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異世界への帰郷  作者: 蟻塚ハチ
6/8

6 四人


 女性は焦げ茶色の長い髪を、上の方で一つにくくっている。

 毛先に少し癖があって、一歩踏みしめる度に、くるくると向きを変え軽やかに揺れる。

 卵型の小さい顔に収まる大きな瞳は美しい水色で、ビー玉が光を反射しているかのようにキラキラ輝いていた。

 両耳には、涙滴型の真っ赤なイヤリングが飾られている。

 中に液体でも入っているのか、ゆらゆらと揺らめいて見えた。

 紺色のローブの収まる小柄な体は、その見た目以上に、大きなエネルギーを秘めていると思わせる。

 それほどに、女性の表情は溌剌としていて、その歩みは明確だった。

 ローブの裾に、金糸で呪文のようなものが、ぐるりと一回り描かれていて、その下に見える茶色のブーツが前後に動く度、呪文がたわんだ。

 

「初めまして。私はニコラ・ウェルベック。見ての通り、魔術師よ」


 私達のすぐ傍まで来ると、ニコラはくっきりとした笑みを見せた。

 また、奇妙な単語が聞こえた。

 当然のように言われたが、呑み込めない言葉だった。


「ま、じゅつし、ですか?」


「ええ。ご存知ないかしら?」


 ご存知ないわけではないが、そう実際に名のる人間にはお目にかかった事がない。

 このニコラという女性が、本気で言っているのだろうというのは伝わってきたので、笑い飛ばす事も出来ない。

 そもそも、狼になったりする私が笑うのは、目くそ鼻くそ、だ。

 ぐるぐる考えて、汚い所に落ち着く。

 ニコラは口の端を引き上げたまま、ビー玉の瞳で、私をじっと観察しているようだった。


「ニコラ様、後ほどご報告申し上げるとお伝えした筈ですが」


 外国人は、ニコラと私の間の直線を遮って立つ。

 その声は、私達に対するものと違って少し堅い。


「ごめんなさいね。でも、色々と手間が省けるのではないかと思って」


「手間を惜しんでいては、護衛は務まりません」


「あら? 何から守って下さるの?」


 ねぇ、とこちらに同意を求めてくるニコラ。


 素性の知れない私達が、ニコラに危害を加えるかもしれないと、そういう事なのだろう。

 満身創痍の関島と、ニコラよりも10cmは背が低くガリガリの私に、一体何ができるというのか。

 いや、私が狼の姿になれば話は別か。

 外国人はそれを危惧しているという事だろうか。

 そう考えるのはあまり良い気分ではなかったが、例えどのような小さい可能性だったとしても、きっとこの外国人は万全を期すのだろうとも思ったので、そういう事なのだと納得する。


