立派な悪役を目指して頑張ります!
……その事実に気づいたのは、中学生になってからでした。
前々から、前世の記憶のようなものがわたくしにあることはわかっていましたが……だからって、これはないでしょう!
乙女ゲームの世界に転生、とか、しかも悪役で、とか!
気づいたときにはサーッと顔が青くなったのが自分でもわかりました。
気づいたきっかけは、人の名前と顔。
いえ、有り得ない髪の色だなー、とは思っていたんですが! その方たちのお名前を聞いて、ん!? と思ったわけです。
乙女ゲームの題名は……忘れましたが(何か、キラキラした感じのものです)、攻略キャラの名字には『色』の名前が入っていて。
紅瀬さんや蒼下さん、紫藤さん……。
乙女ゲームの主人公は、中高一貫校に高校から、特待生として入学してきます。そして、高校で出会ったキャラと恋をするのです。
つまり、攻略キャラの皆さんは、中学校からもういるんですよねー……。
こほん。
申し遅れました。わたくし、桜宮杏璃と申します。一言付け加えるとすると……攻略キャラの一人、白泉希月くんの婚約者、です。
この学校は、お金持ちの方や有名な方がたくさん通っていらして、わたくしも一応お嬢様ですので、希月くんと一緒に入学したんです。
それはまあ、いいとして。
わたくしの役が、問題でした。
桜宮杏璃と言えば、希月くんルートのライバル? キャラです。ライバルというほどのことはしません。希月くんからは、まったく相手にされていませんでしたから。
とにかく、主人公をいじめ倒して、どうにかして希月くんから引き離そうとするのです。……はい、ライバルキャラではなく、悪役ですね。
主人公は、とても可愛くていい子なのです。ゲームをプレイして、何ていい子なんだろう! と感動するほどでした。攻略キャラよりも、主人公が大好きでやっていたゲームです。
その主人公の恋は、きっと悪役のわたくしがいることで叶うはず。
だとしたら、わたくしがやることはただ一つですわ! 立派に悪役を演じることです。もし主人公が希月くんの好感度を一定以上に上げた場合のことを考えて、練習をしておいたほうがよさそうだと思いました。
けれどわたくし、どうも人の悪口や、いじめといった行為が苦手でして。
これでは主人公と希月くんの愛のキューピット(あら、違いますか?)になれない! と危機感を抱いたわたくしは、本屋さんで見つけた『悪役のすゝめ』という本を徹底的に読みました。魔王や悪の組織などの例が多かったのですが、乙女ゲームの悪役の例もありました。もちろん、魔王や悪の組織も悪役の役作りにはかかせないと思ったので、きちんと読みましたよ!
記憶の中の桜宮杏璃は縦ロールだった気がしたので、まずは形から入りましょう、と髪型を変えてみたりもしました。しかし、どういうわけか悪役に全然見えなかったのです。
あれれ、桜宮杏璃はキリッとした美人のはずなのに、わたくしはなぜこんなほにゃほにゃした外見なんでしょう。
挙句の果てには、希月くんに「お前にその髪型は似合わない」と言われてしまいました。その口元が笑いをこらえていたのを見て、もしやわたくしには悪役の素質はないのかもしれない、と諦めかけましたが。
外見は違っても、中身が悪役なら問題ないですよね!
髪型はもとのストレートに戻し、けれど外見はできうる限り磨きました。乙女ゲームの悪役が、デブっちょの可愛くない子だったらがっかりですもんね。
その甲斐あって、本物の桜宮杏璃ほどではありませんが、それなりに美少女になれた……と思うのですが、どうでしょう。周りにはわたくしを褒めてくださる方しかいないので、よくわからないのです。
そんなこんなで努力を重ね、ついに高校生になりました。
* * *
「えーっと、えーっと、こ、この泥棒猫! あなたみたいな何の取り得も……な、ない人が、希月様に相手にされるとでも、えっと、本当に思って……いますの? ……み、身のほどをわきまえなさい! そ、そうそう、言っておくけれど、努力したってむ、だですわ! 希月様はとっくにわたくしの……と、とりこなんですもの! その、みすぼらしいあなたが、希月様のお隣に立つことを夢見るだけでもおこまが……おこがま? しいわ!」
思ってもいない言葉は、主人公の花城羽依さんに向けて言ったもの。
何だか羽依さんは、全員の好感度を上げているようなので……仕方なく(ではありませんが)、わたくしが出ることになってしまったのです。
ちなみにわたくし、この学校で希月くんのファンクラブの会長をやらせていただいています。婚約者がファンクラブの会長をやっていいものなんでしょうか? ゲームでもそうだったので、やらせていただけるのはありがたいのですが。
しかし……が、がんばりましたよ! ちょっと噛みましたけど、十分合格点だと思います!
うぅ、でも胸が痛いです……。
泥棒猫って何ですの、その痛い笑えるセリフ。しかも、まだ希月くんを取られてもいないのに……あら、言葉の選択ミスでしたね。小物の悪役っぽくて、結構好きな言葉だったのですが……いつか羽依さんが希月くんと付き合うようになったらもう一度言いましょう。
そして、取り得がないどころか、羽依さんは取り得ばかりですわ!
