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永遠のまいぷー

作者: 立野絢

 昨日までの僕は、こんなことが起こるなんて夢にも思わなかった。


 

 フリーター。二十二歳。親のすねかじり。対人恐怖症。デブ。バカ。アイドル好きオタク。

 僕という人間を単語で表すとしたら、こんな感じ。素直に認める。

 好きなアイドルの切り抜きを集めてマイファイルを作ったり、PCで僕と僕の好きなアイドルのデート風景を合成してマイアルバムを作ったり。そんな感じで僕は毎日忙しい。

 ある朝いつものようにPCを立ち上げたら、何か画面に違和感を覚えた。

 PCを立ち上げる、歯を磨く、大盛り朝ごはんを食べる、ピュアネス(僕の贔屓のアイドルグループ)の公式サイトをチェックする。そんなふうにいつもの流れ作業のように進めない、ただならぬ何かを感じた。

 PCを立ち上げた直後、ピュアネスのメンバー六人が制服姿で微笑んでいる、見慣れた背景画面の下の方に、見慣れないボタンがいくつか並んでいるのに気がついた。

 そのボタンは六つあって、それぞれに女の子の顔写真が刻まれている。その女の子の顔とは他でもない、ピュアネスの彼女たちなのだった。

 これが何を意味しているのかまるでわからなかった。驚きとともに好奇心がむくむくと顔を出し、マウスを握る僕の汗ばんだ右手を動かしていった。

 僕はもちろん、一番好きなメンバー「まいぷー」こと山本麻衣ちゃんの顔のアイコンを迷わず押した。するとまいぷーの顔がみるみるうちに大きくなり、僕の顔と同じぐらいの大きさになったんだ。そして僕と向かい合う形になった。

 まいぷーが僕を見つめている。まいぷーは僕に何かを言いたそうにしてる。

 しかしその下に再び並んだボタンが、メンバーの顔のボタンではない、新たなものに変わっていることに気づき、僕はそちらに気を取られてしまった。それも無理はないと思う。だってそのボタンに刻まれた文字は、僕がいつも夢見てたようなことだったんだもの。

 ボタンはやはり六つあって、その上には短い文字が書かれていた。左から『見る』、『見つめあう』、『会話』、『食事』、『スキンシップ』、『添い寝』だ。

 これって、よくあるオタク向けのアプリみたいなやつなのかな。それがなぜかいきなり僕のパソコンに、承諾もなしに入ってきちゃったとか。そんなことってあるのかな。

 おそるおそる、『見る』のボタンを押してみた。

 すると画面の中でまいぷーが動きだし、二人掛けぐらいのピンク色のソファに座り、丸テーブルの上に置かれたスナック菓子の袋を取り上げてむしゃむしゃと食べ始めた。そこはどう見ても、個人的な女の子の部屋のようだ。そして彼女の格好は、ルームウェアのようなものだった。うすいピンク色のもこもこした生地のパーカーと、同素材のショートパンツ。

 しばらくまいぷーがお菓子を食べる姿を眺めていると、不意に彼女は立ち上がり、大きな鏡の前に座り、化粧直しのようなことを始めた。

 それもなかなか終わりそうもないので、僕は次に、『見つめあう』のボタンを押してみた。

 すると鏡の前で何度もマスカラをつけ直していたまいぷーがその手を止め、僕の見ている画面に近づいてきた。

 まいぷーは再び画面の前に座ったと思われ、その顔は先ほどと同じように大写しになった。こちらを見つめる彼女の顔を、照れくささでまともに見られない。あの、命を差し出してもいいと思えるほどの愛するまいぷーが、僕の顔をじっと見ている。何万人という男どもが同じ映像を見ているとしても、それでも僕はリアルに彼女と見つめあっているという錯覚を拭うことが出できないでいる。本当によくできた作り物だ。

 まいぷーは僕を見つめ、僕はまいぷーの顔を見つめていた。超可愛いんだけど。

 彼女はときに口元を意味ありげにほころばせたり、目を細めて僕の心の中を覗き込むような顔したりして、僕から視線を逸らさなかった。無性に、聞き慣れたあの声が聞きたい。

 次の瞬間には『会話』のボタンを何のためらいなく押していた。

 見つめるだけで開かれることのなかったその可愛らしい小さな口が、ゆっくりと動いた。そして僕の耳に、まるで風邪を引いているみたいに鼻にかかった、トロリとした液体みたいなあの声が伝わってきた。

「お待ちどうさま、まいったぷーさん、まいぷーだよ。味わって食べてね。おはよう、博史くん」

 ……まじで?

