7 魔術師
「貴方達は、森で魔物に遭ったんでしょう?」
「猪みたいなやつですか?」
「そうよ」
「はい、ひっきりなしに襲いかかられて、死ぬかと思いました」
夢に出てきそうな程、追いかけ回された。
出来ればもう2度と出会いたくない。
ぼたん鍋の美味しい時期が近付いていたのに、しばらくは見るだけで蕁麻疹が出そうだ。
「あれはね、元はこの世界には存在しない生き物だったの。魔術を使って、別の世界から喚び出されたのよ」
「えぇぇ……わざわざ、何の為にあんなにたくさん? 多分、美味しくないですよ。何か、口に出すのも憚られるようなものを主食にしてそうですし……」
魔物のギラギラとした目を思い出す。あれは確実に私達を獲物として狙っていた。
「おい、カクラサン。少し黙ってろ。今、重要なところだ」
カクラサン、かくらさん、加倉さん?
私は思わず関島を振り返った。どこの山かと思ったが、どうやら私のことらしい。
ペットに寄生したノミのような扱いを受けてきたせいで、予想外過ぎて上手く頭が情報を処理できなかったようだ。
この上ない違和感に思わず呻く。
「……か、加倉で、いいですよ~」
小さい声で、抗議してみる。いや、提案だ。
「なぜ? 雪と呼ぶ方がいいだろう。折角の美しい名だ」
関島でなくクレイグが答える。無駄な色気を振りまきながら。
「大丈夫です。遠慮しておきます。お疲れ様です」
第一印象と変わらず、私はクレイグが苦手だった。引いたら押してくるし、押しても押してくる。まだ関島の方がちょろい。
「話を」
突然の大きな声に驚く。全員が一斉に、ニコラの方を向いた。
「続けても?」
にこりと笑う。口は弧を描いているが、目は笑っていない。
関島は是非ともと頷き、クレイグは変わらず微笑んでいるばかり、私だけ小さく謝って反省する。
「……あの魔物以外にも、同じ方法でこの世界に喚び出されたものは複数、確認されているわ。姿形は様々だけれど、人に害を成すものを魔物、人の助けになるものを聖獣、と区分しているの」
「それで、俺達も、その魔物だか聖獣だかと同じ方法で、この世界に喚び出された、ということですか」
「恐らくは」
「でも、私達の住んでいた所には、あんな生き物はいませんでしたよ」
あの魔物は猪に似てはいたが、全く別の生物だった。
「だったら、あの魔物とはまた別の世界から貴方達は来たということではないかしら。私達の世界と、貴方達の世界、少なくともこの2つは存在するのだから、他にも存在したっておかしくはないでしょう?」
おかしいも何も、それ以前の問題だ。
私が今立っている場所は、いくら飛行機に乗ったって辿り着けない、異世界らしい。
異世界とは何だ。一体どこにある。
「私達は誰かに喚ばれて、この別の世界に来たって事でしたけど、喚んだのは誰ですか? どうやったら向こうに戻れますか?」
この際、世界が複数あるのはいいとしよう。長い人生、そんな事もあるだろう。
しかし、突然こちらの都合を無視して、ようこそ異世界へなどと、言われても困る。
「誰が喚んだのかは、現時点では分からない。時間と人手と、然るべき人間の協力を仰げば、あるいは突き止める事も可能かもしれないけれど、今回の場合は基本的に不可能だと、答えるわ。戻る方法ともなると、更に難しい」
「どういう事ですか?」
私は身を乗り出してニコラに尋ねた。
「さっき、魔物と聖獣は魔術師によって召喚されてこちらの世界に来たと言ったけれど、それは遥か昔の話。一番新しい事例でも、200年近く前の事なの。文献に記されているだけで、実際にそれを成せる魔術師は、現存しないと言われている」
私達を喚んだのは魔術師で、この世界には現在、召喚の魔術を使用できる者は居ないと言う。
私はその矛盾に首を傾げた。
「おかしいじゃないですか。それじゃぁ私達は誰に連れてこられたんですか」
「確認されている魔術師の中には、いない、という話。魔術師と言う職業は、得られるものが大きい分、厄介事もたくさん背負い込むはめになるの。隠れて魔術を身に付ける人間も多く居る。何にせよ、昔は出来る魔術師がいたんだから、今ひょっこり現れても別に不思議な話ではないという事」
「……それは、分かりました。戻る方法が更に難しいというのは? 俺たちを喚び出した魔術師なら方法を知っているのではないですか? 招く方法が分かるなら、帰す方法も分かりそうなものですが」
