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<あ>悪魔的儀式パフォーマンス付き豚肉の生姜焼き

「前々から言おうと思っていたのですが」

 ユウジさんに真剣な声で切り出され、構えた紙パック2リットル入りの酒をそのままに振り返ろうとして、やはり重いので置くことにする。

「はい」

 しばらくはこのまま放っていて大丈夫だろう、とフライパンの中の豚肉からユウジさんへと目を移す。その隣のコンロには少し大きめのフライパンが置かれ、その中の野菜炒めはすでに完成している。

 コンロに向かっていた私は、キッチンとつながったダイニングにいるユウジさんに、ちょうど背を向けていたことになる。目の前にユウジさんを見据えながら料理をするのは避けたい事態なので、対面式でないのはありがたい。

 ユウジさんはダイニングテーブルに肘を付き、腕を胸の前で交差させてこちらを見つめていた。めったに陽の下へ出ないので、肌が白い。ときおり片手で無造作に掻きあげられる髪は細く、光が当たると茶色に透けて見える。すっきりした瞳は、眉を寄せたせいか細められている。言おうか言うまいかしばし躊躇したらしい短い間のあと、やはり言わなくては、という意志が込められた声できっぱり告げる。


「肉を焼くたびにアルコールに引火させるのはやめてもらえませんか」


 思いもよらない言葉に、首をかしげる。

「え。でもこうするのが正式なんですよね?」

「違います。家庭では通常行いません」

「えええ? あの、もしかして、火災報知機が気になってるんですか?」

 消防法で住宅用火災報知機の設置が義務付けられるようになった、という市の広報誌の記事などを思い出しつつ、天井に目を向けた。周囲から丸く盛り上がった、CDより少し小さいくらいの直径の機械を、じっと見つめる。この家は新築なので、初めから取り付けられていたのだろう。


 兄の結婚に伴い、私の実家は二世帯住宅用に改築した。その際に、火災報知器を取り付けたので少しばかり知っている。業者を家に入れるので、荷物をどかしたりなんだりと準備が大変だった。私の今住んでいる部屋は引っ越す前に設置が終わっていたので助かった。

 改築が始まるのを機に、私は実家を出て現在住んでいるアパートに移った。ちょうどユウジさんの家の向かいにあるアパートで、結婚するまで兄が住んでいた。

 要するに、兄妹で住むところを交換しただけのことであるが、実家よりだいぶ通っている大学に近いし、居抜きで使えることになったので文句はない。


 ユウジさんに視線を戻し、言葉を続ける。

「でも、大丈夫です。台所のやつも、熱探知機じゃなくて煙探知機ですから。ちょっと燃え上がらせたところで作動しませんよ?」

「そういう問題でもありません」

 それよりもなぜ人の家の火災報知機についてそんなに詳しいのか疑問ですね、とユウジさんは呆れたように溜息をつく。私はそこまで詳しいわけではない。実家のものと見た目が同じなので勝手に判断しただけだ。

 ユウジさんこそもっと自分の家に関心を持つべきだ、と反論しようとして、肉に意識を戻す。

 もうやらなくては。

 再び酒の入った紙パックを構える。

「何が問題なのかはあとで聞きます」

 じゃっ、と爆ぜるような音とともに、酒がフライパンに飛び込む。封を開けたばかりの2リットル紙パックは重いので、つい勢いよく酒を注いでしまうことになる。やはり両手で持った方がいいな、と反省しつつ、紙パックをわきに置く。

 待ってください、というユウジさんの声を遮るように、宣言する。


「とにかくいきますよー。引火っ!」


 フライパンを傾けて、端の方にたまった酒に、強火にした火を燃え移らせる。ぼっ、と低い音がして、20cmほどの火柱があがる。

 何度やっても、楽しい。

「とても、楽しそうですが」

 背後から呆れたような、諦めたようなユウジさんの声が飛んでくる。

「もしかしてユウジさんもやってみたいんですか?」

 手元から目を離さずに尋ねる。

 フライパンは傾けたままだ。ちりちりとはじけるような音がして、火に近づけられている酒に、大きな泡が上り始める。アルコールが揮発していくに従い、火柱はどんどん小さくなり、やがて消える。

「いえ、あなたがあまりに楽しそうなので本能的な恐怖を覚えています」

 恐怖を覚えているわりには、苦笑の混じった皮肉な口調である。

「大袈裟ですねえ。人間は火を操る動物ですよー」

 アルコールはすでに飛んでしまったらしく、これ以上努力しても引火はしないようだ。今日の燃え上がり方はなかなか迫力があって結構結構、と内心かなりご満悦であるが、うっかり口に出さないように気をつけた。ユウジさんにまた何か言われては困る。

 しばらくそのまま焼いて、表面に軽く焦げ目をつける。そのまま肉を大きめの皿に滑らせ、同じ皿のわきに別のフライパンで炒めていたキャベツとジャガイモを盛る。

「はい、完成しましたー」


 いつも通りご飯と味噌汁はセルフサービスだ。さっさと自分の分をよそい、箸を手に取ると、いつの間にか私の定位置になったテーブルの端、ユウジさんの斜め向かいに置く。この席はキッチンに背を向けることになる。

 再びキッチンに行き、ガラスのコップをふたつ流しから取り上げ、製氷室の氷を適当に入れてから、流しに戻って浄水器を通した水道水を注ぐ。私とユウジさんの前にひとつずつコップを置き、さらに肉と野菜炒め用の取り皿を添える。

「お先にいただきますね」

 私は軽く両手を合わせると、食べ始める。私がユウジさんの分のご飯と味噌汁を準備する気配のないのを見て取ると、ユウジさんはようやく重い腰を上げる。人が料理するのをじっと見ているわりには、準備が遅い。


