桜の下で
極寒の朝六時、桜の木の下、ブルーシートの上に座り、早二時間がたった。寒さのせいで、完全に体が固まってしまっている。事の発端は昨日、大学のミステリ研で行った罰ゲーム付きポーカーにある。見事にそのゲームに敗北した俺は、罰ゲームとして、先輩から今日の花見席確保という大役を仰せつかってしまった。長い春休みのせいで、今日が何日か忘れてしまったが、たぶん三月の下旬だろう。三月の下旬はもう春と言っても、まだまだ寒さが続いている。しかも朝方なので、外は非常に冷えこんでいた。花見は九時からの予定なので、あと三時間もこの寒さを我慢しなければならない。がんばれ俺。
場所は市街地の外にある公園で、公園の中でも一番大きな桜の下を陣取っている。ちなみに、この一番大きな桜の木の下というのが、非常に重要らしく、先輩が「死んでもその場所を守れ!」とまで言っていた。俺の真後ろに堂々と立っている桜を見てみると、他の桜に比べて一回り大きく、目立ってはいるのだが、その他には大した特徴もない。
周りを見渡すと、桜は満開できれいなのだが、俺以外に誰もおらず、ずっと静まり返っている。こんなに閑散としているなら、場所取りなんて必要ないじゃないか、と俺に無意味な命令をした先輩への怒りを燃やしていると、公園の入り口から一人の男が歩いてきた。
その男は顔をマスクとニット帽で隠し、黒のダウンジャケットを羽織っていた。年齢は俺と同じくらいだろうか。見るからに怪しい恰好をしている。その男は、俺の存在に気付くと、少し驚いた素振りを見せた。その後、男は俺の目の前まで来ると、その場に屈み込んで、へらへらした顔で、俺に話しかけてきた。
「こんばんは。そんなところに座って何してるの? 花見の場所取りかな?」
「こ……こんばんは。その通り、今日大学のサークルで花見をするので、その場所取りをしているのです」
「こんな朝早くから大変だね。それにしてもこの場所でか……まいったなあ」
突然話しかけられてびっくりしてしまった。いったいなんだこの男は。しかも俺がここにいることが迷惑だというような顔をしている。
「申し訳ないけど、この公園から出て行ってもらうことってできない?」
「えっ!? ……残念ですけど、大学の先輩からこの場所を死守するように言われているので、それは無理です」
「そっか。だめか。じゃあどうしようかな」
男はさっきからあたりをきょろきょろと見回していた。恰好もさることながら、その挙動も怪しい。それにしても、なぜこいつは俺をこの場所から追い出そうとしているんだ? この場所に何か秘密があるのか?
俺はふと、この前先輩に借りて読んだ小説のことを思い出した。場面は今日と同じような春、殺人犯が死体を埋めに桜の下に埋めに来る。しかし犯人は埋めるところを、ある少年に目撃されてしまうのだ。そしてそれに気づいた犯人は……。あれ? もしかしてこの男も……いや、さすがに考えすぎかな。少しこの男に探りを入れてみるか。
「ところで、あなたはここに何をしに来たんですか? それは俺がいるとできないんですか?」
「それはちょっと言えないなあ。君がここにいると困るというのは認めるけどね。ああ、そうだ。君たちの花見はいつから始まるのかな?」
「九時からの予定ですけど……」
「そうかそうか。ということはそれまでは君以外に誰もこの公園に来ないということだね?」
ここで男はマスク越しに、ひどく不気味な笑いをしたのを俺は見逃さなかった。この男はヤバい! 俺の感がそう告げていた。
すると突然男が立ち上がり、背を向けて公園の出口から無言で去って行った。どういうことだ? もう用はいいのだろうか? なんだか肩透かしを食ってしまった。だが、これであの気味の悪い男と会わなくていいと思うと、少し安心できた。
それから少し時間が経った。今は六時半。まだまだ花見まで時間があるなと思っていると、入口からまた人が入ってきたのに気付いた。
俺の安心もつかの間、なんとあの男が戻ってきた! 街灯に照らされて、その姿をはっきりと確認できた。あの不気味な笑顔に加えて、手には大きなシャベルを持っており、早歩きで、俺に近づいてきている!
こんな時に、また頭の中にあの小説のワンシーンが浮かんできた。死体を埋めているところを目撃された犯人は、その少年を持っていたシャベルで撲殺し、その少年を死体もろとも桜の下に埋めてしまうのだ。そして俺はこの少年と同じ末路を辿ろうとしているのかもしれない。とにかく今は逃げなければ!
俺は立ち上がると、その場から走り出した。しかし情けないことに、長時間座りっぱなしだったせいで、足がしびれており、数メートル走ったところで思いっきりこけてしまった。そしてすぐに男は俺に追い付いてきた。
「やっと追いついたぞ。おい、これを見ろ!」
男はそういうと、持っていたシャベルを俺の頭上に大きく持ち上げた。「いよいよ俺の命も終わりか」と思ったが、シャベルの先端に紙がついており、その紙に文字が書いてあるのに気付いた。そこにはこう書かれていた……「ドッキリ大成功!」。
「えっドッキリ!?」
「残念、ドッキリでした!」
男が振り返り、大声で「おーい。もういいぞー」と言うと、入口の方からミステリ研の五人の学生がわらわらと出てきた。皆が一様に、にやにやしている。ここでようやく俺は自分が騙されていたことに気付いた。そして俺は一番にやにやしている、今回の主犯らしき先輩に詰め寄った。
「先輩! これはどういうことですか。説明してください」
「悪いなあ。ミステリ研の古い風習で、毎年この日は何かしらのドッキリを下級生に仕掛けることになっているんだよ。まあ、怒る気持ちはわかるけど、今日は騙されたって文句は言えないはずだぜ。今日が何の日か知ってるだろ?」
「今日が何の日かだって!? もしかして…」
俺は素早くポケットから携帯を取り出すと、今日が何月何日かを確認した。
「そうか……今日は四月一日……」
「そう。エイプリル・フールだ。もしかしてお前、気づいてなかったのか?」
俺は春休みのせいで、すっかり日付ボケしてしまっていた自分を恥じた。
それから三十分後、当初の予定よりもかなり早く花見が行われた。このドッキリは一か月前から計画されており、罰ゲーム付きポーカーや先輩が貸してくれた小説もすべて仕組まれたものだったみたいだ。そして今回の一番の功労者であるあの怪しい男は、演劇部からの助っ人であり、俺が大学で顔を知っている可能性があったため、マスクとニット帽をしていたらしい。まったくご苦労なことだ。
花見が盛り上がってきた頃には、すっかり俺の怒りも冷めていた。そして、来年の後輩へのドッキリを今から考えるのであった。