 まいぷーは確かに、お決まりのセリフの後にそう言ったんだ。確かに、僕の名前を呼んだんだ。これって、リアルタイムってこと?    

 録画だと思えないんだけど。どう考えても他に説明つかないんだけど。

 半信半疑のまま、この疑問を解くための会話の流れをつくりだそうとしていた。

「……おはよう、まいぷー。さっき食べてたのって、『食べっコーン』のミントオニオン味だよね。それってけっこう好き嫌い別れる味なんだけど、実は僕も大好物なんだ。玉ねぎの香ばしくてコクのある味わいが、ミントのさわやかさによってスッキリする感じで、美味しいよね。まいぷーはあれのどんなとこが好きなの?」

 次にまいぷーの発したセリフで、この会話が彼女と僕だけのものなのだと確信した。

「ごめん、もう仕事行かなきゃなんない時間。マネージャーキレやすい人だからやばいんだ。夜の十二時過ぎとかなら帰ってきてるかもしれないけど。……だいっきらいな玉ねぎが初めて食べれたのが『食べっコーン』だから、好き」

 動脈なのか? 静脈なのか? 何もわからなかった。ただ、血が、氾濫した川みたいにドドーッと流れている。コントロールできなくて、ただ思いのままに熱い血がたぎっている。まいぷーは録画じゃなくて、リアルに僕と会話していた。

 やばい、やばい。嬉しいよ。まいぷーは僕のためだけに声を発してくれていたんだね。大好きだよ、まいぷー。君だけを愛してる。

 まいぷーはもちろんすごく忙しい人だってわかってるから、僕はその場は彼女を解放してあげた。仕事があるよね、もちろん。まいぷーが叱られちゃったりしたら、僕も辛いもん。何だか、もう二度と取り返しつかないような気持ちになってる。いつまででも、待ってるからね。


 その日の深夜十二時三十分、ゆっくりと画面の端から現れたまいぷーに、再び話しかけた。

『会話』の次は『食事』っていうボタンが僕を待ってる。このときのために、今日は朝にお母さんが用意してくれた大盛りの朝ごはんを食べてからは、今まで何も口にしていない。コンビニでお昼にいつも買う、マヨたっぷり肉じゃが丼も食べてないよ。だってまいぷーと一緒にごはんが食べれるんだから。

『食事』のボタンを押した。

 疲れた顔をしたまいぷーは無理に笑顔を作ろうとしてる。「無理しなくていいんだよ」僕は言いながら、彼女の次の行動を待つ。

「ごはんにしよー」そう言ってまいぷーは、コンビニの袋から野菜ばっかりが入ったパスタを取り出し、画面の前に置いた。そして僕がごはんを用意し終えるのを待ってくれている。

 勉強机の引き出し、一番下の段に大量に詰め込まれた、ビスケットとかポテトチップスとかの食料の中に埋もれた、唯一食事と言えそうな「お茶漬けの素」を引っ張り出すと、僕は急いで白米を茶碗に一杯用意して、その上に粉をぶっかけて、ぬるいお湯を注いだ。とにかくタイミングを逃してはいけない。まいぷーは既にごはんの用意ができているのだから。待たせて、機嫌を損なわれでもしたら大変だ。

 僕がお茶漬けを用意し終えると、「いただきまーす」と言ってまいぷーはパスタを食べ始めた。僕もしょっぱいだけのお茶漬けをすすり始めた。塩って、うまいな。うまい。まいぷーと一緒なら、ウンコでもうまいと思えるな。