 外国人が背中越しに私を見た。

 私は何もしませんという意思表示に、一歩下がって、両手の平を見せる。

 私の様子がおかしかったのか、外国人は小さく笑った。

 ただ少し複雑そうな表情でもあった。

 外国人はニコラの方を向く。


「分かりました。思うようになさって下さい」


 ニコラの問いには答えずそう返したのは、さすがに私達本人の前で、お前達を警戒しているのだと言えないから、という事もあったのだろう。

 何を言ってもニコラが引かない事を察したのが、一番の理由だろうが。


「ありがとう」


 ニコラは満足そうに微笑んだ。


 4人で話すという事になったところで、改めてその顔ぶれを見渡すと、何とも個性的だった。

 金髪外国人、魔術師、怪我人、狼人間。

 私だけ個性的の域を超えている気もする。

 只、彼らを前にすると、学校の人間と相対した時のような、鬱屈とした気分にはならない。

 それは私にとって、とても有り難い事だった。

 少しぼんやりしていると、外国人の碧い眼が、私をぐっと現実に引き戻す。


「遅くなったが、私は、カラム騎士団副団長クレイグ・ラングリッジと言う」


 金髪外国人改め、キシダンフクダンチョウが名のった。

 騎士団副団長、という言葉を理解するのに時間がかかって、続いた横文字が思い出せない。

 関島の手前、聞き返せない。

 私は一度で名前を覚えられる子だ。

 だらだらと嫌な汗が伝う。

 脳みそを振り絞ってみるものの、何も出てこない。


「何と、言いましたか」


 私の願望が読み取られたのかと思った。

 意外な事に、そう発言したのは関島だった。

 喜ばしい半面、私の葛藤は一体何だったのだろうと、虚しさを感じる。


 副団長がもう一度名のってくれたので、それを頭の中で繰り返し覚える。

 クレイグ・ラングリッジ、クレイグ・ラングリッジ。

 ニコラ・ウェルベックとクレイグ・ラングリッジ。

 カタカナの名前は覚えにくい。

 忘れないように何かに書き留めておくべきだろうか。


「……俺は、関島圭一と言います」


「私は加倉雪です」


 関島が名のったので、私も続く。


「セキシマにカクラ? 変わった名前ね。聞いた事ないわ」


「名前は圭一で、姓が関島です。こいつも雪の方が名前です」


「どちらにしろ、珍しい名だ。……君達はどこから来たんだ?」


 クレイグが真剣な顔で問いかけてくる。


「なぜあの森に居た?」


 質問を更に重ねてくる。

 鋭い表情は、森で初めて対峙した時のクレイグを思い出させた。


 どこから来たかは話せても、なぜあの森に居たかは、気付いたらとしか言いようがない。

 私よりは、そこら辺りの状況を把握している筈の関島は、一度説明を拒否している。

 詰問されるべきは関島だと判断して、私は何も言わない事にする。

 隠したいのなら関島が上手く嘘を付けばいい。私は手助けしない。


 私が他人事のような顔をしていると、関島は嫌そうに眉を顰めた。


「……俺達が暮らしていたのは、日本という国です」


「ニホン? ニホン、ニホン……」


 私達には聞き馴染みのある国の名前を、ニコラが口の中で転がす。

 聞いた事のない国ねと言われて、関島は微かに頬を引きつらせた。

 日本を知らない人がいる。

 それは、理解してはいけない事実が、ひたひた近付いてくる足音に聞こえた。

 今までは聞こえないふりをしていたものだ。


「ここは、どこですか。国や場所の名前は何というんでしょうか」


 関島が少し急いた言い方で聞く。

 私と同じ心境だったのだろう。

 知りたくないが、知りたい。

 早く不安を振り払いたがっているように見えた。

 クレイグとニコラは互いに顔を見合わせる。

 

「ヴァスラン王国の領地サシオンだ。君達が居た森は、人の出入りが禁止されている危険な場所だった」


 こちらを察知するや否や襲いかかってきた、猪に似た姿をした獣を思い出す。

 確かに、人がおいそれと入っていい場所ではないと思う。

 ヴァスラン王国、サシオン領、どちらも聞いた事のない国と地域だった。

 全世界の国を全て把握しているとは言わないが、それでも魔術師と騎士という職業がセットになってくると、受け入れ難い真実に辿り着くのは、もう間近だと思われた。

 関島も聞いた事のない地名だったのだろう。


「……俺達が住んでいたのは、太陽系の、地球という惑星です。日本と呼ばれる小さな島国で……聞いた事は、ないですか」


 クレイグとニコラの不可解そうな様子に、関島の声が段々と小さくなっていく。

 私達にこの場所の事が分からないなら、クレイグ達が私達の居た場所の事を何か知っていれば、世界は繋がる。

そんな望みをかけて、もう一度同じ事を、今度はもう少し詳細に説明したのだろう。


「悪いが、何を言っているのか分からない」


 クレイグの低く優しい声が、私達を暗闇に突き落とした。

 いや、薄々は分かっていたのだ。

 何度も常識を疑うような事に遭遇してきたのだから。


「ねぇ、貴方達はどうやってあの森までやって来たの?」


 ニコラの女性らしい声が問う。

 クレイグにも尋ねられた事だ。


「それは……」


 関島は言い淀んだが、覚えていないとは言わなかった。

 関島1人に集中する3人の視線に、観念したようだった。


「道で立ち話をしていたら、地面が突然底なし沼みたいになって、その中に引きずり込まれました。全身が沼に浸かって死ぬかと思った頃に、あの森の上空に放り出されたんです。木の枝葉が密集していたおかげで、死にはしませんでしたが、御覧の通りの状況です」


 細かな裂傷は逃走の際に出来たものもあるだろうが、右足の骨は上空から落下した時に折ったという事か。


「だったら、最初からそう言えばいいのに」


「お前は、地面に溺れて森に放り出されたと言ったら、信じたのか」


「信じませんよ。当たり前じゃないですか」


 何を言っているんだ。

 関わってはいけない人だと思って、適当に受け流して逃げたに決まっている。


「あいたっ」


 関島が握りこぶしで私の腹をパンチする。

 骨折をしているのに、無理な体勢をしたせいで、関島自身も深刻なダメージを受けている。

 本当は馬鹿なんじゃないだろうか。


「仲がいいのね。でも、一緒にこちらに来たわけではないの?」


「……いえ、一緒、ですよ」


 足の痛みに耐えているようで、関島の声は震えている。


「道で関島さんと話をしていたら、体調が悪くなって意識を失ってしまったんです。次に目を覚ましたらあの森だったので、その間の事は分からなくて」


「そう、空から落下したにしては貴方に怪我はないようだけど」


 狼になれる私は、多少の怪我をしてもすぐに治ってしまう。

 それでも確かに、森で目覚め時には、体に痛みはなかったし怪我もしていなかった。


「圭一が庇ったのだろう。名誉の負傷だな」


 クレイグは、女性を守るのは男として当然だと言わんばかりだ。

 関島は少し居心地悪そうに視線を逸らした。

 まさか、図星だと言うのだろうか。

 私に気を失った後の事を説明しなかったのは、頭の可哀想な人だと思われたくなかったのではなく、私を守って怪我をしたという話をするのが恥ずかしかったから、などと言うのだろうか。


「心辺りがあるかもしれないの。貴方達が遭遇した不思議な出来事の原因に」


 ニコラが緩みかけた空気を引き締めた。


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