というか、とりこ……? 希月くんは原作どおり、わたくしのことはそういう目で見ていませんよ。
わたくしにとって希月くんは、物心つく前から一緒にいる、大事な大事な幼馴染です。希月くんはきっと羽依さんを好きになるでしょうし、好きな方とお付き合いしたほうが幸せです。
大事な幼馴染と、大好きだった主人公。二人とも幸せになったらわたくしも幸せですねっ!
羽依さんは全然みすぼらしくないですし、希月くんの隣に実際に立っても何の問題ありません。
自分で言ったセリフながら、突っ込みどころ満載。
で、でも! ちゃんと悪役っぽかったと思うんです! 今のわたくしは名女優ですわ! ナイスな演技でした。
疲れたことをしたんですから、わたくしもわたくしを労ったっていいですよね!
えっと、それで、仕上げに……沙絵ちゃんと珠紀ちゃんに用意してもらったこのバケツの水を! あ、二人はわたくしのお友達で、取り巻き役として協力してもらっています。
……うっ、この水、予想外に重いです。
がんばって運んで、羽依さんに声をかけます。
「今から水をかけますので、濡らしたくないものはそちらの机へどうぞ!」
「へ、机? 何でこんなとこに机が……」
人気の少ない中庭ですので、机を運び込むのは簡単でした。何名かに目撃されていましたが、特に気にしていないようでしたし。
ぽかんとしていた羽依さんは、わたくしに睨まれると慌ててブレザーを脱ぎ、携帯なども机に置きました。
「そのー、桜宮さん?」
「な、何ですの?」
もう一度睨むと、羽依さんは困った顔をしました。
「わざわざこんなことするくらいなら、水をかけないでほしいなー、って思うんだけど……」
「いえ、これは必要なことなのです! あ、わたくしのことは思う存分嫌ってくださいね!」
「え、桜宮さん? 意味がよく」
「いきますわよ……!」
これ以上用意していなかった言葉を言ってしまっては、ボロが出てしまいます。羽依さんの言葉を遮るのは少し申し訳ないのですが……その、この間もずっとバケツを持っていたので。腕に限界が近づいていました。乙女ゲームの悪役には筋力も必要だったなんて、わたくしもまだまだですね。
困惑している羽依さんに、ばしゃっと水をかけました。
あまり勢いよくなりすぎないように、ほどほどの力加減で水をかけることができたと思います。お風呂場で練習した甲斐がありましたわ!
「あったかっ!?」
ふふふ、驚いてます驚いてます!
今のは相当ショックなはずですよねっ。ふふふふふ……。
「では、御機嫌よう。二度と、わたくしの前に……えーっと、姿をあらわしゃ……現さないでくださいまし!」
大丈夫、噛んだことには気付かれてません。バレないうちに言い直しましたから!
颯爽とその場を立ち去りながら、タオルを落とします。
「あら、タオルを落としてしまいましたわ。これではもう使えませんわね、捨ててしまいましょう!」
これはゴミなんですよ、ゴミ! ゴミで体をふかせるのは、たぶん羽依さんにとって屈辱的なんです!
……だって、いくら温かい水だとしても、びしょびしょのままでは風邪をひいてしまいますし。タオルを一枚しか落とせないのは申し訳ないですが……あっ、ドライヤーを落とせばよかったんだ。あう、何でドライヤーにしなかったんでしょう。
ん? でも、ドライヤーを落としたらコンセントがある教室まで行かなくちゃいけませんし……タオルで合っていたんでしょうね!
教室に戻る途中に、沙絵ちゃんと珠紀ちゃんに話しかけます。
「ねえねえ沙絵ちゃん、珠紀ちゃん! わたくし、立派な悪役でしたよね!」
「……ぷっ。え、ええ、立派だったわ、杏璃」
「え? 私には悪役にぶふっ」
珠紀ちゃんが沙絵ちゃんに口を塞がれました。
「そんなこと言ったら杏璃ショック受けるわよ」
「でもこれ、絶対違うって……」
「面白いから放っておきましょうってこと」
「あ、なるほど」
何やら二人でこそこそ話していますが、今は気分がいいのでそんなことは気になりません。
長年の苦労が、ちょっぴり報われた気分ですよ! ああ、これで希月くんと羽依さんの恋に協力できたんですねっ。
そうそう、羽依さんのことなのですが。
どうもゲームとは違うみたいです。選択肢にないことばかりするのですよ。なのに好感度を上げられるって、すごいです。さすが羽依さんですわ! 羽依さんが希月くんと結婚したら、ぜひお友達になってほしいですっ。
「「あ」」
沙絵ちゃんと珠紀ちゃんが立ち止まりました。つい興奮して、周りの確認をしていなかったのですが……あら、希月くんですわ。
そうだ、希月くんにも報告しなければ!
