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僕の太陽  作者: たま
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8話:彼女の太陽

 赤谷はリコにとって恩人だった。

 リコが此処で働けるようになったのも赤谷のおかげだったし、家を借りる際に保証人になってくれたのも彼だった。

 どうしてこんなに良くしてくれるのだろう。

 リコには不思議でならなかった。

 出会ったばかりの他人にすぎない自分。

 そんな自分に、赤谷という人間はどうしてここまでよくしてくれるのだろう。



「まったくあいつは馬鹿だからなあ」


 リコの問いに答えてくれたのはル・パサージュのオーナーである飯島だった。

「けど心配はいらんよ。あいつが好きでやってることなんだからな。リコちゃんが気に病むことじゃねえ」

「で、でも」

 飯島はふう、と息を吐く。そうしてリコを見てにやりと笑った。

「それにリコちゃんはあいつを裏切らんだろ?それならいいじゃねえか」

「え」

「あいつはなあ、いい年して子供みたいな奴なんだよ。子供がそのまま大人になったみたいな考えでよ」

 リコは掃除の手を止め、デスクワークにいそしんでいる飯島を見やった。

 飯島にリコを紹介してくれたのは赤谷だった。その赤谷を拾ったのは飯島だったのだという。

 聞けば赤谷も高校生の頃からここでバイトをしていたのだと語った。

 それから9年余り。飯島との付き合いも随分と長かった。

「だから困ってる人間を放っておけないってわけだ。それだけの、単っ純な理由でリコちゃんを助けたんだろうな」

「それだけの、理由……」

 リコはぽかんとする。

「それだけ」の「単純」な理由。

 だけど、その「それだけ」はそう簡単に出来ることではないことをリコは知っている。

「馬鹿だよな。馬鹿だけど……すげえよなあ、そういうのは」

「……」

 リコを紹介した時、赤谷は飯島に頭を下げたのだという。バイトでもいいから雇ってくれないだろうか。そう言って頭を下げた。

 それを飯島から聞いたとき、リコは思わず泣きそうになってしまった。

「それだけ」の理由でそんなことができる人間がいる。それはほんの少しばかりささくれだっていたリコの心を癒すには充分な事柄だった。

「まあ、あいつもリコちゃんと少しばかり似た境遇だからなあ。だからこそ余計に放っておけなかったんだろうが……」

「え」

「あいつ、21歳の時によその子供をひきとって一緒に住んでんだよ」

リコはさらに目を見開いた。

「よ、よその子供? 」

「そう。なんの血のつながりもない子供だよ。なんか、その子とは友達だからとかなんとか言ってな。まったく、俺が止めるのも聞きゃしねえ」




赤谷は優しかった。

馬鹿みたいに優しかった。

保証人になってくれただけではなく職場でも良く気遣ってくれたし、帰りの遅い日などはなんの気負いもなく送ってくれたりもした。


 だから。

 ……だから。



 「好き」になるのに時間はかからなかった。



.............................................




リコは思わず一歩下がった。

全身が心臓になったようにばくばくしている。

「あ……」

リコはごくんと喉を鳴らした。朝、出かける準備をしながら練習していた台詞を思い出す。

「あ、あの」

きっと、昨日振ったばかりの人間に会って気まずい思いをするのは赤谷のほうだとリコは思っていた。

だから今日、赤谷に会ったらなんでもないような顔をしていつもどおりに過ごそう。そう考えていた。振られたとはいえ「嫌い」になったわけではない。むしろそんなことで距離が遠くなるのは悲しかった。

