6 四人
女性は焦げ茶色の長い髪を、上の方で一つにくくっている。
毛先に少し癖があって、一歩踏みしめる度に、くるくると向きを変え軽やかに揺れる。
卵型の小さい顔に収まる大きな瞳は美しい水色で、ビー玉が光を反射しているかのようにキラキラ輝いていた。
両耳には、涙滴型の真っ赤なイヤリングが飾られている。
中に液体でも入っているのか、ゆらゆらと揺らめいて見えた。
紺色のローブの収まる小柄な体は、その見た目以上に、大きなエネルギーを秘めていると思わせる。
それほどに、女性の表情は溌剌としていて、その歩みは明確だった。
ローブの裾に、金糸で呪文のようなものが、ぐるりと一回り描かれていて、その下に見える茶色のブーツが前後に動く度、呪文がたわんだ。
「初めまして。私はニコラ・ウェルベック。見ての通り、魔術師よ」
私達のすぐ傍まで来ると、ニコラはくっきりとした笑みを見せた。
また、奇妙な単語が聞こえた。
当然のように言われたが、呑み込めない言葉だった。
「ま、じゅつし、ですか?」
「ええ。ご存知ないかしら?」
ご存知ないわけではないが、そう実際に名のる人間にはお目にかかった事がない。
このニコラという女性が、本気で言っているのだろうというのは伝わってきたので、笑い飛ばす事も出来ない。
そもそも、狼になったりする私が笑うのは、目くそ鼻くそ、だ。
ぐるぐる考えて、汚い所に落ち着く。
ニコラは口の端を引き上げたまま、ビー玉の瞳で、私をじっと観察しているようだった。
「ニコラ様、後ほどご報告申し上げるとお伝えした筈ですが」
外国人は、ニコラと私の間の直線を遮って立つ。
その声は、私達に対するものと違って少し堅い。
「ごめんなさいね。でも、色々と手間が省けるのではないかと思って」
「手間を惜しんでいては、護衛は務まりません」
「あら? 何から守って下さるの?」
ねぇ、とこちらに同意を求めてくるニコラ。
素性の知れない私達が、ニコラに危害を加えるかもしれないと、そういう事なのだろう。
満身創痍の関島と、ニコラよりも10cmは背が低くガリガリの私に、一体何ができるというのか。
いや、私が狼の姿になれば話は別か。
外国人はそれを危惧しているという事だろうか。
そう考えるのはあまり良い気分ではなかったが、例えどのような小さい可能性だったとしても、きっとこの外国人は万全を期すのだろうとも思ったので、そういう事なのだと納得する。
外国人が背中越しに私を見た。
私は何もしませんという意思表示に、一歩下がって、両手の平を見せる。
私の様子がおかしかったのか、外国人は小さく笑った。
ただ少し複雑そうな表情でもあった。
外国人はニコラの方を向く。
「分かりました。思うようになさって下さい」
ニコラの問いには答えずそう返したのは、さすがに私達本人の前で、お前達を警戒しているのだと言えないから、という事もあったのだろう。
何を言ってもニコラが引かない事を察したのが、一番の理由だろうが。
「ありがとう」
ニコラは満足そうに微笑んだ。
4人で話すという事になったところで、改めてその顔ぶれを見渡すと、何とも個性的だった。
金髪外国人、魔術師、怪我人、狼人間。
私だけ個性的の域を超えている気もする。
只、彼らを前にすると、学校の人間と相対した時のような、鬱屈とした気分にはならない。
それは私にとって、とても有り難い事だった。
少しぼんやりしていると、外国人の碧い眼が、私をぐっと現実に引き戻す。
「遅くなったが、私は、カラム騎士団副団長クレイグ・ラングリッジと言う」
金髪外国人改め、キシダンフクダンチョウが名のった。
騎士団副団長、という言葉を理解するのに時間がかかって、続いた横文字が思い出せない。
関島の手前、聞き返せない。
私は一度で名前を覚えられる子だ。
だらだらと嫌な汗が伝う。
脳みそを振り絞ってみるものの、何も出てこない。
「何と、言いましたか」
私の願望が読み取られたのかと思った。
意外な事に、そう発言したのは関島だった。
喜ばしい半面、私の葛藤は一体何だったのだろうと、虚しさを感じる。
副団長がもう一度名のってくれたので、それを頭の中で繰り返し覚える。
クレイグ・ラングリッジ、クレイグ・ラングリッジ。
ニコラ・ウェルベックとクレイグ・ラングリッジ。
カタカナの名前は覚えにくい。
忘れないように何かに書き留めておくべきだろうか。
「……俺は、関島圭一と言います」
「私は加倉雪です」
関島が名のったので、私も続く。
「セキシマにカクラ? 変わった名前ね。聞いた事ないわ」
「名前は圭一で、姓が関島です。こいつも雪の方が名前です」
「どちらにしろ、珍しい名だ。……君達はどこから来たんだ?」
クレイグが真剣な顔で問いかけてくる。
「なぜあの森に居た?」
