……雪、君は馬に乗った経験はあるのか?」
「ないです。歩きますよ。他の誰かに乗せてもらうにしても、馬に嫌がられそうですし」
クレイグの馬は、全身茶褐色で、鬣や脚などは黒い。
つぶらな目をした、可愛らしく美しい馬だ。
私は意図的に馬と距離を取っていたが、それでも私を警戒しているようだった。
馬に限らず、私は他の動物とあまり仲良くなれない。
大半が、私に怯えて逃げてしまう。
馬だけが例外と言うこともないだろう。
触れ合ってみたいが、怯えさせるのは忍びない。
乗っているクレイグも、馬が少し緊張しているのを感じているのだろう。
宥めるように背を優しく撫でている。
「それに、どうしても急がないといけない時は、あっちの姿になればいいですから」
決して、本気で言ったわけではない。人前で、狼の姿になるのは、後々ややこしいことになるので、よっぽどの事がない限りしないと決めている。
この2人に、狼の姿になれる事をばらしたのも、命に関わる非常事態だったからだ。
もう既に、他の人はいくらか離れた距離に居たし、事情を知っている2人に対してだからこそ、そのように言って、さっさと行こうと促したかったのだが、逆効果だったらしい。
関島も、クレイグも、厳しい顔をして私を睨んだ。
関島だけならいざ知らず、クレイグまで怖い顔をするので、私は少し慌てた。
「このままでも結構、足は速いんです。変身しませんから、早く行きましょう」
言うが早いか、私は走り出した。
怒られる気配がしたので、逃げ出す事にしたのだ。
すぐにクレイグ達が追って来た。
ニコラがこちらを見て、手を振っているのが見えたので、私も手を振り返した。




