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<う>運命的出会いのようなものに伴う菜の花のおひたし

「花泥棒は罪にならない……か」


 花泥棒に聞こえないよう、口の中で呟く。

 しかしまあ、不法侵入は罪になるだろう。ついでにいえば器物損壊も。







 半月と三日月の中間のような月夜のもと、ほろ酔い気分でほてほてと歩いていたら、私が住むアパートの向かい、目下観察中の新築の一軒家の庭に、人影を見つけた。立ったまま、何かしている。

 20メートルほど離れた場所で立ち止まり、観察する。月は雲に隠され、光は淡い。


 その人物は、菜の花を摘んでいた。ぶちぶちと、ひたすらに。


 どうしてそうとわかったのかといえば、人影の前にあるのは、菜の花が咲き乱れる花壇しかないからだ。菜の花しか咲いていないように見える花壇といった方が正しいか。その花壇は、私が住むアパートの窓からよく見える。

 とにかく、人影は庭の中途半端な位置に立っているので、ドアの鍵をこじ開けようとしたり(玄関からは遠すぎる)、窓に石を投げつけようとしたり(窓には近いが、石を投げるのに距離はいらない)、庭に死体を埋めようとしているのではない(足元の土は乱れていない)ことがわかる。

 さらに、人影は背を屈めることもせず手を動かしている。

 菜の花は背が高い。たまに訪れる母の実家近くの河原には菜の花畑があるので、よく知っている。この庭のものも、並べば私の肩くらいあるだろう。人影の手の高さは、ちょうど菜の花の尖端部に届くくらいで動かされている。

 したがって、導き出した答えは。

 どうやら人影は、菜の花を片っ端から摘んでいるらしい、ということ。



 しばらく謎の人影の菜の花摘み行動をぼんやり眺めていたが、飽きた。なんといっても、結構広い花壇なのだ。

 今夜は、進級祝いと編入生歓迎を兼ねた飲み会の帰り道である。大学生を一年もやれば、酒を飲むのにも慣れてくる。明日は土曜ということで、新学期早々二日酔いも気にせず盛り上がった。

 しかし、酒が好き、というよりも酒に酔った状態で眠りに就くのが好きな私は、宴会にさほど長くとどまることはない。宴席が楽しくないわけではないが、睡眠の快楽には代えがたい。

 いつまでも立ち止まっていても仕方ないし、酔いがさめないうちにシャワーを浴びてベッドにもぐりこみたい。あの家の前を通らないとアパートには入れないのだから、さっさと通り過ぎることにする。


 それでもちょっとした興味は捨てきれなかったので、その庭に近い側の道路の端を歩いていく。こつこつと、低めのヒールが抑えた音で鳴る。

 近づくにつれて、人影の姿がはっきりしてくる。どうやら、花泥棒は男性のようだ。もしかして、この家の住人だろうか。だとしたら泥棒ではないことになる。

 こつこつと、歩を進めていく。


 かなり近づいたところでやっと足音に気付いたらしく、人影は振り向いた。

「あ」

 しまったといった調子で、声を漏らす。かすれたような、若い男の声。


 風が吹き、雲が流れた。月が辺りを照らす。

 私に向けられた気まずそうな視線が、少し泳ぐ。

 二十歳を過ぎたか過ぎないか、そのくらいに年齢に見える青年。月明かりの下でも、髪の色がやけに目立つ。なんと表現すればいいのか、あらゆる明るさの、あらゆる濃さの「茶色」を一筋ずつ丹念に織り込んだような、派手だけれど繊細な色合いだ。


 

 さて。

 話は戻るが、新しい学年が始まってまず思ったのは、みんな髪が黒くなったものだ、ということだった。

 大学に入ったばかりのころは、校則の厳しい高校時代の反動か、やたらと髪を染めている人が多かった。そしてまた今度はその反動か、髪がかなりの割合で黒か、暗めの茶色になっていたのだ。

