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僕の太陽  作者: たま
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6話:リコと関西弁

リコの職場は5年前に辿り着いた時ののまま、何も変わっていなかった。

オフィスの立ち並ぶ大通りからほんの少し離れた場所にある閑静な道。

その並びには良く手入れされた細い小道とやや年季の入った洋風の建物が建っている。

その看板にはフランス語でこう書かれていた。


「LE PASSAGEル・パサージュ



日本語で「道」という名のフランス料理店が、リコの職場である。





 その扉を開けるのには勇気がいった。

 心臓が痛い。うっかりすると声だって震えてしまいそうだった。

「……お、おはようございま……」

 意を決して裏口の扉を開ける。

「あ、おはよーさん」

「……! 」 

 リコは思わず開けたばかりの扉を閉めるところだった。

 裏口は調理場と直結になっているのだから、実のところ会う可能性は非常に高い。分かっていたが油断していた。

 リコは目の背の高い男の姿を見上げる。うっかり唇がふるえるのがよくわかった。

「……あ、赤谷さん……」

 そこには昨日、リコが失恋したばかりの相手が立っていた。




 赤谷吾郎はリコがこの店で働くことになった直接的な原因を与えてくれた人物だった。

5年前、この店の裏口前で途方にくれて座り込んでいたリコを見つけてくれたのも彼だった。


「え、リコちゃん17歳なん!?」


 その時店には赤谷しか居なかった。聞けばその日は休日だったのだという。

 赤谷はこの店のシェフをしていると語った。

 まだまだ半人前でな、それでこうやって時々こっそり練習をしてんねん。

 そう言って照れくさそうに笑った。


「……わたし、やっぱり17歳に見えないでしょうか。いつもいつも子供に見られてしまって」


 リコは赤谷に勧められるまま店に入り、そうして強引に椅子に座らされていた。あとから聞いた話によると、赤谷は初めはリコを家出した小学生と勘違いしていたという。

「腹も減ってる子供をそのまま放っとくわけにもいかんやろ? 」

 そう言って赤谷はからからと笑ったものだ。



 だからだろうか。

 その時リコの前には赤谷が練習していたという料理がいかにも美味しそうな湯気をたてて置かれていた。皿によそいながら青年は嬉しそうに笑う。

「あ、これな、ブフブルギィニョンっていうねん」

「ブ、ブフ……? 」

「簡単に言うと牛肉の赤ワイン煮ってやつやね。リコちゃん、よかったら味見してくれへん? 」

「え、でも……」

 あわてて断ろうとするリコの腹の虫が盛大に音を立てる。

 ああ、もう。リコは顔を真っ赤にして俯いた。お腹の音は聞かれるし、扉に頭をぶつけてひっくり返った時に下着は見られてしまうし、恥ずかしいことだらけだった。

「俺もちょうど味見して欲しいとこやってん。リコちゃんが食べてくれたらホンマに嬉しいんやけどなあ」

 赤谷と名乗った男は変わらずにこにこしている。美形というわけではないが、ひどく人好きのする笑顔だった。そうしてそのままリコにスプーンを投げてよこす。

「え、あ、わっ……」

「ほれ。ええから食べて。な? 」

 なんとかスプーンを受け取ったリコは、男の顔を見る。そうしてその明るい笑顔に引き込まれるように頷いていた。

「は、はい」




「え、面接を20件断られたあ? 」

「はい」


 リコは素直に頷く。

 料理はとても美味しかった。

 その所為なのか、それとも赤谷の笑顔があまりにも人畜無害そうに見えたせいなのかはわからない。しかし警戒心というものがすっかり解けていたのも事実で、リコは問われるままに赤谷の質問に答えていた。


「全部駄目でした。正社員で駄目ならバイトでも良かったんです。とりあえずすぐに働けるところが欲しくて。でも……」


 リコは俯く。

 バイトなら雇ってくれそうなところはいくつかあった。

 しかし履歴書を見ると皆一様に首を振る。その理由はあまりに明白で、リコはあきらめざるをえなかった。

「ああ、なるほどなあ」

 履歴書に目を通した赤谷が納得のいったように唸る。

「リコちゃん、家族は? 」

「弟が一人。他は皆亡くなっていて」

「親戚とか、ひとりもおらへんの? 」

「はい」

 ううむ、と赤谷は唸った。

「住所も寮なんやね。でももうじき出らなあかんって言っとったよなあ」

「はい。高校はもう辞めたんです。あの、お金がなくて……。今は学校の好意で寮におかせてもらっているんですけど……」

「そうかあ。ああ、電話の欄が空白や。携帯も持ってないん? 」

「はい」

「弟さんは今何処に? 」

「いえ。今はさっき言ったあのせいで……まだ入院していて……」

「ううん、そりゃあ、なあ」

 赤谷はさらに唸った。リコはそれを見ながら肩を落とす。

 わかっていた。あまりにも自分の身分はあやふやで、後ろ盾はおろかなんの保証もない。

 住所不定、無職。しかも今のリコには保護者さえいなかった。これではさすがに何処も雇ってくれないだろう。

 でも、とリコは膝の上に置いている拳を握り締めた。これからは働かなければ、食べていけないのだ。

弟も、自分も。


「あ、あの、新聞配達のバイトとかならなんとかなるでしょうか……」

「……うーん」

「そ、その……援助交際とか、そういうのはやっぱり避けたいし」

「……」

「……それか、履歴書に嘘を書く、とか……。でも、そういうのって、ばれて警察に捕まったりしないんでしょうか?わたし、何もわからなくて……」

「…………」

「あ、あの……」

「………………」

 ふいに赤谷の唸り声が無くなった。

 不思議に思って履歴書のすきまから見える薄茶色の頭を見ると、それは何故かふるふると震えていた。

「あ、あの……? 」

「……リ、リコちゃん、偉いなあ。なんや俺、泣けてきた……」

「え、ええ、えええええ?? 」

 リコはおろおろと立ち上がった。そうして目の前の男を見て、さらに驚いた。

 本人の宣言どおり赤谷は泣いていた。男の人が泣くのを見るのは初めてで、思わずぽかんとする。

 赤谷はぼろぼろ泣きながら、それでも右腕でぐいと自分の目を拭った。

 手にしていた履歴書に水滴が落ちてインクが滲んでいく。


(ほ、本当に泣いてる……)

 リコは驚きのあまり固まっていたが、それでも胸の奥になんだかじんわりとしたものが広がっていくのを感じていた。

(ああ、そうか)

 将来の不安とか、悲しさとか、絶望とか。

 そんなものがゆるゆると溶かされていくような感覚だった。

(この人、本当に……いい人、なんだ……)




「リコちゃん」

「はっはいいいいっっ」

 ふいに赤谷は立ち上がり、リコの両手をがっしりと掴む。ひたすら驚くリコを尻目に、赤谷はいきなりとんでもないことを言い出した。

「よっしゃ、こうなったら何かの縁や」

「へ? 」

 ぽかんと口を開ける少女に向かって、赤谷という男は琥珀色の瞳を潤ませたまま底抜けに明るい笑顔を向けてみせた。


「俺にまかせえ! 」



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