 器用にフォークにスパゲッティーを巻きつける姿は綺麗すぎて、僕の持つスプーンは茶碗ではなく、宙を掻いてしまっていた。僕たちはリアルにこの時間を共有してて、その事実に震えてしまう。

 まいぷーはパスタを食べながら時々僕の顔を上目づかいで見た。僕はもう昇天寸前だ。


 ごはんを食べ終えたまいぷーはすごく眠そうにしていた。それでも僕のために眠たい目をこすって一緒にいてくれている。

 質素なごはんを食べながら、僕の頭は別のことでいっぱいになっていた。次のボタン。下半身が何かの生き物のようになってしまって、収拾つかなくなってるよ。現実として、隔てられた画面を通して、それが可能なのかな。

『スキンシップ』のボタンを押した。

 するとまいぷーは右手を画面の中央に当てた。ちっちゃな右手。僕も鼠色にすす汚れた左手をその手のひらに合わせるように置いた。

 実際に触れたわけでもないのに、画面の向こうから肌の温かみがじんわりと伝わってくる気がした。

「これぐらいしかできないけど、ごめんね」そう言ってまいぷーは眉を少しだけ下げて笑った。

 まいぷー、なんで君が謝るんだ。僕は君に触れられて、こんなにも感動しているっていうのに。そして今君の優しさに触れ、僕の感動はさらに膨らんでいるよ。

 目尻から頬へ流れる涙を隠すことも忘れ、僕はまいぷーの肌を堪能し続けた。


 しばらくするとまいぷーは、ついに眠気がピークに達したのか、こっくりとし始めた。僕は自分の至らなさにはっとさせられた。ごめんよ、まいぷー。気が付かなくて。

『添い寝』のボタンを押した。

 すると急に画面からまいぷーの顔が消え、ピンク色の布団が掛けられたベッドがクローズアップされた。

 しばらくのあいだ、衣を擦るような音が続いたかと思うと、再び画面にパジャマ姿の彼女が現れた。布団の中に潜り込み、はにかみながら言う。「ねよっか」

 下半身が、やばい。

「く、くっついて寝てもいい?」「いいよ、よしよししてあげよっか?」「お、お、おねがいします」

 電気を消し、その辺に落ちていた臭い毛布を引っ張り上げ、画面にできるだけ体を押しつけた。

 化粧を落としたまいぷーの顔がすぐ間近にある。

「おやすみ、博史くん」

 僕のべたべたの髪の毛を、まいぷーの小さな手がゆっくりと往復した。その気持ち良さに、下半身よりも眠気の方が勝ってしまった。


 その日から僕とまいぷーの疑似恋愛みたいなのが始まった。別にそれ以上の深い関係になったわけでもないし、画面を通してではもちろんあり得ないし、勝手にそれを恋愛だと思ってるだけかもしれないんだけど。それでもとにかく僕は、今までの人生の中で最高の時間を過ごしたんだ。本当に大満足だった。

 しかし人間の満足というのはげんきんなもので、すぐに現状では飽き足らなくなる。僕はなんとか生身の彼女に会えないものかと考えた。

 ある日、『会話』のボタンを押していつものように世間話みたいなのをしているとき、その前日から企んでいたセリフをついに口にした。「会わない?」

 まいぷーの反応は、ある程度覚悟していた。彼女は何万人という男に求められているスーパーアイドルなんだ。僕の提案は、どう考えても迷惑としか思えないだろう。まいぷーはその可愛い眉を八の字にして、口をつぐむんだ。優しいまいぷーは、僕の心を傷つけないように、それでも断固として断るにはどうしたらいいか、悩むんだろう。

 しかし、次に彼女の口から発された思いもよらない言葉に度肝を抜かれ、しばらくそのまま互いに無言の状態が続いた。

 まいぷーは僕のセリフの後に、何のためらいもなく答えたんだ。「いいよ」って。なかなか破られない長い沈黙の間、まいぷーの眉間に、見えるか見えないかの僅かな皺が浮かんだような気はしたんだけど。