 学年の髪の色の動向を観察しつつも、私自身は染めるのが面倒で、肩を過ぎるほどの長さの髪はずっと黒いままになっている。

 そんな私に、髪を染めるのもいいかな、と思わせるだけの不思議な魅力が彼の髪にはあった。多彩な茶色が重なり合った、美しい髪。


「きれいな髪ですねえ」

 思わず、そう口にしていた。花泥棒も、不法侵入も忘れて。

「……ども。でも、あんたの髪も、きれいだ」

 ほんの少し緊張をはらんだような声が、返答した。

 褒められたら褒め返すのは、オトナの会話の基本だ。

 私の髪は黒くて長いだけのシロモノだが、結構よく褒められる。きっとほかに褒めるところがないか、なにはともあれオンナの髪は黒くて長けりゃきれいだ、といういささか平安時代的で安易な認識からくるものだと思う。

 いやそれほどでも、などといった無意味な謙遜を返されなかったのに気を良くして、ほんとにきれいですねえ、と繰り返す。

 青年は戸惑ったように動きを止めている。まあそれはそうだろう。夜中に菜の花を摘むのもどうかと思うが、夜中に初対面の酔っ払いに髪をひたすら褒められ続けるのも困った事態だ。客観的に考えると、青年と私のあやしさは五分五分といったところではないか。


 このまま意味不明の怪しい酔っ払いと思われるのも癪なので、話題転換を試みることにする。なにかほかにないか、と青年の手元に目を向けると、摘まれた菜の花はつぼみのままのものばかりだった。次の話題発見。

 酒精で心地よくふんわり濁った頭が、適当と思われる言葉を導き出す。


「おいしそうな、菜の花ですね」


 一瞬の沈黙。ここは、「きれいな菜の花ですね」の方が正解だったか、とちょっとばかり後悔する。でもつぼみにきれいも何もないしな。

 青年は、驚いたように目を見張ったあと、心底安心したように、笑顔を見せた。そうしてはじめて、さっきまでの顔がかなり強張っていたことがわかる。

「だよなっ! 菜の花はうまいよな! いっやー、ちゃんと花が咲かないうちに摘むように言ってるんだけどさ、ここに住んでる奴がマジでなんもしなくって」

 勢いよく語りだす。

 今まで髪に気を取られていて目がいかなかったが、なかなか整った顔をしているようだ。笑うと目元が和らぎ、雰囲気がぱっと明るくなる。

 どうやら「ここに住んでる奴」と、この青年は別人らしい。それではやはり花泥棒か。でも、この家の住人と親しいらしい口ぶりだから、庭に入るのも了承済みだろうか。とりあえず保留にしておく。

 しかしやはり、「ここに住んでる奴」は何もしないのか。洗濯物も布団も週末にしか干されないし、そうではないかと思っていた。家事を一手に引き受ける週末の健気な通い妻、カヨちゃんの苦労がしのばれる。