「自分で言うのもなんですが、冷めてもおいしい料理だとは思いませんので、早く手をつけることをお勧めします」


 豚肉と野菜炒めを小皿に取り分けながら、背後のキッチンで炊飯器から茶碗にご飯を盛っているであろうユウジさんに声をかける。

 軽く脅しも入っている気もするが、真実だから仕方ない。冷めてもおいしい料理を作るだけの技術もなければ向上心もない。

 それに、「もう、せっかく作ったんだからあったかいうちに食べてほしいのに。冷めるとまずくなっちゃうじゃない」などという台詞は私とは縁がない。

 まず「せっかく」が間違っているし(自分の夕食を兼ねているためついでである)、「食べてほしい」も適切ではない(自分好みの味付けであり、ユウジさんに食べてもらうのはあくまでついでである)。

そもそも、「冷めるとまずい」というのは「温かいうちはおいしい」と間接的に主張しているわけで、私の作るものが温かいうちなら必ず「おいしい」かというとはなはだ疑問である(私個人としては十分満足しているが、ユウジさんの口に合っているのかはまったくわからない)。

 そんなことをつらつら考えているうちにユウジさんが私の斜め前、食事前から座っていた場所に腰かけ、小さく「いただきます」と言って食事を始める。

 いつものことながら、ふたりとも、食べている間はほぼ無言だ。よそり替えにいくときのみ席を立つ。


 無言のまま、食事が終わる。ご飯はユウジさんの朝食用に多めに炊くので余るが、ほかはまず残らない。「ごちそうさまです」と各々言って、自分の使った食器を流しに運ぶ。

 このままいけば、アルコール引火調理法のどこが問題かなどユウジさんももちださないだろう、と少しほっとする。あれは私のお気に入りなのだ。


 食べ終わると、ユウジさんはイヅマくんに電話をかける。ほぼ一日中家にいるにもかかわらず、ユウジさんは携帯電話を使っている。固定電話はセールスなどが煩わしいため、契約していないのだという。

 ユウジさんとイヅマくんは、義理の兄弟だ。ユウジさんの兄とイヅマくんの姉が結婚したためで、姻族4親等の関係だというが、なぜか携帯電話は家族割引が適用されていて、通話は無料らしい。ただ、そのわりには長く話しているのを見たことがない。


「こんばんは」

 ユウジさんは、名乗らない。

『で、何食ったわけ?』

 スピーカーモードにしているおかげで、直接聞くよりすこしざらついたイヅマくんの声が私にも届く。

 イヅマくんは、週末にこの家にやってきて、洗濯や掃除や一週間分の食事作りをしていく。逆にいえば、ユウジさんひとりでは洗濯も掃除もしない。料理は少しする、といっても炊飯器とトースターと電子レンジを駆使して次にイヅマくんが来るまでの一週間を乗り切る。

 食品の補充をする関係上とユウジさんの生存確認のため、イヅマくんは一日一回ユウジさんと電話で話し、その日何を食べたか問う。

「朝食兼昼食は、パンでした。夕食は、白米、味噌汁、野菜炒め、肉です」

 味噌汁の具は何だったか、野菜炒めとは何の野菜か、肉とは何の肉で調理法は何か、などということは報告しない。イヅマくんも詳しく訊いたりはしない。

 それにしても、とユウジさんが呟くように、しかし私の耳にもはっきり届くような大きさで言う。


「肉は相変わらず悪魔的儀式のごとき調理法でしたね。火柱を上げていました」


『はあ? ひばしらぁ?』

 ユウジさんがいきなりその話を蒸し返したので、慌てて反論する。

「あれはパフォーマンスです。サービスなんです。それに相変わらずってなんですか?」

「そのままの意味ですよ。今まで遠慮していたのですが、実は前々からそう思っていました」

 そんなことを今告白されても困る。

 イヅマくんに言い訳めいた報告をする。

「あ、イヅマくん、火柱だってかわいいサイズだし。ちょっとしたパフォーマンスだよ? ちなみに肉って豚肉の生姜焼きのことだから」

 弁解ついでにメニューを教えてみた。

『あーはいはい。パフォーマンスはいいけど火傷すんなよ。んじゃ』

 イヅマくんに軽く受け流され、あっさり通話は終わった。


 携帯電話を机に置いたユウジさんに改めて反論する。

「ユウジさん、あの料理の仕方と悪魔とか儀式とかとはまったく関係ありませんから。だいたいよくお店でもやってるじゃないですか」

 それはそうですが、と頷きつつも、ユウジさんは薄く微笑んで告げる。

「悪魔的儀式というのは、あなたに関してのみですよ。楽しそうなのが恐ろしい。火に照らされたあなたの顔を見なくて済むと思うと、対面式キッチンでないことに感謝したいですね」

 どうやら対面式キッチン反対派は私だけではなかったらしい。

「……随分言いますねえ」

 苦々しく述べると、ユウジさんはさらに微笑みを深くした。さらりと前髪がこぼれて、うっすら瞳を隠す。

「あなたがいるのに慣れてきたせいでしょう。遠慮がなくなってきました」

 慣れたかどうかは別にして、遠慮がないのは確かだ。




 ふっと、思い返してみれば。

 本当に、最近になってからだ。

 私のお気に入りの調理法に文句をつけるほど、ユウジさんに遠慮がなくなってきたのは。

 イヅマくんが、諦めたのか「イヅマって呼ぶな」といちいち訂正してくるのをやめたのは。

 

 新築の一軒家でなぜか悠々自適の一人暮らしを営むユウジさんと、週末にだけユウジさんの世話をしに来る通い妻のイヅマくん。

 彼らの生活に、なぜ私が入り込んでしまったのか。

 

 話は引っ越してきた当時に遡る。


こんな感じのお話です。

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