「いつ? いつ会えるの?」声を裏返らせながら、画面に額を押し付けて言った。

「じゃあ、一週間後の朝八時に『オリオン』。右側の一番奥の席に座っててくれれば、会いに行くね。場所はわかる?」まいぷーは、奇妙なほど具体的なことを言った。

『オリオン』というのは、僕の住む街の最寄駅からほど近い場所にある二十四時間営業の喫茶店の名前だ。あまり綺麗とは言えない店だが、なぜかいつも混んでいる。前を通ったことは何度もあるが、僕は一度もその店に入ったことはない。

 とにかく生身のまいぷーと会えるんだ。彼女が僕のためだけに動いてくれる。夢みたいだ。

「もちろん知ってる! 必ず行くよ! まいぷー、嬉しいよ!!」

 画面の方々に唾を飛び散らせながら言うと、まいぷーは一瞬ふっと表情を曇らせた。僕の目にはそう映った。しかしすぐにあのまぶしい笑顔を取り戻し、向こう側の画面をとんとんと指で叩きながら言った。

「じゃあ、その日までこれもやめとこ。そしたら会ったときにもっと嬉しいよ。それまで、楽しみに待っててね」

 そしてまいぷーは可愛らしく首をちょこんと傾け、小さく手を振った。声には出さなかったが、唇が「バイバイ」という形に動いた。その直後、画面の中が真っ黒になった。


 それから僕は約束の日を迎えるまで、自分がいかに好印象を与えられるかだけを考えて過ごした。

 最後にまいぷーと会話をした日からは、いくらPCを立ち上げても画面の中にあのボタンは現れなかった。それまでは画面を通じてとはいえ、毎日彼女と会話をしていて、半ばそれが当たり前のようになっていただけに、やはり寂しかった。まいぷーがいない。

 でもその時間を、その後に起こる素晴らしい出来事のスパイスだと思って過ごしていった。それにその時間は、外見も中身も全部みっともない自分を、少しでも磨くべく必要な時間だった。

 お母さんのつくる大量の料理も、目を見張るほど高カロリーのコンビニ弁当も、今までなら一日三袋は開けていたポテトチップスも、僕は全部食べなかった。キャベツを五玉買ってきて、その葉を一枚ずつ剥がして食べ、毎日のご飯とした。そのおかげで約束の日まで、五キロ痩せた。

 人生の中で一度も買ったことのない男性向けのファッション誌を買い漁って、今流行りの服装とか髪型をチェックして、できるだけそれに近づこうと苦心した。息子に甘いお母さんから、何かしら理由をつけておこずかいを貰い、服を買い、美容室に行った。そのおかげで以前よりは少しだけ垢抜けた。

 誰かが書いた『女を虜にする会話術』という本を、図書館から借りてきて学んだ。それ以外にも心理学的な本を何冊も借りてきて読み耽った。人間の心をコントロールするための方法。そのおかげでホストみたいに女を気持ちよくさせられる気分になった。会話が乗ってきたときに相手の手がカバンの中に入れられたら、すぐにライターを用意。

 

 約束の日が来た。朝、汚い部屋のど真ん中に立ち、深呼吸をした。

 自分を「良く」見せるためにできるだけのことはやった。あとは外へと一歩踏み出すだけだ。一歩踏み出しさえすれば、あとは神様がなんとかしてくれるはずだ。

 

 約束の時間の八時より三十分も前に店に着き、指定された席でコーラの三杯目を飲んでいた。セルフで、一杯分の料金でおかわり自由。とにかく口の中がすぐにカラカラに乾いてしまう。そして僕の心臓は今にも口から飛び出て、僕をおいて逃げていってしまいそうだ。

 まいぷーに会いたい。でも会うのが怖い。でも死ぬほど会いたい。

 四杯目のコーラを注ぎに行こうと腰を上げかけたそのとき、チリンという鐘の音と共に、甘い臭いが店内に広がった。僕は上げかけた腰を戻さざるを得なくなった。この臭いは。

 反射的に時計を見た。八時ちょうどだった。一秒のズレもないように思えた。店の入口の方を見る勇気が出ない。どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう。