 急に親しげになった青年と、会話を続ける。

「近くに住んでんの?」

「ええ、向かいのアパートに」

「じゃさ、持ってけよ。こんなにあるんだし」

 ちょっと待ってろ、と菜の花を停めてある原付のサドルの上において、鍵を開けたままだったらしい玄関から家に入っていく。

 見覚えがあるその原付に、目が吸いつけられる。


「カヨちゃんの、原付」


 ということは、金曜の深夜からカヨちゃんは来ているのか。カヨちゃんと青年とこの家の住人とは、どんな関係なのだろう。新種の三角関係だろうか。

 ……まあいいか、保留しておこう。今は考えるの面倒だし。


 青年がビニール袋らしきものを手に戻ってきた。

ビニール袋の中に、原付のサドルの上の菜の花をてきぱきと入れていく。すぐできるからな、と声を掛けられる。

 そこで、はたと気づいた。

 もらって帰っても料理できないではないか、と。なんたることだ。

 無駄にしたら申し訳ないので、正直に告げることにした。ありがたいんですけど、と遠慮がちに口を開く。

「あの、私、一人暮らしを始めたばっかりで、料理あんまりできないんです」

 ちょっとばかり見栄を張ってしまった。「あんまりできない」よりも「ほとんどできない」の方が正しいが、まあそこは勘弁してほしい。酔っ払いの発言は免責で。

 青年は私の発言を気にする様子もない。

「そ? ま、料理なんて失敗するもんだし。元手タダなんだから思い切ってやれよ」

 適当なアドバイスだが、詳しく説明されるより私に合っている、といえなくもない。

 話をしながらも、青年は菜の花を手際よく選り分けて、ビニール袋に入れていった。腰くらいまでの高さの塀越しに、それを手渡される。


「ありがとう」

「これ、おまけ」

 花が咲いている菜の花も1本、新聞紙にくるんだものとは別に手渡された。いつの間にか摘んでいたらしい。ほかのものとは違い、茎が長めに折られている。

「花が咲いてても食えるけど、ま、飾っとけば。一人暮らし開始記念に」

 さらりと、青年は言う。

「紳士ですねえ。オンナには花を贈れ、ってやつですか」

 あまりにそつがないので、思わず含み笑いをしながら茶化すと、そういう意味じゃなくて、と青年は少し俯く。

「お礼、みたいなもん」

「え?」

 再び上げられた視線は、私のものと絡んだ。青年は照れたように、でもとても嬉しそうに笑う。

「さんくす。不審者と間違えないでくれて」

 本当に嬉しそうに笑う人だなあ、とこちらも微笑み返す。

「まあ、私も酔ってますし、不審なのはお互い様ですよ」

「……って、俺やっぱあやしいのか」

 青年が傷ついたような表情を浮かべたので、慌てて提案してみる。

「あ、そうだ、エプロンつけたらあやしくないんじゃ」

 菜の花摘みも料理の一環だし、と思いついて述べれば直ちに却下された。

「ありえねぇし! 夜中にエプロンつけた男がいるって、怪しすぎるわ! 不審者つうか変質者だろ」

「うーん、そういわれてみれば……」

 夜中に男が庭で菜の花摘み。

 夜中に男が庭でエプロンをつけて菜の花摘み。

 うむ、どちらにしても怪しい。取り除くべき要素は「夜中」だな。


 青年に礼とともに別れを告げる。

「すぐそこだから平気だろうけど、気をつけろよ」

 青年は片手をひらりと振った。

「いい夜を」

 背を向けて歩き出し、振り返らずに言葉を投げる。

 これからが忙しいんだよな、と青年が小さくぼやくのが聞こえた。

 青年とカヨちゃんとこの家の住人と。何が忙しいのか気にはなるが、心地よい睡眠が待っているはずの、我が家と呼ぶにはまだなじんでいないアパートへと帰ることにした。

 花瓶はないので、一番長さのある歯ブラシを入れていたコップに水を入れ、花つきの菜の花をさすことにしよう。つぼみの菜の花が入ったビニール袋は、冷蔵庫でいいだろう。野菜の一種だしな。

 シャワーを浴びれば、あとは寝るだけだ。






 翌朝。というか、すでに10時を回っている。

 目が完全に開かないままカーテンを開けると、昨夜出会った青年の姿を向かいの一軒家のベランダに発見する。太陽の下で見ても、彼の髪の色合いの絶妙さは健在で、やはりきれいだ。

 何をしているのかぼうっと見ていると、やけに手際よく白い洗濯物を干していた。

 でも、それはカヨちゃんの仕事のはずなわけで。

 しかし、青年の仕事は慣れている者のそれで。

 ということは、もしかして。

 ついに、答えを見つける。


「イヅマくん、だったか」


 名称変更、決定。カヨちゃんは、男だったらしい。

 まあ、はからずもお近づきになれたわけだし、運がいい。

 米を炊いて、味噌汁を作り、おかずは菜の花だけにしよう。

 まあ、「料理なんて失敗するものだ」と家事のエキスパートであるカヨちゃん改めイヅマくんも言っていたことだし。気楽にやろうか。

 レシピをインターネットでざっと調べ、だいたいのやり方はわかった、気がする。鍋に水を少なめに張り、沸騰させる。菜の花を入れ、沈める。再び沸騰したら、菜の花を取り出し、水にさらす。つまりは、これだけのこと。おひたしとはいえ、だしはめんどくさいので、ただの醤油で済ませることにしよう。


 さて、やるか。食べたら私も洗濯しようか。 

週末限定隣人イヅマくん登場しました。

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