4.路地裏にて、出会う運命。
ソウライは夜の闇にまぎれ帝都に降り立つ。そして、その時が来るまで、身を潜め待った。
やがて開始を告げる爆発音が聞こえてくる。ヤ人による襲撃が始まったのである。
「僕も仕事に取り掛かろう」
彼は装備を整えると、そっと空へ舞い上がった。
「だ……だれだ」
それは空から間違いなく舞い降りた。巨大な翼を持つ者が、そこにはいた。気がつけば、ふたりほど地に伏せている。赤に染まる石畳の上でぴくりとも動かないそれは、もう息をしていない。
「や、ヤ人?!」
空を舞い、血を渡る。噂通りのヤ人がそこにいた。未知のものに対する恐怖に支配される。
突然の乱入者に兵士の一部は驚愕し、逃げ出した。街の中を警備をするような者は、ろくに戦闘訓練を受けていないような者たちだ。取り締まるのはせいぜい喧嘩。命のやりとりなど、皆無に等しい。つまり、平和ボケしているのである。
「うおおおおお!」
とある勇気ある兵士は、戦いを挑もうと突進した。しかし次の瞬間、彼の剣が空に舞っていた。息つく暇もなく蒼い剣の残像が数撃、その勇敢な彼を襲う。彼の鎧が砕けた。地面に倒れこんだ兵士はうめき声を上げ、やがて動かなくなった。
彼はどうやらこの部隊で一番の兵だったらしい。他の兵士は戦意を失っていた。
「お前らは弱い。殺ったところでなんの自慢にもならない。今回だけは見逃してやろう、目の前から失せろ」
いくら平和ボケの寄せ集めでも、さすがにすべてを相手にするのは無理である。全員が一丸となって挑めばソウライは負けてしまうだろう。しかし、そんな気配を出してはいけない。あくまで余裕たっぷりに、相手を見下し、己が優位にいることを見せつけなくてはならないのだ。
自信にあふれたソウライを見て、すっかり戦意を失っている兵士は、その囁きに屈してしまう。あっという間に闇に溶け、消えていった。
「さてと、次にきれいにしておきたい場所は……」
神殿から逃れてくる同胞たちが通る路を作る。より早く、より安全に抜けられるよう、障害物の掃除にいそしんだ。
「ふぅ……この辺には、あんな下っ端しかいないのかな」
神殿まで続く裏道で、ソウライはひとり奮闘していた。
「やとわれの警備兵なんて質より量か。楽だから僕としては、こういうのは大歓迎だったけれど……」
ソウライは苦笑する。
「そこの影にいるあんたは、なかなか厄介そうだ」
先ほどから、こちらを伺う気配を感じていたのだ。おそらくは、逃げた兵士が報告したのだろうか。このような場所に不釣り合いな、明らかに格の異なる気配を感じたのだ。
「……気がついていたか」
物陰から姿を現した。
「おまえは……討伐隊隊長」
多くの同胞を連れ去った者。殺してきた者。故郷を壊した者。そして――
ソウライの心の蔵が、強く波打った。
「まさか、こんなところで逢えるとは」
ソウライは剣を構える。敵もそれに合わせ剣を抜いた。
ソウライは先制とばかりに、すばやく剣を振り下ろした。敵は、難なくその攻撃をかわす。
敵は態勢を低くし、ソウライの肢を斬りつけようとした。しかし、その攻撃は、あえなく失敗してしまう。剣と剣の触れ合う金属音が、幾多にも火花を散らす。
勝負は五分五分であった。
幾度も剣の奏でる響きが生まれては消え、二人が距離を取ったとき、動きが止まった。彼らは、動かなかった。動けなかった。隙がない。お互いの力が均衡を保っていたのだ。
それは嵐の前の静けさ。
勝負というものは、次の一瞬にして決まってしまう。
……沈黙を破り、先に動き出したのは、ソウライであった。彼は剣を振りかざし、敵を斬りつけた。
しかし、敵はその動きを予測していた。すばやく剣を避けると、態勢を立て直し、ソウライ目掛けて剣を振う。
ソウライは、その攻撃に遅れながらも反応した。剣はソウライの服を裂いた。血が服ににじみ出る。
「……くっ」
敵は強い。しかし、逃げるわけにはいかない。膝をついている暇はない。彼を相手にするのは自分なのだ、彼を少しでも長くここに足止めできるのは自分しかいないのだと、奮い立たせる。
敵が再び動き出したのだ。しかし、ソウライは動こうとしなかった。
ソウライはこうなることを予想していた。このときを待っていた。この瞬間を狙っていた。
相手がトドメをさそうとするときの、ほんの一瞬の隙に……それしか勝てる道は無い。その機会は、今しかないのだ。
ソウライは、彼の攻撃の軌道を一秒も経たない間に弾き出した。
全ては、一瞬で決まる。全ては、これで決まるのだ。
闇の中で敵の次なる攻撃がソウライに放たれた。
「くっ」
剣がソウライの肩を貫いている。辛うじて、急所を避けたものの、滴る血が石畳に、ひとつふたつと模様をつける。
ソウライは敵の姿を見た。攻撃は入ったはずである。死に至らしめるほどではないが、この戦いに終止符を打つ攻撃を。
カラン、と剣が落ちる音が響く。敵が剣を離したのだ。
「……これは、毒か」
しびれる腕が、指先が、物を持つという行為を阻害する。
「数時間程度、しびれを感じるだけだ。貴方はもう戦えない」
そう言ってソウライはその場を去ろうとする。
「どうして、私の命を取らない?」
彼の問いに、ソウライは振り返りもせず答えた。
「貴方は覚えていないかもしれないが、僕が子供のころ、一度見逃してもらったことがある。あの時、殺さないでいてくれたから」
そう、すべてが死に絶えた故郷の村で、あの赤い炎の中現れたのは彼であった。彼はソウライの存在を認めたにも関わらず、見て見ぬ振りをして、村から去ったのだ。ソウライを殺すでもなく、救うでもなく、見逃したのだ。
「借りは返した。運がよければ、星がもたらす破滅の後も生き残ることができるだろう」
彼の毒が抜けるころには、もう帝国はない。早朝には、星が落ちるのだ。
帝都から離れた場所に落ちるとはいえ、落下の衝撃は計り知れない。石作りの町など、その衝撃で起こる地震で崩れ、廃墟と化すだろう。
星が落ちたのちの大災害の中を、彼が生き残るか否かまでは、ソウライには興味がない。
「トウカたちは、うまくいっているだろうか」
石の住居が密集した場所など、死地に等しい。仲間は星が落ちる前に、この帝都を脱出できるだろうか。それだけが心配であった。
ソウライは、まだ夜の色が濃い空を見上げる。黄昏た国は、もうすぐ終わる。
ひときわ大きい一番星が、ますます輝きを強める。夜に鳴くはずの鳥も虫も、息をひそめている。
静かな空、静かな大気。それは静かな、静かすぎる夜であった。