職場の「同僚」として、「友達」としてでもいられるならとても嬉しい。だから朝のニュースを見て、他愛のない話題をいくつが用意していた。

……用意、していたというのに。


「あの、ええと……」


 リコの頭は完全に飽和状態になっていた。言葉が上手く出てこない。用意していた話題だってすっかり頭の中から消えてしまっていた。

 ……どうしよう。

 リコは下を向いた。必死に言葉を探すがそれはやはり出てこない。

 ……これじゃあ赤谷さんが困るだけなのに。


「リコちゃん」

「は、はいっっ! 」


 ぐるぐると考えていると名前を呼ばれた。

 目線をあげるとやはり赤谷は困ったような表情でリコを見下ろしていた。

 ああ、とリコは泣きそうになる。

 やっぱり赤谷さん困ってる。どうしよう。もう少しわたしが気のきいたことの言える大人だったら良かったのに。

「あんな、俺、こういうの慣れてのうてなんて言ったらええかわからへんのやけど」

 リコはあわてて手を振った。頭が真っ白になったけれども、それでも必死に言葉を探す。

「あ、あ、あ、赤谷さん!き、昨日のお相撲見ましたかっ? 」

「…………へ?相撲?」

「す、凄かったんですよ!横綱がこう、ばーんと相手にぶつかって一気にすくい投げを……」

 リコは身振りをくわえて喋りながらも猛烈に後悔していた。口からとっさに出たものが何故相撲の話題なのかはリコにもわからない。

確か朝、最後に見たニュースがそれだった。だから頭の隅に一番残っていたのかもしれない。しれないけれども。

(よ、よりによってどうしてお相撲の話題……)

 目の前の男はあっけにとられたような顔で相撲について語るリコを見下ろしていたが、やがて明るく微笑んだ。

 それはいつもの、リコの大好きな……太陽のような笑顔だった。

「ありがとな、リコちゃん」



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 夜中は急に喉が渇く。それだけだ。



 司は腕時計を見た。時計の針は深夜の1時をさしている。

 立ち読みしていた雑誌を元に戻し、コンビニを出たところで声をかけた。

「姉さん。」

「あれ。司くん? 」

 リコは目を丸くして立ち止まった。

「どうしたの?こんな時間に」

「……喉、渇いたから」

手にしたビニール袋を示して見せるとリコはふふ、と声をあげた。

「またそのジュースなんだ。司くん、そのジュース好きだねえ」

「……ああ」

司は歩き出した。リコは通勤時に見た野暮ったいコートを羽織ったまま、慌てたようにちょこちょことついてくる。

「……今日は」

「うん? 」

「今日はあいつに送ってもらえなかったのか? 」


リコの帰りは遅い。

良くて夜中の12時。それを過ぎることも多く、必然的にリコは夜道を帰ることになる。それを送ってくれていたのはリコの同僚。赤谷という男だった。

「……うん」

昨日、その赤谷という男に姉は振られた。

やはり気まずかったのだろうか。そう思っているとリコは小さく微笑んだ。

「送るって言ってくれたけどお断りしたの。わたし今まで、本当に赤谷さんに頼っていたから……。でも、いつまでもそれじゃあ駄目だものね」

「……あの人がよく、すんなり帰してくれたね。」

姉の話から推測するに赤谷という男は随分とお節介な奴のようだった。家が近いとはいえ、リコを送って帰っていたのはおそらくリコが純粋に心配だったからなのだろう。

「もちろん一人で帰るなんて駄目やで、危ないでって言われたよ。だからね、嘘をついたの」

「嘘……? 」

吐く息は白い。夜道はしんしんと凍えていて、音をすべて飲み込むかのように静かだった。そんな中、リコは司を見上げて嬉しそうに笑う。

「弟が迎えに来てくれるから大丈夫ですって」

「……」

「ふふ、偶然とはいえ本当になっちゃった。嘘から出たまことって本当なんだね」

 姉は本当に嬉しそうだった。

「司くん」

「……なに」

「今まで心配してくれてありがとうね。お姉ちゃんはもう、大丈夫だよ」

司は絶句する。

 そうして思い切り顔をしかめた。

「……別に、俺は」

「うん」

「……」

 リコはにこにこと笑っている。

 その表情に何故か安堵する自分を覚え、司はいっそう苛立った。


 ……自分はいったいどうしたいのだろう。


 ふいによぎった考えに司はいっそう渋面を作る。

 そうして後ろをついてくる姉の気配を感じながら、司は小さく白い息を吐いた。


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