質問を更に重ねてくる。
鋭い表情は、森で初めて対峙した時のクレイグを思い出させた。
どこから来たかは話せても、なぜあの森に居たかは、気付いたらとしか言いようがない。
私よりは、そこら辺りの状況を把握している筈の関島は、一度説明を拒否している。
詰問されるべきは関島だと判断して、私は何も言わない事にする。
隠したいのなら関島が上手く嘘を付けばいい。私は手助けしない。
私が他人事のような顔をしていると、関島は嫌そうに眉を顰めた。
「……俺達が暮らしていたのは、日本という国です」
「ニホン? ニホン、ニホン……」
私達には聞き馴染みのある国の名前を、ニコラが口の中で転がす。
聞いた事のない国ねと言われて、関島は微かに頬を引きつらせた。
日本を知らない人がいる。
それは、理解してはいけない事実が、ひたひた近付いてくる足音に聞こえた。
今までは聞こえないふりをしていたものだ。
「ここは、どこですか。国や場所の名前は何というんでしょうか」
関島が少し急いた言い方で聞く。
私と同じ心境だったのだろう。
知りたくないが、知りたい。
早く不安を振り払いたがっているように見えた。
クレイグとニコラは互いに顔を見合わせる。
「ヴァスラン王国の領地サシオンだ。君達が居た森は、人の出入りが禁止されている危険な場所だった」
こちらを察知するや否や襲いかかってきた、猪に似た姿をした獣を思い出す。
確かに、人がおいそれと入っていい場所ではないと思う。
ヴァスラン王国、サシオン領、どちらも聞いた事のない国と地域だった。
全世界の国を全て把握しているとは言わないが、それでも魔術師と騎士という職業がセットになってくると、受け入れ難い真実に辿り着くのは、もう間近だと思われた。
関島も聞いた事のない地名だったのだろう。
「……俺達が住んでいたのは、太陽系の、地球という惑星です。日本と呼ばれる小さな島国で……聞いた事は、ないですか」
クレイグとニコラの不可解そうな様子に、関島の声が段々と小さくなっていく。
私達にこの場所の事が分からないなら、クレイグ達が私達の居た場所の事を何か知っていれば、世界は繋がる。
そんな望みをかけて、もう一度同じ事を、今度はもう少し詳細に説明したのだろう。
「悪いが、何を言っているのか分からない」
クレイグの低く優しい声が、私達を暗闇に突き落とした。
いや、薄々は分かっていたのだ。
何度も常識を疑うような事に遭遇してきたのだから。
「ねぇ、貴方達はどうやってあの森までやって来たの?」
ニコラの女性らしい声が問う。
クレイグにも尋ねられた事だ。
「それは……」
関島は言い淀んだが、覚えていないとは言わなかった。
関島1人に集中する3人の視線に、観念したようだった。
「道で立ち話をしていたら、地面が突然底なし沼みたいになって、その中に引きずり込まれました。全身が沼に浸かって死ぬかと思った頃に、あの森の上空に放り出されたんです。木の枝葉が密集していたおかげで、死にはしませんでしたが、御覧の通りの状況です」
細かな裂傷は逃走の際に出来たものもあるだろうが、右足の骨は上空から落下した時に折ったという事か。
「だったら、最初からそう言えばいいのに」
「お前は、地面に溺れて森に放り出されたと言ったら、信じたのか」
「信じませんよ。当たり前じゃないですか」
何を言っているんだ。
関わってはいけない人だと思って、適当に受け流して逃げたに決まっている。
「あいたっ」
関島が握りこぶしで私の腹をパンチする。
骨折をしているのに、無理な体勢をしたせいで、関島自身も深刻なダメージを受けている。
本当は馬鹿なんじゃないだろうか。
「仲がいいのね。でも、一緒にこちらに来たわけではないの?」
「……いえ、一緒、ですよ」
足の痛みに耐えているようで、関島の声は震えている。
「道で関島さんと話をしていたら、体調が悪くなって意識を失ってしまったんです。次に目を覚ましたらあの森だったので、その間の事は分からなくて」
「そう、空から落下したにしては貴方に怪我はないようだけど」
狼になれる私は、多少の怪我をしてもすぐに治ってしまう。
それでも確かに、森で目覚め時には、体に痛みはなかったし怪我もしていなかった。
「圭一が庇ったのだろう。名誉の負傷だな」
クレイグは、女性を守るのは男として当然だと言わんばかりだ。
関島は少し居心地悪そうに視線を逸らした。
まさか、図星だと言うのだろうか。
私に気を失った後の事を説明しなかったのは、頭の可哀想な人だと思われたくなかったのではなく、私を守って怪我をしたという話をするのが恥ずかしかったから、などと言うのだろうか。
「心辺りがあるかもしれないの。貴方達が遭遇した不思議な出来事の原因に」
ニコラが緩みかけた空気を引き締めた。