「希月くん!」
満面の笑みで名前を呼ぶと、希月くんはこちらに気づいて少し驚いたようでした。ですが、すぐにふっと表情を和らげます。それを見た近くの女の子たちが真っ赤になっています。
むぅ、この表情を他の方の前でもすればいいのに。家族とわたくしの前でしかこの顔をしないなんて、本当に人見知りが激しいですわ。希月くんをきちんと愛してくださる女性はいらっしゃるのかしら……って、それが羽依さんでしたね。
我が幼馴染のもとに、小走りで向かいます。
そして彼より先に口を開きました。
「わたくし、羽依さんを呼び出しましたの!」
「……は?」
「だって、あなたと親しくしていたでしょう?」
違いますか? と首をかしげると、彼の顔に一瞬だけ喜びの色が浮かびましたが、すぐにそれは消えました。
「……一応聞くが、それは嫉妬か?」
「しっと? いえ、わたくしは悪役として、するべきことをしただけですわ。羽依さんは本当に素晴らしい方ですから、希月くんの相手に相応しいと思うんです!」
「ああ、そうか。一瞬でも喜んだ俺が馬鹿だった」
希月くんは、うめくような声を上げます。いつも以上に怖い顔ですけれど、そんなに眉間に皺を寄せては取れなくなってしまいますよ?
少しうなだれていた希月くんは、ばっと顔を上げました。
「いつも言っているが、俺とお前は婚約者だぞ?」
「ええ、いつも言っていますが、そんなこと知っていますよ? だからこそ、あなたの恋を応援するのです! 生まれる前から決まっていた婚約者なんて関係ありませんわ。希月くんにはちゃんと、好きになった方と恋人になってほしいのです」
「……なぜわからない……!」
なぜか再びうなだれてしまいました。
「ほら見て珠紀、あれがへたれよ」
「ほへー、あれがかの有名なへたれか」
わたくしには聞こえなかった二人の会話が、希月くんには聞こえていたようです。睨まれた二人は、希月くんからあからさまに視線を逸らしていました。何か怒らせるようなことを言ったに違いありません。
あ、でも……わたくしの言葉でうなだれてしまったのですから、わたくしの言葉にも何か悪いところがあったんですよね? うーん、どこが悪かったのでしょう。
首をかしげていると、ぽん、と頭に手を置かれました。
なぜかしら、周りから微笑ましい視線が向けられているような。
「あー、何だ。その、気持ちは嬉しい――」
「わっ、本当ですか!?」
「んだが。ん?」
「わたくし、もっとがんばりますわ! 絶対、希月くんと羽依さんを恋人にさせてみせます! ってあら、もう次の授業が始まってしまいますね。そろそろ教室に戻らなくては。……希月くん、どうしたんですの?」
引き攣った顔をしていたので、ぱちぱちと目を瞬く。
「……俺はたまに、お前がわざとやっているんじゃないかと疑いたくなる」
「え!?」
まさか、希月くんから疑われていたとは……えーっと、なぜでしょう。はっ、もしかして嫌われてしまいました!? だとしたら、結構ショックなのですが……。
ちょっとしょんぼりしながら見上げると、希月くんは何かを諦めたような顔で微笑みました。女の子の黄色い悲鳴が可愛いです。
「いや、杏璃は杏璃のままでいいんだ」
「はあ」
よくわからないのですが、とりあえずうなずいておきます。
でも、このままでいいと言われましたし……ちゃんと最後まで、悪役を演じきってみせます!
目指せ、立派な悪役、ですわ!
あ、帰りに羽依さんの上履きに画鋲を入れておきましょう。
羽依さんが間違えて履かないように、張り紙も用意しなくては!
桜宮杏璃
アホの子。でも実は、学年で一番頭はよかったり。
希月のことは全く異性として意識していない。
主人公である羽依が大好き。
愛読書は『悪役のすゝめ』。自分は立派に悪役を演じていると勘違いしている、残念な子。
白泉希月
不憫な子。原作とは違い杏璃のことが幼い頃から好きなのに、全然気付いてもらえない。
「はっきり言葉にしないのが悪いのよ、このへたれ」by沙絵
ちなみに、上がっている羽依への好感度は恋愛の意味ではなく、人として好ましい感じ。
花城羽依
ゲームの主人公。実は転生者。しかし、乙女ゲームの世界だとは知らずに普通に過ごしている。
杏璃に呼び出されてから、あの子面白いから友達になりたいなぁ、と思っている。でも、水をかけられたことに対してはちょっぴり怒ってる。
今の所、気になる人はただのモブキャラだったり。
沙絵・珠紀
面白ければいいや主義の人たち。杏璃のことは親友だと思っている。
いい加減杏璃に告白すればいいのにねー、と希月の前で話すのが趣味。
羽依の前では杏璃のことを「杏璃様」と呼び、取り巻きのフリをしている。羽依に対して、やりすぎだと思ったら止めようと思っているが、そんな場面はたぶんいつまでも出てこない。