「最初に言ったように、まず見つけるのが難しい。魔術の痕跡やその他の情報を元に、その魔術を行った人物を見つける作業事態困難な上、恐らく相手は魔術師だという事を公にしていないのよ。まぁ、それを解決して、奇跡的に発見したとしても、元の世界に戻す方法を知っている可能性は低いと思う。異世界への干渉を可能とした歴代の魔術師達の、どの書物にも、その方法は記されていないの。はっきり不可能だと、明言しているものすらある」
「つまり、俺達は、帰れない?」
「断言はしない。でも、可能性は、限りなく0に近い」
帰れないという言葉が私の頭の中で繰り返される。
異世界に来たのも、魔物に襲われたのも、追い詰められて死にかけたのも、魔術師や騎士に出会ったのも、そんな事は、あぁ驚いた、で済む話だ。
喉元過ぎれば熱さ忘れる。大した事ではない。
けれど、帰れないとなると、話は別だ。
それは、とても、困る。
「関島さん、どうしましょう。帰れないんですって」
「……黙ってろ。お前が喋ると、話が脱線する」
関島は帰れなくてもいいのだろうか。
そんな事はない筈だ。関島にだって、今までの人生で築いてきた人間関係や、未来に向けて準備してきた事があるはずだ。それがご破算になってしまう。
私だって、少なからず、将来の事を考えていた。
大事な人も、いた。
私はいつも、困った事があると、必ずおじいさんに話を聞いてもらっていた。
おじいさんは、私の育ての親だった。
私を、大事に、大事に、育ててくれた人だ。
思わずきょろきょろと、辺りを見回してしまう。
探したって、ここはおじいさんのいる世界とは違う。
おじいさんの元へ帰る方法を、おじいさんに聞ける訳ない。
帰れないという事は、おじいさんに2度と会えないという事だ。
そんなのは、死んだ時だけだと思っていたけれど、そうではないらしい。
「雪」
呼ばれて、はっとする。
ほんの一瞬だけれど、おじいさんに呼ばれたのかと思った。
すぐにでも駆け寄ろうと思って、おじいさんではないのだと気付いた。
呼んだのは関島だった。
「はい、何ですか?」
問い返しても関島は何も答えない。こちらを見ているだけだ。
これは、あれだろうか。呼んでみただけだよ、とか言う、あれだろうか。
「そろそろ、切り上げましょうか。ニコラ様」
時々、余計な茶々を入れる以外は、ずっと黙っていたクレイグが言った。
「……そうね」
ニコラは素直に答える。
「結局、食べながらと言ったが、それどころではなかったな」
クレイグが苦笑して、関島も小さく笑い、首を振る。
「いえ、こちらも知りたかった事が聞けましたから」
「そうか、出発まではまだ時間があるから、ゆっくり食べて、休んでくれ」
そう言えば、私も話に夢中になって、パンもスープも、まだ半分以上残っている。
パンを口に咥えた。
「圭一、雪」
呼ばれてパンを咥えたままクレイグの方を向く。
「私達は、これから王都に帰還する。確かに、元の世界へ帰るのは難しい。だが、前例がないわけではない。王都へ行けば、より詳しい人物に会わせる事も出来る。一緒に来るか」
「クレイグ?」
ニコラが鋭い視線をクレイグに向ける。
私は関島と顔を見合わせて、すぐに頷き合う。
「是非、ご一緒させて下さい」
「もちろん、行きます。お願いします」
パンを咀嚼しながらだったので、聞き取りにくいだろうが、熱い思いは伝わった筈だ。
帰れる可能性があるのなら、どこにだって行くに決まっている。
「そうか。まだ互いに話したい事はあるだろうが、それはまた道々」
クレイグはそう言って、ニコラを促し出て行こうとする。
ニコラもそれに従う。
『ごめんなさいね。どうしても、早い内に、貴方達と話しておきたかったの』
耳元で聞こえたニコラの声にぎょっとした。
ニコラはテントの入り口から今まさに出て行こうとしているところだ。
これ程近くに聞こえる筈はない。
2人の姿がテントの外に消える間際、こちらを小さく振り返ったニコラと視線が合う。
『魔術よ』
もう一度、また耳元でニコラの声が聞こえた。
そういう事かと納得する。
異世界なのだし、こういう事もあるのだろう。
ニコラからは始終甘い香りが漂っていたが、ニコラが去った後の方が、香りが強くなっている気がする。
どういうことだろうか。
パンの最後の1口分を口の中に放り入れて、関島の方を見る。
様子からして、関島にはニコラの声は届いていないようだった。
「はへないんはら、ほらいはひょうか」
口いっぱいにパンを頬張りながら、自分でも何を言っているか分からない言葉を、関島は正しく理解したらしい。
「やらん」
と、一言。
関島もパンを食べ始めた。