 パニック状態になりながら宙を睨み、空のコップを握り締める僕の肩を、華奢な手がとんとんと叩いた。そのぬくもりで体中の緊張が解けたみたいになって、僕は視線を上げた。

 僕の目の前に、確かにまいぷーが立っていた。そして僕は第一声として用意していたセリフを言おうと、口を開きかけた。会いたかったよ、まいぷー。

 しかし僕はそのセリフを言うことができなかった。なぜなら、僕の言葉を制すようにまいぷーは、突然僕の左手を掴み、その手のひらに何か紙のようなものを握らせてきたからだ。予想もしないことだった。見るとまいぷーは眉を下げて微笑んでいた。

 そぅっと左手のグーを開いていった。それが完全に開ききる前に、その紙が何なのか、理解した。

 お金だった。1万円札。どうして。

 その意味がわからずにまいぷーの顔を再び仰ぎ見ると、そのとき初めて彼女は口を開いた。「おだちんだよ。今まで、ありがとね」

 言い終わるとまいぷーは僕の言葉を待たずに、スカートを翻して僕に背を向け、入口の方へと戻っていった。店から外に出るまで、一度も僕の方を振り返らなかった。

 取り残された僕は、コーラのおかわりをしに行った。意思とは関係なく行動していた。右目の端に見えた店の窓から、黒塗りの車の後部座席にそそくさと乗り込む、表情のないまいぷーが見えた。



 一年後、僕は結婚した。相手は、親戚のコネでやっと入社できた会社の、同僚の女の子だ。

「なんとなく」。まさにそれが、結婚の理由だ。なんとなく付き合うことになって、なんとなくの流れで結婚した。自分の気持ちというものが、たいして重要なものじゃなくなっていった。『オリオン』でまいぷーに会い、すぐに離れたあの日から。

 時間が気持ちの角を削るように、収まるべき穏やかな場所に僕を誘導するように流れていった。以前のような親のすねかじりなところも、対人恐怖症も、デブも、バカも、アイドル好きオタクなところも、全ての癖みたいなものがその姿を薄めていった。そして残ったのは、どこにでもいるありふれた男が、ありふれた生活をしている姿。


 ある日妻の買い物に付き合って並んで歩いていると、街中のビルに設置された馬鹿でかいスクリーンに、一年前まで好きだったアイドルグループの姿が映っているのが目に入った。

 ピュアネスだ。僅か一年前だというのに懐かしさすらも感じる、六人の歌って踊る姿を久しぶりに目にした。僕の頭の中には過去の映像がいくつも浮かび上がった。

 彼女の疲れた顔。ご飯を口いっぱいに頬張る顔。ちょっとだけふてくされた顔。マネージャーに怒られたと言って、涙ぐむ顔。僕だけの、あの笑顔。

 まいぷー。あの頃、僕は君だけを愛していたよ。

 巨大なスクリーンは、次にピュアネスの新曲のプロモを流し始めたようだ。僕の足が急に止まったのを、隣の妻は怪訝な顔で見ている。

 僕はそのスクリーンから目が離せないでいた。それには理由があった。

 過去を懐かしんで? そうじゃない。スクリーンには、毎日のように鏡を介して見ている人間が映っていたのだから。

 それは、他でもない僕。自分自身だったのだ。

 

 一年前の、まいぷーとの疑似恋愛。その一部始終が映し出されていた。『オリオン』での僕の、コーラをおかわりしに行く姿までが。

 曲が終わる少し前に、画面の右下に曲のタイトルが表示された。タイトルは、『バーチャル恋愛』。

 隣で同じスクリーンを見ながらわなないている妻のことは、まるで気にならなかった。

 

 

 まいぷー。君は永遠なんだね。

 君は永遠に、僕の心を乱し続ける。これからも、ずっと。

 僕をこんなに夢中にしてくれて、ありがとう、まいぷー。


(了)

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